第195話
エルフの集落に吹いた先触れの風は、僕にもはっきり感じられた。
精霊が吹かせる風は、そのイメージを伝えるエルフ、或いは精霊術師によって少しずつ違う。
特徴、と呼べる程に明確な物ではないのだけれど、本当に親しい相手であればわかるくらいの、ささやかな癖のような物。
そしてこの風の柔らかさ、風が運ぶ匂いには、僕はハッキリと覚えがある。
来訪するのは、そう、エルフのキャラバンだ。
今、この風を吹かせたのは、間違いなくアイレナだろう。
大陸の東部への旅立ちの時に別れてから、まだ二十年も経っていないのに、懐かしさに思わず笑みが浮かぶ。
先触れの風には、訪れる者の実力を報せる意味もあり、これが拙ければ侮られてしまう。
その点、アイレナの先触れの風は一流で、それを受けた集落のエルフ達は丁重な出迎えの準備を始めた。
森の外で活動するエルフのキャラバンが、エルフという種族の窓口、つまりは代表として振る舞えるのは、アイレナがエルフの中でも飛び抜けた実力の持ち主であるところに依るものが大きい。
七つ星の冒険者として知名度、国を相手に交渉を積んだ経験と胆力、森のエルフも認めざる得ない実力。
その全てを併せ持つからこそ、アイレナは今の役割を果たせてる。
だけどいかにエルフとて、永遠に健在である訳では、決してない。
彼女が己の役割を誰かに託したいと思った時、それを引き継げるエルフは、果たして現れるのだろうか。
……或いは後継者が現れるように、キャラバンに所属するエルフに精霊術の手ほどきをするのが、散々世話になってるアイレナへの、僕なりの手助けになるかもしれない。
自分で言うのも何だけれど、精霊の力を借りる方法を教える事は、僕は割と得意であるから。
まぁそれも、今の状況が落ち着いてからの話だ。
状況の変化や思い付きで、僕の予定は割とコロコロと変わるから、先にあれこれ考え過ぎても仕方ない。
僕は旅立ちの為に荷を纏めながら、彼らの到着を待つ。
「エイサー様、この言葉を言うのも、もう何度目にもなりますが、お久しぶりです。そしてお帰りなさいませ。無事に帰還された事、誠に嬉しく思います」
周囲に集落のエルフがいるからか、少し硬めの、アイレナの挨拶。
でもその声色、表情からは、彼女が本当に僕の帰還を喜んでくれている事が、ありありと伝わって来る。
あぁ、でも確かに、アイレナに久しぶりって言って言われるのは、これで何度目になるだろうか。
そんな風に考えると、何だか少し面白い。
多くの物が移ろい、変われど、そんなに大きくは変わらずにいてくれる人とも、こうして時々会ってるのだ。
「久しぶり。それから、ただいま。うん、楽しい旅だったよ。色々と面白い物も見れたし、探し物のヒントも得られた」
僕の言葉に、アイレナは笑みを浮かべて頷く。
探し物と、敢えて伏せて言ったけれども、その意味は伝わっただろうか。
彼女の求める白の湖に繋がるヒント、巨人の存在の一端に、僕が触れて来たって。
……いや、幾ら察しが良くても、そこまでの成果があるなんて、思いも寄らない筈。
早く話して驚かせたい。
それから預かってくれているだろうウィンの手紙を受け取って、その話もしたかった。
だけど今は、それよりも別に、話すべき事がある。
「でもその話は後にして、これからの話をしようか」
そう、今話すべきは、ズィーデンに対するエルフとしての対応だ。
今ならエルフは、ズィーデンに対して強気に出れた。
エルフの森に対する不干渉、キャラバンの国内での活動許可は当然として、他にも幾つかの条件を飲ませられる。
もちろんそれは、僕とアイレナだけで決める事じゃないし、突っ立ったままに話す内容でもないだろう。
この集落の長老や、他の森のエルフとも協議の必要があった
けれども、だからこそ僕は、その前にアイレナに、自分の意思を伝えたい。
彼女なら僕の心を、間違いなく最大限に汲んでくれるから。
森のエルフ達は、結局のところは森の外には興味が薄いのだ。
自分達が巻き込まれず、森が穏やかで静謐であれば、森の外で何が起きていようが、関係はないと思ってる。
僕が言えば、彼らも従ってはくれるだろう。
だがそれは、森のエルフ達の意思ではない。
「アイレナ、僕は今の、大陸の中央部を憂いているよ。僕の大切に思う場所や、関わった人達の子や孫が、踏み躙られてしまうかもしれないこの状況が、不安の立ち込める空気が、嫌だ」
でもアイレナは、彼女自身の意思で、僕の気持ちを汲んでくれるから。
たとえ十数年ぶりの再会であっても、僕はアイレナを信頼している。
そして僕の言葉に、彼女は頷く。
「承りました。私も同じ気持ちです。既に切っ掛けはエイサー様が作って下さってますから、それを最大限に活かしましょう」
その口から出た返事は、頼もしいものだった。
当然ながら、全てをアイレナ任せにする心算はない。
エルフ側の意見を纏めるには、僕が一緒の方が早いだろう。
他にも、ハイエルフとしての力が必要なら、僕は動く。
ただその使いどころを、彼女は間違いなく心得ているから。
大陸の中央部に戻って来てからずっと心の片隅に巣食っていた不安と緊張。
それが晴れていくこの感情は、間違いなく安堵だった。
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