第194話
「エイサー様、知ってますか? この木の実は殻を割ると食べれるんです!」
勢い込んで教えてくれるエルフの少年、シーズに対して、僕は笑みを浮かべて頷く。
もちろん知ってる。
仮に知らなくても木々が教えてくれるから、森の案内とか本当は必要ないのだけれど、子供の親切を切って捨てる程、僕は無情じゃない。
彼は僕の世話係を自認してるらしいが、集落のエルフ達の間では、僕の方が子供と遊んであげてるって認識だ。
実際、シーズ以外の集落の子供も交えて遊ぶ事も少なくはない。
ズィーデンの王都で、僕が門を岩山で塞いでからそれなりの時、およそ一年に少し足りない程度が経ち、季節もくるりと一巡した。
あの後、どうやら余程に驚いたらしいズィーデン側から、各地のエルフの森に対して話し合いを求める使者がやって来たという。
恐らく僕が正体を隠したまま、向こう側に一切姿を見せずに行動したのが効いたのだろう。
突如として町の門を岩山で塞げるなら、もしかすると同じように王城を岩山で押し潰せてもおかしくないと、ズィーデン側も脅しを正しく認識したのだ。
しかしエルフ側の返事は一貫して、話し合いがしたければキャラバンを通せといった物で、ズィーデンとの話し合いには応じない。
するとエルフとの話し合いを纏めなければ安心できないズィーデンは、国外にいるエルフのキャラバンを、自国に招くより他になくなる。
そしてそれは、ズィーデンが他国に対して見せる、初めての弱気な姿となった。
自ら招く以上、ズィーデンはエルフのキャラバンに対して、様々な譲歩をせざる得ないだろう。
何しろエルフのキャラバンは生きてる年月が長い分、並の人間以上に、彼らの社会に精通してる。
まぁそれで今の、争乱の全てが解決する訳ではないだろうけれど、ズィーデンの動きは間違いなく鈍くなる筈。
実のところ、こんな風に上手く転がるかは、多少だが賭けの要素があった。
エルフを脅威に感じ、焦ったズィーデンが森を攻める可能性も、全くの皆無ではなかったから。
当然、そうなれば僕が先頭に立って、なるべく犠牲を減らす形で戦う心算だったけれど、要らぬ手間が掛からなかった事は、素直にありがたい。
僕はクルミの殻を割ろうと四苦八苦してるシーズから、そのクルミを取り上げて、更にもう一つ、クルミの実を拾う。
エルフの握力では、道具も使わずにクルミの殻を無理矢理に割るのは、かなり難しい。
恐らくシーズは大人のエルフがクルミを割ってるのを見て、自分にもできると思ったのだろうが、これは意外とコツがいるのだ。
クルミの殻は、よく観察すると分かるのだけれど、柔らかい部分と硬い部分があった。
この二つを合わせるように持ち、両手で強く握れば、硬い部分が柔らかい部分を割ってくれる。
つまりもう一つのクルミを、殻を割る為の道具として使う。
尤も僕は、鍛冶やら剣術を習得してるお陰で、並のエルフよりはずっと握力が強い。
故にこんな小細工をせずとも強引に殻を砕けなくはないが、今はシーズにクルミの割り方を教えてやりたかったから。
もちろん本当は一番良いのは、素直に道具を使う事だけれども。
だって以前とは違ってエルフの森にも、少しずつだがドワーフ製の、魔物の牙や爪を加工した道具が入ってきてる。
例えばドワーフ製のナイフを使えば、クルミなんて簡単に殻ごと二つに切れるのだ。
僕が割れたクルミを手渡せば、シーズの表情は複雑だった。
感心と、不満が入り混じった顔をしてる。
あぁ、どうやら彼は、自分がクルミを食べたかった訳ではなく、割って僕にくれる心算だったらしい。
まぁまぁなんとも可愛らしい話だ。
懐かれてる理由はハイエルフだから、というのが大きいのだろうけれど、それはもう気にしても仕方がない話である。
こんな風に森で過ごすのも、後もう僅かだろう。
ズィーデンから招きを受けたエルフのキャラバンがやってくれば、僕は彼らと合流する。
そうなればこの森とも、シーズともお別れだった。
エルフの寿命は長いから、それが今生の別れという訳ではないかもしれないけれど、再び会う日が何時になるかはわからない。
エルフのキャラバン、アイレナとの情報共有が終われば、僕はルードリア王国に向かう予定だ。
カエハの墓にも、そろそろ参りたいと思ってるし。
その後は、一体どうしようか。
アイレナから受け取るウィンからの手紙次第では、西に向かうかもしれないし、そうでなければ……、あまり気は進まないのだけれど、プルハ大樹海の奥、深い森に一度戻るか。
僕の予想では、巨人の世界である雲の上に行く手段、不死なる鳥は、あの深い森に眠ってる。
ハイエルフの長老の小言はあまり聞きたくないけれど、アイレナを雲の上に、白の湖に連れて行くって約束を果たそうと思うなら、一度は戻らなきゃならない。
不死なる鳥に会わせて貰う為の、交渉の手土産は、仙桃だ。
他の場所ならともかく、深い森でなら、仙桃の種を植えれば芽吹き、新たな霊木が育つだろう。
ハイエルフの長老も、新しい種類の霊木が手土産となるなら、僕の願いを聞いてくれる可能性は十分にあった。
……もちろんそれでも、気が進まないものは気が進まないのだが。
いや、もうわかってはいるのだ。
色んな場所を旅して、色んな物を見て、色んな人に会って、ハイエルフの長老の言葉は概ね間違っておらず、あの生活も、この世界を無闇に乱さない為の生き方であったのだと。
だけどそれに反発して出ていった以上、頼み事があるからって顔を出すのは、何というか、そう、気まずい。
教えた通りに二つのクルミを握り、顔を真っ赤にしてるシーズを見て、僕は思わず笑みを浮かべる。
まだ成長し切っていない子供の手の大きさ、握力では、コツを知っても苦戦するのだろう。
まぁ先の事は、先になってから考えるとしようか。
まだまだ大陸の中央部の争乱だって収まっていない。
もう暫くは、事の行く末を見守ろう。
僕の手が必要になる事態も、もしかすれば、あるかもしれないのだし。
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