第189話


 オディーヌから西に出てズィーデンへと向かうには、幾つもの都市、つまり小国を通り抜ける必要がある。

 ただこのルートを、軍が放つ追手は恐らく予想していない。


 何故ならこれはフォッカの酒場で働いていた時に耳にした情報なのだけれど、小国家群とズィーデンの境では、互いに国境の封鎖が行われているらしいから。

 つまり普通の人間にとって、そこは行き止まりになる。

 商人達はズィーデンを通ってルードリア王国へと向かう事ができず、大きく南を回ってヴィレストリカ共和国を経由するルートを使わざる得ないと言っていた。

 でも逆に、ルードリア王国とズィーデンの国境は、警備は相当に厳しいそうだが、一応は問題なく通れるそうだ。


 この辺りは多分ややこしい事情があるのだろう。

 例えば、ルードリア王国としては当然ながらズィーデンを警戒はするが、だからといって過去の経緯から完全にヴィレストリカ共和国と手を結ぶのも躊躇われる筈だ。

 そしてそんなヴィレストリカ共和国、及びその属国を経由してしか商人が入って来れないとなると、経済的には首根っこを掴まれたも同然だった。

 故にルードリア王国としては、ズィーデンとも完全に敵対をせず交易のルートを開き、ヴィレストリカ共和国と天秤に掛ける形でバランスを保とうとしている。

 完全に僕の予想ではあるけれど、そんなところじゃないかと思う。


 決して賢い手とは言えない。

 けれどもその手を取らねば、ズィーデンを食い破って小国家群への道を開くか、ヴィレストリカ共和国を叩き伏せて海を手に入れるか、そのどちらかにしか生きる道はなかった。

 もちろんそのどちらも決して簡単ではなく、国の全力を賭しても成否は運を天に委ねるより他にないだろう。

 安易に決断できる筈がないし、またその考えに国内の貴族、民を賛同させる事にも、時間は絶対に必要だ。


 ルードリア王国が動かなければ、動かぬ大国を警戒し、ズィーデンとヴィレストリカ共和国の動きも鈍る。

 だけど生み出された均衡状態は、小康状態ではあっても平和には程遠く、日々歪みを溜め込んでいく。

 その歪みはいずれ何かを切っ掛けに弾け……、大きな戦いが起きるだろう。


 ……しかしそれは今はさておいて、この状況で重要なのは、僕が進むこの先は行き止まりである事だった。

 すると当然、オディーヌの軍は僕がこのルートを進んでいるとは考えず、放つ追手は念の為くらいの、少数となる。

 僕にとっては国境封鎖なんて、二国に跨る森を通り抜けでもすれば全く問題にならないのだけれど、それは人間には理解し難い感覚だ。

 あぁ、そもそも僕が本気で追手を振り切る気で移動すれば、人間が追い付ける筈もないという事も、同じく。


 要するに僕は、少数の追手を釣りながら移動している。

 森を通って振り切らず、敢えて向こうが追い付いて来れる程度の速度で、西に向かって旅をしていた。


 実はオディーヌを出る際は、追手が来てくれれば鬱憤を晴らせるくらいに考えていたのだけれど、少し頭が冷えて来ると、その追手そのものに興味が湧いてきたのだ。

 オディーヌの軍は、僕がハイエルフである事は知らない。

 だがエルフでありながら魔術師でもあるとは、間違いなく把握している。

 つまり一般の兵士を追手とした所で、捕まえたり殺す事が難しいと、オディーヌの軍は理解をしてる筈。


 そうであるならば追手には、当然ながら精鋭を選ぶだろう。

 例えば魔術師であったり、或いは、そう、魔道具を使っての戦闘訓練を受けた、特別な兵士を。

 もちろん僕が興味のある追手とは、その後者だった。


 その特別な兵士がどの程度に手練れなのか、どんな魔道具を使うのかを見れば、結果的に僕はカウシュマンの遺した物をこの目にできる。

 オディーヌに来た目的は達成できると、そんな風に考えたから。


 旅の最中に立ち寄った町で、酒場で夕食を取った後の、宿への帰り道。

 風の精霊が発した警告に、僕は思わず唇を歪めて笑みを浮かべる。

 当然ながら酒は、この瞬間の為に、一滴も口にはしていない。



 次の瞬間、飛来したのは一本の矢。

 でもその勢いは尋常じゃなく強い。

 張力の強い弓を使っていた草原の民ですら、こんなに強い矢は放たなかったというのに。


 しかしどんなに威力が強くて速い矢でも、飛来する方向、タイミングさえわかれば避けられる。

 そしてその全てを風の精霊が教えてくれる僕に、並の腕で矢を当てる事は不可能だ。

 咄嗟に身を翻した僕の隣を、矢は物凄い勢いで通り過ぎ、傍らの建物の石壁に当たって砕き、砕けた。


 そう、砕いただけでなく、砕けたのだ。

 貫通するでなく、一方的に壁を砕くでなく、矢自体も砕けてしまう。

 これは放たれた矢は、勢いは兎も角として、物自体は普通の代物である事を意味してる。

 あぁ、実に面白い。


 矢が飛来した方向に目をやれば、弓を手にした、外套を纏った男の姿が、濃い闇を纏って夜闇に紛れた。

 多分それも、魔道具の力だろう。


 一目でもその姿を目にできたから、薄っすらとではあるが相手の能力は察しが付く。

 まず矢を放ち終わってから姿を消した事から判断すれば、追手が、少なくともさっきの男は、同時に一つの魔道具しか使えない。

 攻撃手段は、弓の魔道具。

 恐らくは矢を放つ瞬間に、弓に魔力を流して術式を発動させ、強い剛性を与える。

 すると必然的に張力は増し、放たれる矢は人の手によるものとは思えぬ程に強力になる仕組みだ。


 次に闇を身に纏ったのは、外套が魔道具として機能したのだろう。

 だが時に風に靡いてしまう布地は、刻まれた術式の形が変化して、安定した発動が望めない。

 故に金属のプレートか何かを内側に仕込み、そこに術式を刻んでいるのだと推測ができた。

 あぁ、いや、外套全体が同時に闇を発生させたようにも見えたから、プレートは一枚じゃなく複数枚が等間隔で仕込まれている筈。

 またその複数枚のプレートは、妖精銀のような魔力を通し易い金属か、魔物の骨辺りで繋がれて、一つの魔道具として機能したのだと思われる。


 いや、流石はカウシュマン。

 やるじゃないか!!!


 闇の中から湧き出すように現れた別の追手が振るう刃を避けながら、僕は心の中で喝采を送った。

 襲撃を仕掛けてきた追手の数は四人で、彼らが使う魔道具は、どれも僕が想像した以上に高度な物ばかり。

 もちろんその全てをカウシュマンが生み出した訳ではないだろうが、それでも間違いなくそこに繋がる基礎は、彼が築いて定着させたのだろう。

 やっぱりカウシュマンは、僕の師にして弟子にして悪友は、凄い奴だ。

 たとえ襲撃を受けてる最中でも、それが僕には堪らなく嬉しい。


 あの弓の魔道具は間違いなく扱い難い筈だが、それでも追手の射手が放つ矢は、一応は僕に命中するコースを飛んで来る。

 僕目掛けて振るわれる刃は、刀身がバチバチと雷光を放ってて、当たれば硬い金属鎧を纏った相手であってもダメージを与え、場合によっては殺すだろう。

 よく訓練された使い手が使いこなす魔道具。


 これなら確かに、軍だって秘匿、独占して他国に情報が洩れる事を恐れる訳だと、納得できた。

 まぁ魔道具である以上は使い手も限られるし、その少ない使い手で戦局を変える程の性能は、どうやらまだまだなさそうだけれども。

 ついでに言えば、僕を捕らえたり殺す事も、彼らの力ではどう頑張っても不可能だ。

 仮に僕が精霊の力を借りなかったとしても、同じ結果になるであろう程度に。


 面白いし可能性も感じるが、七つ星の冒険者のように、僕の命に迫れるだけの力はまだない。

 このまま魔道具の技術が、使い手の技量と共に進化し続ければ何時かはそこに届くかも知れないが、カウシュマンの居ないオディーヌにそれが成せるかどうかは、不明だった。


 ではそろそろ、無力化しようか。

 魔剣を使って斬ってしまうと、外套の魔道具が駄目になってしまう。

 それから一度に全員を倒さないと、うっかり一人や二人には逃げられかねないから、ここはやはり精霊の力を借りて一網打尽にするのが望ましい。

 だって僕は彼らが使う全ての魔道具に興味があるから、できれば全員の身包みを剥ぎたいと思っている。

 これから立ち去る、小国家群での土産代わりに。


 魔道具を奪われた軍は怒るだろうが、道具はまた作れば済む。

 しかし訓練を積んだ魔道具を使える兵士は簡単に代えの利く存在じゃないだろうから、殺さず、生かして返してやろう。

 襲撃の報復としては甘い対応になるのだろうが、相手の危険度や撃退の労力を思えば、それくらいが妥当なところだ。

 つまり彼らは、僕が敵として認識するには、まだまだ圧倒的に不足していた。


「風の精霊よ」

 僕は夜に吹く冷たい風の精霊に、そう呼び掛ける。

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