214
プルハ大樹海を進み続け、張られた結界を抜ければ、深い森へと辿り着く。
空気の濃さ、聞こえてくる木々の声、辺りに満ちる力、全てが外とは全く違ってる。
そしてそこで僕を待っていたのは、外周付近に住むエルフ達ではなく、一人のハイエルフだった。
不老のハイエルフなので見た目はとても若々しいが、身に纏う雰囲気は明らかに只人ならざる彼。
あぁ、昔はそんな事はさっぱりわからなかったけれど、今となれば彼が重ねた年月とその凄味がわかる。
今、目の前にいるハイエルフと近い雰囲気を持っていたのは、黄古帝国にいた仙人達くらいだろう。
しかしそんなハイエルフが、今は僕の姿を見て、心配げに表情を乱してた。
「……ッ、エイサー! 楓の子よ、その髪は一体どうしたのだ?」
再会の言葉よりも先に、僕の髪を気にした彼の名前はサリックス。
年齢は確か、僕よりずっと上の、800歳代のハイエルフだ。
あぁ、いや、僕が深い森を出てからもう百年近く、正確には八十年が経つから、もしかしたら900歳を優に超えてるか。
サリックス、別の呼び名は、柳の子。
僕がこの深い森を出る前は、五人居る長老達の中では一番の若手として、集落のハイエルフ達の人望を集めていた。
うん、僕が知る長老達の中では、まだしも一番話し易い相手である。
「あぁ、これは、旅の邪魔になるから自分で切ったんだよ。誰かに切られた訳じゃないから心配ないよ。久しぶり、サリックス。先達たる柳の子」
若手とはいえ、長老の一人が出迎えてくれるという事は、どうやら僕の帰還はそれなりに歓迎されてるらしい。
まさか再会の挨拶よりも先に、短くした髪の心配をされるとは思わなかったが……、そういえばハイエルフは髪の長さに五月蠅かったなぁと、ふと思い出す。
僕の言葉にサリックスは大きく大きく溜息を吐く。
なんというか、少し驚いた。
出迎えもそうだし、心配される事もそうだし、彼が僕に感情を見せるとは思わなかったし。
少なくとも僕の記憶の中にあるサリックスは、常に無表情だったから。
「……そんなに意外そうな顔をするな。私とて、同胞が外の世界より戻り、その姿を変えていたなら、心配の一つもする。君こそ、この深い森にいた頃は、もっと本性を隠していただろう」
髪を切ったくらいで姿を変えたとまで言われると、随分と大袈裟に感じるけれど、それがハイエルフの感覚だったか。
だがそれよりも、以前に集落で過ごしていた時に、ハイエルフらしくあろうと無理して振る舞っていた事がバレてたなんて……。
結構本気で恥ずかしい。
誤魔化すように笑みを浮かべれば、サリックスはもう一つ溜息を吐いた。
「やはり人払いをして正解だったな。今の君は、他の皆には些か刺激が強過ぎる。無闇に外への興味を掻き立てる結果になりかねない」
その言葉に、僕は少し納得する。
あぁ、それでわざわざ長老の一人である彼だけが、僕を出迎えに来たのか。
他のハイエルフの目に、今の僕を見せない為に。
昔の僕なら、きっとその対応に不満を抱いただろう。
だからハイエルフはつまらない、とすら思った筈だ。
でも今は、そうする理由も理解ができた。
ハイエルフが安易に外の世界に出れば、周囲への影響が大き過ぎる。
また数の少ないハイエルフが拡散して生きれば、何かの拍子に命を落とす事だってあるだろうし、種の存続も危うくなろう。
「あぁ、誤解させたくはないのだが、楓の子よ。私は、君が深い森の外に出た事を、咎める気はない。君に関しては仕方がないと理解しているし、前例もある。……まぁ、ついてくるといい」
しかし続くサリックスの言葉は、僕にとって実に意外なものだった。
ハイエルフが外への興味を示さないように生きる理由が理解できるだけに、何故、僕を例外とするのか、それがわからない。
ましてや前例があるだなんて、何の冗談なのか。
いや、ハイエルフの長老が冗談なんて言う筈はないけれど、だってそんな、それはあまりにも僕にとって都合が良すぎる話だから。
背を向けて歩き出した彼の後を、僕は慌てて追う。
深い森、僕の生まれた場所。
ハイエルフ、僕の同胞。
どうやらこの場所や、ハイエルフという存在には、まだ僕の知らない何かが、……もしかしたら沢山あるのだろうか。
「そういえばさ、他の四人の長老は? 折角帰って来たんだから、挨拶したいんだけど。ほら、手土産も一応はあるし、さ」
歩きながら、僕はふと気になって、前を行くサリックスに尋ねた。
小言が飛んで来るのはわかってるから、進んで会いたい訳じゃないけれど、だがその覚悟は済ませてる。
どうせ会うなら、この覚悟が途切れない間に願いたい。
だがサリックスは僕の言葉に振り替える事もなく、
「あぁ、彼らは先に精霊となり、世界に散った。今では私が最年長の長老だ。彼らは君の事を気にしてたから、もしかすると会いに行ったかと思ったが、巡り会わなかったのだな」
先に進みながらそんな言葉を口にする。
そうか。
……百年近くも経てば、そんな事もあり得るのか。
ハイエルフとしての時にも、やがては終わりの時はやってくる。
けれどもそれは一般的に言う死とは違い、その先には精霊としての時間が待っているらしい。
しかしあの長老達が精霊か。
全く想像が付かなかった。
そうなった姿を見れずに残念に思う気持ちと、精霊になってまで小言を重ねられるのは堪らないって気持ちが半々だ。
「そう、あの人達なら今の僕を見付けても、呆れて何も言わずに去ってしまったのかもしれないね」
精霊としての時間がどんなものか、今の僕には想像する事は難しい。
やはり髪を切ったのがいけなかったのだろうか。
旅の邪魔になるとはいえ、括る程度にしておけばよかったのだろうか。
他にも腰に剣をぶら下げてるし、干し肉を齧ったりもしていたし。
……あぁ、自分でも驚く話だが、僕は長老達が精霊として旅立ってしまったと聞いて、少し寂しく感じてる。
「ふむ、楓の子。君は少し彼らを、いや、私も含めて誤解しているようだな。しかしそれも仕方ない。我々は君に、何も説明していなかったからな」
だがサリックスは僕の言葉にこちらを振り返り、首を横に振る。
一体どういう事だろう?
僕が長老達、……いや、元長老達に関して何を誤解していて、彼らが一体何を僕に説明していなかったというのか。
疑問に思うけれど、サリックスはそれからは何も語らずに、黙々と歩く。
ずっとずっと、何時間も。
もう……、そう、そうだった。
ハイエルフは、特に長老達は何時もこうだ。
思わせぶりな言葉を口にする癖に、肝心な事は語らずに、しかし突然思い出したかのように続きを喋る。
でももしかして、僕も人間やドワーフ、そのほかの森の外の種族達には、同じ風に思われてたりするのだろうか。
少し焦れったく思いながらも、彼の後を付いて辿り着いたのは、一本の大きな霊木の下。
流石に扶桑樹程ではないけれど、このサイズの霊木は、深い森の外ではお目に掛かれない。
「ふむ、まぁここならいいだろう。そう急くな、エイサー。楓の子よ。こうして戻って来たのだ。君にも用事はあるだろうが、ゆっくり話をする時間くらいはあるだろう?」
サリックスはその根に腰掛け、それから僕を手で招く。
ハイエルフの時間感覚でゆっくり話を、なんて言われると少し構えてしまうけれども……、いやまぁ確かにそうだ。
焦る必要は何もない。
僕も彼に倣って根に腰掛ければ、霊木の力強さに触れ、自然と心も落ち着いた。
折角の里帰りなのだ。
聞きたい事も沢山あるし、腰を据えて話をするのも悪くはない。
もちろん黄金竜を相手にした時みたいに話だけで何年も掛かるとなると、流石に少し困ってしまうが。
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