第206話


 酒を命の水だと、最初に言ったのは誰だろうか。

 僕も酒は好きな方だが、流石にそれは大袈裟に思う。

 しかし本気で、酒こそが命を繋ぐ水なのだと、そう考える人、というか種族もいる。

 もちろんそれは、ドワーフ達だ。


「同胞に」

「兄弟に」


 僕の手にはドワーフの国で造られた酒精の強い蒸留酒が入ったジョッキ。

 そして周囲を取り囲むのは、ルードリア王国に、それからエルフの森に、取引にやって来ていたドワーフの交易隊のメンバー達。

 そう、以前に北方の、フォードル帝国に赴いた時に、同行して知己を得た、気心の知れた顔ぶれだった。


「乾杯!」

 そう言って僕らは、木のジョッキをぶつけ合う。

 ドワーフが造る蒸留酒が人間の国に出回る事は滅多にない。

 これは彼らが僕と飲む為に、わざわざドワーフの国から、荷を増やして持ち込んでくれた物である。


 同胞として認められた覚えはあるが、兄弟になった事はないなぁとか、少し思わなくはないけれど、突っ込むのも野暮な話だ。

 久しぶりの蒸留酒が、喉を焼きながら胃へと落ちていく。

 これだけの強い刺激を受ける飲食物は、この世界にはそうはない。


「おぉ、エイサーさんよ。相変わらずエルフとは思えない飲みっぷりだなぁ。いや、エルフの連中も付き合ってみれば面白いのもいるけどよ。やっぱり俺達と飲めるエルフは、アンタくらいだよ」

 ぷはぁと、酒臭い息を吐き出せば、周囲のドワーフ達が肩を叩いてくる。

 相も変わらず陽気で気の良い連中だった。


 彼らの話によると、どうやらエルフとドワーフの交易は、今のところは非常に上手く行ってるらしい。

 エルフとドワーフの交易の基本的な形は、まずこのルードリア王国にあるエルフの集落、ミの森の集落がドワーフの交易隊と取引を行う。

 そこでミの森の集落が得た品を、エルフのキャラバンが各地に運び、他の集落にも届けている。

 その道中に、人間相手の商売も行いながら。


 ただ最近では、ドワーフの交易隊が、或いはエルフのキャラバンが運ぶ量だけでは需要に追い付かず、交易の拡大も計画されているそうだ。

 例えばドワーフの交易隊とは別に、ミの森のエルフ達がドワーフの国を訪れて取引をしたり、エルフのキャラバン以外にも、森と森との間に流通の手段を設けたり。


 そうなると、うん、とても面白い。

 今でも、ミの森は流通の中継点となった事で、エルフの集落としてはの話だが、とても賑やかになっているとか。

 僕も一度、ミの森の集落を訪ねてみようかと、そう思う。


 でもそれは、もう少し先の話だ。

 それよりも暫くは、今日、ドワーフの交易隊が運んで来てくれた荷、ドワーフの国で生産された玉鋼を用いた、刀の試作が待っている。

 そう、僕がこのルードリア王国に戻り、ドワーフの国に玉鋼の生産を頼んでから、もう一年が経っていた。



 大陸の中央部の情勢は、少しずつ安定を取り戻す方向に向かいつつあるらしい。

 ズィーデンの拡張は完全に止まり、ヴィレストリカ共和国との小競り合いも殆ど起きなくなったそうだ。

 エルフのキャラバンとの交渉の結果、ズィーデンの拡張を主導していた首脳部は刷新され、国の方針変更が行われたのだとか。


 もちろん以前と同じに、元通りになんて、決してなりはしないだろう。

 死んだ人は蘇らないし、ズィーデンとてカーコイム公国に攻めこんで得た領土の全ては手放さない。

 それを手放す事があるとするなら、ズィーデンが大きな戦争に大敗した場合くらいだった。

 地を朱に染め、骸を山と積み上げて、地図の形を少し変えたところで、一体何が楽しいというのか。

 一度起きた変化は、なかった事になんてならないのだ。


 地図の形を変える為の戦争を、周辺国は望まなかった。

 ルードリア王国も、ヴィレストリカ共和国も、小国家群も。

 カーコイム公国は旧領の復帰を望んでいるかもしれないが、既にヴィレストリカ共和国の属国となっているのだから、その意向には逆らえない。


 まだエルフのキャラバンを通してだけれど、各国の交渉は始まっている。

 戦いの場は、弓や槍で血を流す前線から、政治の世界へと移ったのだ。

 暗黙の了解を破って戦争を始め、なのにその戦争を続けられなくなったズィーデンは、周辺国家に大きな弱みを晒した。

 他の国々はズィーデンにその責を問うだろう。

 賠償金や領土の割譲、その他にどんな条件を押し付けるのかは、政治に疎い僕にはさっぱりわからないが。


 やりすぎればズィーデンは苦しみと不満という火種を抱え、それが次の戦争に繋がりかねない。

 ……でもまぁその辺りの調整は、間にエルフのキャラバンが、アイレナが挟まっているのだから、きっと上手くやる筈だ。


 そういえばズィーデンの脅威が薄れた事で、小国家群は戦力を集結させてダロッテの軍を押し返し始めたとか。

 戦いの終結にはまだまだ時間が必要だろうが、一つの山は越えた筈。

 尤も小国家群内に広がり始めた、アズェッダ帝国の復活を望む声は恐らく消えはしないだろう。


 先程も言ったけれど、一度起きた変化はなかった事にはならず、自らの生活が脅かされた民は、安定を与えてくれる強い国を望む。

 大陸の中央部の情勢は、これからも変化をし続け、その先は見通せない。


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