十九章 変わるもの、変わらぬもの 後

第190話


 小国家群から国境の森を抜けてズィーデンへと入った僕には、……まぁ一応は封鎖された国境破りをしている身なので、人里に近寄るリスクは高かった。

 そもそもズィーデンが旅人に対して、或いはエルフに対してどんな態度を取るのか、いまいち正しい情報がなかったし。

 一応の噂話くらいなら聞けたのだけれど、小国家群で聞くズィーデンの噂は、どうしても負の偏りを帯びている。

 そりゃあ小国家群の民からすれば、ズィーデンは大陸中央部の安寧を乱したばかりか、何時攻め込んで来るともわからない敵国なのだから当然だろう。


 だけど負の偏りを帯び、更には恐怖と不安からくる憶測すら混じった噂は、決して鵜呑みにできる物じゃない。

 今後、僕が今の状況に関与するにせよ、このまま黙って見守るにせよ、判断するにはもう少しばかり色んな方向から見た情報が必要だろう。

 僕には察しも付かないが、ズィーデンにはズィーデンなりの、そうするべき事情や理由があったのだろうし。


 もちろん侵略された側、その過程で被害を受けた人からすれば、そんな事情や理由は知った事ではない筈だ。

 齎された破壊に、脅かされた生活に、恨みは今も広がり続けてる。

 ただその恨みに、僕が引っ張られるべき理由はない。


 僕が自分の力を行使するなら、それは自身の恨みや怒りといった感情、或いは信条の為であるべきだった。

 他にも、親しい人達を守る為とか。

 あぁ、その点ではジャンぺモンやルードリア王国に関しては、晒されている脅威を取り除きたいって気持ちはある。

 ズィーデンという国を滅ぼしてまで、とは今は流石に思ってないが……、うぅん。

 どうやら僕は、今の状況を何とかしたいとは思ってて、どうすべきかで悩み、迷っているらしい。

 以前はもう少し、力を使う事に対して躊躇わなかったような気もするのだけれども、大陸の東部の旅を経て、僕は何かが変わったのだろうか。


 考え事をしながらも足を止めずに向かう先は、この森にあるエルフの集落。

 それも森の規模から考えると、恐らくは霊木を有さない、つまり精霊の力を借りた結界に守られていない小さな集落だ。


 エルフは基本的には森の外に対してあまり興味を持たないが、その程度は森の規模、精霊の力を借りた結界の有無に左右される。

 大きな森なら、そもそも森の中心に人間が迷い込んで来るケースはまずあり得ないし、意図的にエルフの集落を目指そうとしても、結界に惑わされて辿り着けない。

 しかし霊木を有する程に大きくない森では、狩人がうっかりと森の中心近くまで迷い込んだり、或いはエルフの集落を人間の軍が攻めるなんて事も起こり得た。

 そう、もう数十年も前の話だけれど、ルードリア王国の貴族が……、確か伯爵か侯爵辺りだったと思うけれども、エルフの集落を襲ったように。


 故に然程に大きくない森に住むエルフ達は、自ら積極的に関わろうとはしなくとも、ある程度は森の外への警戒心を持って生活してる筈だった。

 森の奥に迷い込んだ狩人を、集落に近寄られる前に追い返して、自分達が生活する場所を知られぬように隠蔽したりと。

 ならば或いは、この森のエルフならば、ズィーデンに起きてる変化に対して、何かを感じ取っているかもしれない。

 もちろんそれは、もしかしたら、くらいの淡い期待ではあるけれども。


 またこの森や付近の森に、エルフのキャラバンがどのくらい前に訪れたのかくらいは、最低でも知れるだろう。

 エルフのキャラバンは果実を仕入れに森に立ち寄るから、彼らがズィーデンを通ったなら、何れかの集落には取引と挨拶の為に訪れている筈。

 その時期が仮に最近であったなら、エルフのキャラバンはズィーデンを通行しており、今もこの国はエルフに対しての対応を変えていないという事になる。

 つまり僕が町を訪れても、恐らく問題はない。


 でもエルフのキャラバンがズィーデンを長らく訪れてないのなら、やはり町には近寄るべきじゃないだろう。

 ……どうしても用がある場合は、こっそりと夜陰に紛れて忍び込む手もあるけれど、それは割と最終手段だ。



 森の中心が近付いて来た辺りで、僕は風の精霊に言伝を頼む。

 挨拶もなしにエルフの集落にこれ以上近付けば、彼らを無用に驚かせる。

 それは人間でいえば、ノッカーも鳴らさずに他人の家に踏み込む失礼に等しい。

 風は森の中を駆け抜けて、木の葉がザワザワと音を鳴らす。


 エルフ達は恐らく、いや、間違いなく僕を賓客としてもてなそうとするだろう。

 たとえ僕がそれを不要だと告げても、逆に気を遣わせてしまうだけ。

 だからこそ尚更に事前の挨拶と、向こうが準備を整える時間は、必要だった。


 あぁ、然程に大きくない森だと連呼してるが、それはエルフの基準、霊木が存在する規模の森であるかどうかで判断してるから、人間からすればここも十分に大きな森だ。

 木々の放つ香りは濃く、そこら中に野生動物の気配がある。

 穏やかで豊かな、良い森だった。

 もちろん豊かな森には、相応に狂暴な魔物だって棲んでるだろうけれども、今のところは近くに潜む様子はない。


 そして間もなく、戻って来た風が僕に伝えたのは、集落からの歓迎の意。

 僕は一つ頷き、再び歩き出す。


 こちらからの手土産は、やはり仙桃がいいだろう。

 黄古帝国でしか手に入らない、こちらのエルフが知る物とは別の、霊木の実。

 相手もエルフである以上、喜ばない筈はないだろうから。

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