第186話


 街道を北東へ。

 ずっと街道を歩いていると、時折だが馬車に抜かされたり、逆に馬車とすれ違う。

 ジャンぺモンからの馬車は麦を運び、アルデノからやって来る馬車は果実を運ぶ。

 僕が銅貨を数枚、アルデノからやって来る馬車の御者台に向かって放り込めば、御者はそれを確認してから荷の果実を一つ取り、こちらに向かって投げ返してくれる。


 パシッと受け取ったのは、青りんご。

 さっそく布で軽く拭ってからガブリと齧れば、シャキシャキとした食感が楽しい。

 でも甘さは、少し控え目だろうか。

 すっきりとした味わいで、旅の最中に喉を潤すには、中々どうして悪くはない。

 僕は大きく手を振って、去り行く馬車を見送った。


 今回は船や馬車を利用しない徒歩の旅だ。

 途中で野宿をしたりしながらも、吹く風に背を押されながら、のんびりと進む。

 やがてアルデノが近付いて来れば、街道からも立ち並ぶ果樹が見えるようになってくる。

 

 そういえば以前は、この辺りで大きな猪の魔物、グリードボアを狩ったんだっけ。

 そんな事も、懐かしく感じる。

 そしてグリードボアから助けた農家に自宅に招かれ、料理のもてなしを受けたのだ。

 ……あれは狩られたグリードボアや、襲われた農家にとっては不幸な出来事だっただろうけれど、僕にとっては幸運だった。

 だって獲物を狩っただけで、とても手の込んだ美味しい料理に化けて出て来てくれたのだから。


 しかし流石に今回はそんな都合の良い幸運には出くわさず、その代わりにアルデノの町で僕を待っていたのは、

「あら、お兄さん、エルフの方なのね。珍しい。ふふ、今日はお祭りよ。楽しんで行ってね」

 色とりどりの花だった。

 若い女性がそう言いながら悪戯っぽく笑い、籠の中から花を一輪取り出して、僕の髪にそっと挿す。


 いやいや、流石にそれは、幾らなんでも少しばかり気恥ずかしい。

 僕は髪に挿された花を抜き取るけれど、けれども折角貰った厚意を無にする訳にも行かず、荷物袋の口に挿し直す。

 貰った花は、秋の花、ピンク色のコスモスだった。

 どうやら今日は、アルデノでは秋の豊穣を祝う祭りが執り行われている様子。


 アルデノといえば果実の一大生産地で、オレンジやブドウ等、様々な種類の果実を栽培しているけれど、その中でも最も主となるのはリンゴなんだとか。

 コスモスの花が咲く時期は、アルデノでリンゴの収穫が最も盛んな時期だ。

 故にこの季節は、豊かな収穫に感謝して、更に次の一年の収穫が豊かである事も願って、花で町を飾るのだろう。


 思いがけない彩に、僕の心も少し浮き立つ。

 もしかすると僕は、アルデノと相性が良いのかもしれない。

 町の外で思いがけない幸運に会わなかったと思ったら、すぐに町中でこんなイベントに出くわすのだから。


 コスモス以外にも、リンドウ、サフラン、ネリネ、ジニアと、多くの花が道行く人達を楽しませてる。

 道行く人々は誰もが笑顔で、嬉しそうだ。

 ただやはり、髪に花を挿してるのは、その全てが女性だった。

 少なくとも、僕の目に付く限りの話ではあるけれど。


 どうやら僕は、やっぱりあの女性にからかわれたのだろう。

 怒る心算は全くないけれど、うぅん、少し悔しくは感じてる。

 ただそんな悪戯をされた事も含めて、この祭りを、僕は心の底から楽しく思えた。


 出店の屋台を回って、祭り価格で少し割高となってる串焼の鳥肉や、焼きリンゴを食べ歩く。

 周囲の村から祭りを楽しみに来てる人も多いのだろう。

 安い宿は既に部屋が埋まっていたから、少々高めの宿に泊まる。


 思いも寄らぬ出費だが、まぁそれくらいは仕方ない。

 こういう時に使う為に、働けるときに働いて貯め込んでいるのだ。

 仮に浪費を厭うなら、森に籠ればその恵みで生きていけるが、そんな生活には随分と昔に飽きてしまったから。

 そう、たまの散財も、また楽しみの一つだった。



 宿のベッドに腰掛けて、貰ったコスモスの香りを嗅ぐ。

 花で彩られた祭りは、花の命で成り立つ祭りだ。

 でもその花の命は、無駄じゃない。

 人々の目を楽しませた後、枯れた花は集められ、小さく刻んで、或いは焼いて灰にしてから、土に混ぜて耕されるだろう。

 命は消耗されるのではなく、次の命を育む糧となる。


 どうやらこの花には、虫除けの薬は使われてはない様子。

 僕はそれを確認してから、はぐっと花を口に含む。

 決して美味しいものではないけれど、もしゃもしゃと花を咀嚼すれば、嗅いだ時よりもずっと強くコスモスの香りが鼻に抜けるのが心地好く、面白かった。


 旅人である僕がコスモスを貰っても、その花が枯れるまでこの町に滞在する事はない。

 だったらせめて、花の香りを楽しみながら、我が身の一部にしてしまおう。

 口の中に広がって、満ちる香りを十分に堪能してから、僕はごくりと花を飲み下す。


 ……うん、やはり美味しいものでは、決してなかった。

 けれども僕の心は、晴れやかだ。


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