第193話


 エルフの集落を出て、森を抜け、僕が向かうのは西のルードリア王国……、ではなく、予定を変更してこの国、ズィーデンの王都だ。

 どうやら今の状況は、僕が思ってた以上に時間がない。

 ズィーデンがエルフに兵の供出を求めたのは、当然ながら戦力を欲してだ。

 そして強引であっても戦力を欲するのは、その使い道があるからだろう。


 つまりズィーデンは、もう次の動きを予定している。

 それがヴィレストリカ共和国との大きな戦いか、小国家群への侵攻か、或いはルードリア王国との戦端を開くのかはわからないが、何らかの動きを決めている筈。

 もしかすると、エルフから戦力を得られない事に怒り、森の一つや二つを見せしめに焼こうとする方が先かもしれないが、……いずれにしても僕にとっては不快な話だ。


 大陸の東部を旅して学んだのだが、僕がやりたい事、やるべきだと思えてしまう事、そして実際にやらねばならない事は、それぞれ違う。

 自身が本当にやりたいと思ったならば、それはやるべきだ。

 自分の心の欲するままに、一個の生き物として、自らの範疇で動く。

 そこに関しては、僕は我儘で良いと思ってる。


 だけどやりたくもないのに、できるからやるべきだと考えて動き続ければ、やがて僕は道を誤り、それに気付けもせずに、生きる災厄と化すだろう。

 ハイエルフはあまりに強く、多くの事ができてしまうからこそ、そこを勘違いしてはならない。

 深い森の奥でゆるゆると過ごす同族達は、今にして思えば正しかった。

 実際にハイエルフが先頭に立って何かを成さなきゃいけない事態なんて、この世界には殆ど起きないから。


 しかし僕にはあんな風に生きる事はできなかったし、今からだってできやしない。

 それと同じように、思い入れのある場所で、思い入れのある人やその子孫に、降りかかろうとする惨劇を、見過ごしたくもなかった。


 街道を通らず野を歩き、橋を使わず川の水面を歩いて渡り、僕は真っ直ぐにズィーデンの王都を目指す。

 人間は、恐らく今のこの世界で最も栄えてる種族だけれど、それでも彼らの領域は限られている。

 松明や蝋燭、燃やした油の灯りは頼りなく、夜は未だ人間に征服されていない。

 自国の領土だと言い張ってみても、街道から逸れた場所に目は届かないし、その街道でだって、時には獣の群れに襲われる事もあるのだから。

 ハイエルフである僕がその気になれば、人間の監視の目は、幾らでも掻い潜れる。

 たとえそれが、この国で最も人の集まる王都の間近だったとしても。



 歩き続けて数週間、更に日が暮れてから漸く辿り着いたズィーデンの王都は、開けた平野部に築かれた巨大都市。

 街道を通すのに向く、商業や政治的な機能等の利便性を重視した、王都だった。


 月明かりに照らされた王都の城壁は、まだ随分と新しく見える。

 合併してズィーデンとなる前のザインツとジデェールには、当然ながらそれぞれに首都が、王都が存在していた。

 例えば旧ザインツの首都は、以前にも一度訪れた事のあるスゥィージだ。

 ただ合併に際して別の新たな王都を建設し、それぞれの元首都、元王都は副都と呼ばれているという。

 そして僕が目の前にしてるのは、当然ながらその新しい王都だ。

 まぁ本当にこの国をどうにかしようと思うなら、政治的な機能を残す二つの副都も抑える必要があるのだろうけれど、今の僕にそこまでの心算はまだないから。


 ただ平野部の都市は、利便性が高い反面、攻め込まれた時の防衛力に欠けるきらいがあるそうだ。

 ズィーデンの王都もその例に漏れず、都市を高い城壁で囲ってはいるものの、山岳都市に比べればずっと攻め落とし易そうな印象を受ける。


 これはよろしくない話だった。

 普通の国の王都ならともかく、周辺国に争乱という名の緊張を振り撒くズィーデンの王都がそんなにも無防備では、あまりにも不用心だ。

 住む民だって要らぬ心配をしなければならない。

 という訳で、僕は今から親切にも、あの王都の防衛力を高めてあげようと思う。


 王都への門は既に閉ざされ、城壁の上を松明を掲げた見張りの兵士が歩いてる。

 僕はその見張りの兵士に発見されない、ギリギリの場所まで近づくと、心を落ち着けて地に手を突く。


 今から行う精霊への頼み事は、単純だが規模が大きく、また意外と繊細だ。

 だけど僕は以前、あの黄古帝国で古の真なる竜、黄金竜と語り合ってから、間違いなく精霊との距離も近付いていた。

 だから恐らく、うん、上手くやれるだろう。


「地の精霊よ」

 イメージを浮かべて、精霊への呼び声を発する。

 地より生み出すは、山。

 峻厳たる山々が連なる山岳地帯程の規模ではなくとも、人が越えるのに多少は苦労をしそうな高さ、百メートルか二百メートル程の、硬い硬い岩の山。

 それをこの辺り一帯、城門にギリギリ接しない程度の範囲まで、地より生やす。


 当然、これ程の山が生えれば、大地は大きな音を立てて揺れてしまう。

 しかしその音や揺れも、僕が地の精霊に頼み込み、ごくごく僅かな物に、殆ど無にまで抑え込む。

 以前の僕なら山は生み出せても、同時に揺れと音を抑える事までは難しかったと思うけれども、……うん、上手くやれてる。


 もちろん突如として山が生えれば、どんなに揺れと音を小さくしたところで、見張りの兵士が気付かぬ筈がない。

 すぐに大騒ぎになって、人が押し寄せてくるだろう。

 だがそれでも、直接の音や揺れで騒ぎが起きるより、ほんの少しの猶予がある。

 まだまだこれで終わりじゃない。

 僕は岩山から滑り降りると、走って次の門を目指す。


 ズィーデンの王都は四角く城壁に囲まれており、出入り口となる門は東西南北の計四つ。

 先程塞いだのは東門で、次に向かうのは南門だった。

 恐らく南門も塞げば、異常事態の最中でも、誰かは僕の狙いが門の封鎖であると気付く。

 だからどんなに急いでも、身を隠しながらでは西門を塞ぐまでが精一杯だ。


 でもそれで十分である。

 そもそも僕は、ズィーデンの王都を完全に包囲し切ってしまう心算はなかった。

 三つの門を塞げば、何時でも完全な包囲が可能なのだと知って貰えれば、それ以上に追い詰める必要はない。

 脅しとしては適度だろう。


 過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 仮にすべての門を封鎖してしまえば、王都に大きなパニックが起きたり、ズィーデンに妙な覚悟を決めさせてしまう恐れもある。

 それは僕の望む所ではなかった。


 退路を完全に断たれた人間は、時に死兵と化す。

 故に逃げ道を敢えて残して覚悟を決めさせない事が肝要と、戦術の書には記されるらしい。

 前世でそれを読んだのか、今生でそれを読んだのか、いまいちハッキリしないけれども、今はそれに倣うとしよう。


 僕は大騒ぎになっているズィーデンの王都の、合計三つの門を岩山で塞ぎ、今度は来た道を逆に、森を、エルフの集落を目指して歩き出す。

 まだもう暫く、この国の動向は、内側に留まって見守る必要があるだろうから。


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