第188話
オディーヌという町の外観上の特徴は、立ち並ぶ高い尖塔にあるだろう。
魔術師の中でも実力と地位を兼ね備え、他者を導く立場である魔導師達は、その権を誇示する為に尖塔に住む。
故にあの尖塔は、オディーヌの知と力の象徴であり、その傲慢さの表れでもあった。
しかしまぁ、そんな事はさておいて、僕もオディーヌには五年ばかり住んでいた時期があったから、あの尖塔は見慣れているし、久しぶりに見れば懐かしくも思う。
僕は昔の記憶を頼りにオディーヌの町を歩き、昔過ごしたカウシュマンの住処、鍛冶場を備えた工房があった場所を目指す。
数十年の時間でオディーヌの町並みも少し変化しているけれど、それでも道が分からなくなってしまう程じゃない。
けれども辿り着いた、僕の記憶にあったその場所に、カウシュマンの工房はもう存在しなかった。
僕は暫し呆然として、その場に立ち尽くしてしまう。
もちろん、カウシュマンがもう居ない事くらいは、僕にだって分かってた。
でもまさか、あの工房すらなくなってるなんて、流石に予想もしていなかったから。
てっきりカウシュマンの弟子の誰かが引き継いでるだろうと考えて、その弟子と話をする心算でやって来たのに……。
途方に暮れてしまうけれど、だからといって道の真ん中で突っ立っていても、通行人の邪魔になるだけだ。
僕は気持ちを叱咤して、取り敢えずは泊まる場所を確保する為、宿を探しに歩き出す。
あぁ、あぁ、そうか。
僕は無意識のうちに、カウシュマンの工房に泊まれるものだと考えて、宿も取らずにここに来てしまったのか。
もうカウシュマンは居ないと、頭ではわかっている筈なのに、変わらずそこに自分の居場所があると、愚かにも錯覚をして。
「……参ったなぁ」
そう、呟く。
確かにノンナの宿は、多少姿を変えていたけれど、同じ場所に存在していた。
だから安心してしまっていたけれど、これは中々に、……重たい。
一つ、カウシュマンの軌跡を追う手段は、思い付いてる。
このオディーヌの町役場で調べて貰えば、彼があれから何を行ったか、弟子がどこにいるのかを、調べてくれるだろう。
何故なら僕も一応はカウシュマンの弟子として、この町で魔術師として認められているから。
だけどあの工房を、カウシュマンが師であるドワーフ、ラジュードルから引き継ぎ、大事にしていた筈の工房を残しても居ない弟子達と、僕は一体何を話せるだろうか。
うぅん、いやそれでも、彼が何をどこまで成して死んだのかは、できれば詳しく知りたいと思う。
幾度か交わした手紙で、概要程度は知っているし、目指した姿も薄っすらならば理解してる。
だがカウシュマンが、自身の目指した先に辿り着けたのかどうかは、僕は知らないままだから。
彼は僕の魔術の師であり、鍛冶の弟子であり、悪友であった。
そんなカウシュマンが生きた記録くらいは、僕の記憶に刻みたい。
そして宿に一泊した、次の朝。
僕はオディーヌの町役場を訪ねる。
名乗り、身分の照会を受け、それから用件を告げた僕に返ってきた町役場の職員の答えは、
「魔導師、カウシュマン・フィーデルに関する情報は『軍の機密』となる為、お答えする事ができません。申し訳ありませんが、どうか早急にお引き取り願います」
……との物だった。
あぁ、成る程。
そういう事か。
あの場所に、カウシュマンの工房が残っていなかった理由も、得心が行った。
それからもう一つ、質問に答えられないだけでなく、さっさと出て行けとの職員の言葉の意味も。
職員が出て行けと言ったのは、町役場からって意味じゃない。
このオディーヌから、一刻も早く立ち去った方が良いと、言外に忠告してくれたのだ。
その理由は、もちろん軍だろう。
職員が『軍の機密』って言葉を発する時、少しその部分を強調してた。
そもそもそれが、軍の機密だと僕に教える事すら、町役場の職員としてはギリギリか、或いは咎めを受ける行為だっただろうに。
あの頃もそうだったけれども、どうやらカウシュマンの研究は、軍に強く気に入られたらしい。
魔道具は応用は利かないし、嵩張りもするという欠点があるが、魔術の使用に関しては、魔術師が直接それを行使するよりも安定性が高くなる。
また動かせる魔力を持ち、その操作さえ可能なら、魔術師のように高度な知識を持たずとも使用できるという、魔術の敷居を引き下げられる可能性に満ちていた。
今にして思えばその敷居を、結果的に魔術師の価値をも下げるかもしれない可能性があったが故に、魔道具は軽んじられていた気もするのだ。
しかし安定して、より多くの戦力を求める軍にとっては、カウシュマンの研究はさぞや魅力的に見えたのだろう。
秘匿し、独占し、情報が他国に、小国家群の外に漏れる事を警戒する程に。
そんな所にかつてカウシュマンと一緒に魔道具の研究をしていた、最初の弟子が顔を出せばどうなるか。
彼の遺した研究を押し進める要素になるかと押さえに掛かるか、それともそこから他国に魔道具の情報が洩れる事を恐れて、始末に掛かるか。
どちらにしても、恐らく碌な結果は待っていない。
少なくともあの職員はそう考えて、急いで僕に町を離れろと、言外にではあるが伝えてくれた。
その理由は恐らく、師である魔導師を訪ねてきた魔術師が、そんな理由で捕まったり、殺されたりする事を嫌ってだろう。
……そういえば僕が初めてこのオディーヌを訪れた時も、町役場の職員は親切だったっけ。
実に不本意ではあるが、軍がそのように動くというのも、納得の行く話ではあった。
平時なら兎も角、今の小国家群は隣に生まれた大国、ズィーデンの脅威に晒されているし、ダロッテとの戦いだって続いてる。
自分達の軍事力が増強される技術は独占したいし、他国に漏れる事を警戒するのだって、当たり前だった。
町を出るしか、ないだろう。
軍が機密として秘匿しているという事実が、カウシュマンが亡くなるまでにかなりの成果を出したのであろう事を、教えてくれてる。
今はそれで満足をせざる得ない。
可能ならばせめて、あの炎の魔剣だけでも、軍の手から取り戻して回収したいと思うけれど、在り処が分からない事にはどうしようもなかった。
本当はカウシュマンの弟子に会えたら、東方で手に入れた使い捨ての魔道具、術式の描かれた札を渡して、その話で盛り上がろうと思っていたのだけれども、……軍が相手ではそうする気には全くならない。
むしろ本当ならば、軍と敵対してでも、あの炎の魔剣は取り返してしまいたいと思ってる。
だけど仮に僕がこのオディーヌで軍を叩き潰せば、その影響は小国家群の全体に及ぶだろう。
その結果として、ジャンぺモンが窮地に陥る事だって、あるかもしれなかった。
安易な行動は、少なくとも今は取れない。
僕は宿の荷を回収すると、そのままオディーヌの町を出る。
恐らくすぐに追手が掛かる事を予測しながら、進路は西へ。
オディーヌからどこかを目指すなら、普通は南に向かい、ツィアー湖から船に乗るのが常だ。
故に追手の大半は、先ずは南に向かう筈。
仮に船に乗られてしまえば、もう追い付く事は難しいから。
でも僕がエルフであると知っての追手であるなら、……幾らかは西にも放たれて、追い付いて来るかもしれない。
あぁ、もしもそうなったなら、遠慮なく相手をするとしよう。
誰も知らぬところで小勢が潰れたとしても、僕の鬱憤が晴れるだけで、大局に影響は出ないだろうから。
そう、やはり僕は、どうやら少しばかり感情的に、なっていた。
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