第185話


 おおよそどんな場所、状況であっても、ルールという物は存在する。

 町で暮らすなら法に縛られるのは当然だとしても、例えば森の中で一人暮らしをするにしても、ルールはやっぱり存在するのだ。

 例えば普通の人間が比較的安全な森に家を建て、一人で生活をしたとするなら、夜は眠り、昼に活動しなければならない。


 それは当たり前の話で、ルール以前の問題だと思われるかもしれないが、町で暮らすのならば灯りの油代さえ気にしなければ、夜遅くまで酒を飲んだり、読書に耽る事だってできるだろう。

 しかし森の中では燃料の入手は割と死活問題だから、安易に夜更かしで消費する訳にもいかない。

 また森の木々は月明かりを遮るし、整備された足場がある訳でもないから、夜に森での活動は、余程に夜目が利かない限りは危険だった。

 つまり生活の都合上、太陽の動きというルールには縛られるのだ。


 また獣にだってルールはある。

 他の獣の匂いが付いた縄張りには、そこを奪うという明確な意図がなければ踏み込まない。

 たとえ相手に勝てたとしても、仮にその戦いで傷を負えば、別の獣に自分が狩られてしまう。

 故に必要に迫られたのでもなければ、余計なリスクは冒さないといった風に。


 ルールの存在には意味があり、だからこそ存在し、守られる物だ。

 けれども、そう、あらゆるルールは、その気になれば、リスクを許容するならば、破れてしまう物でもある。

 そして時に、敢えてルールを破れる者こそが、状況を制して有利に立つ事も、決して少なくはない。


 ズィーデンのカーコイム公国への侵攻は、暗黙の了解という名のルールを破る物だった。

 どの周辺国とも一定の繋がりを持ち、かつどの国に対しても肩入れをしないカーコイム公国は、争いが激化すれば調停役として、そうでなくとも各国の繋がりを保つ役割を担っていたのだ。


 例えば、もう既に存在しない国になってしまったが、パウロギアはずっとヴィレストリカ共和国との小競り合いを繰り広げていた事を、僕はよく覚えてる。

 だけど実は、パウロギアとヴィレストリカ共和国の間には、僅かではあったが商取引は存在したらしい。

 但しそれは両国の間で直接的に取引される物ではなく、カーコイム公国を介するという形で行われたそうだ。


 またその僅かな繋がりがあったからこそ、ヴィレストリカ共和国がパウロギアを滅ぼした際、占領して統治をせずに、生き残った貴族達に新たな国を興させ、属国とする手が打てたのだろう。

 もちろんその際には、カーコイム公国を通しての働き掛けがあった筈。


 しかしそんな外交チャンネルとしての役割を果たしていたカーコイム公国が、今はもう機能を果たさなかった。

 あろう事か強襲で侵略を受けるという形で、ズィーデンに国土の半分を奪われ、生き残る為にヴィレストリカ共和国の属国となってしまった。

 それは本来ならばあってはならない事態で、繋がる手を、調停の手段を、暗黙の了解という名のルールを、失ってしまった各国は、疑心暗鬼に陥っている。


 ラドレニアに本部を置く教会組織は、大陸中央部で高まる緊張状態の緩和にあれこれと手を尽くしているというけれど、今の所は争いに歯止めが掛かる様子はない。



 多分そんな状況だからこそ、その話も持ち上がったのだろう。

 四週間程の滞在で、それなりの数の槍と小剣を作製し終えた僕に、鍛冶師組合を通して王宮から任官を要請する打診が来たらしい。

 五十年程前は、まずは王への謁見が依頼として届いたのだけれども、今回はそれに比べて随分と性急な印象を受ける。


 まぁその考えに関しては、おおよその察しは付く。

 恐らくトラヴォイア公国は、腕の良い鍛冶師が欲しいというよりも、エルフを国に抱える事自体が目的だ。


 エルフのキャラバンが、人間の国で暮らすエルフ達の互助を行っている話は、殊更に喧伝してはいないが、その動きを注視していればすぐに分かる。

 つまりエルフを国に召し抱えれば、間接的にではあっても他のエルフからの援助が受けられると考えたのだろう。

 そして国から国へと動き回り、公的な立場を併せ持って並の商人が立ち入れない部分まで踏み込めるエルフのキャラバンは、大陸の中央部に関しての情勢、情報をかなり詳しく保有する筈。

 トラヴォイア公国はその情報こそを、この混迷とした状況の中で、欲していると推測できた。


 当然ながら、僕はその打診を丁重にお断りした。

 鍛冶師としての腕を求められての仕事の依頼ならともかく、宮仕えなんて不自由な立場は真っ平だし、ましてや目的がエルフとの繋がりというなら尚更だ。

 仮に僕が召し抱えられたら、……エルフ達はトラヴォイア公国の想像を大きく超えて、便宜を図ろうとするだろう。

 その影響は、もしかすると僕が思う以上に、大きな物となりかねない。

 もしかするとその生み出された流れが、エルフという種族を、或いはトラヴォイア公国も、不幸にしないとは限らないから。


 そろそろ町を出るとしようか。

 鍛冶の見本となる逸品や、宝剣の製作には後ろ髪を引かれるけれど、留まり続けてトラブルの種になる事は、僕の望む所じゃない。

 ジャンぺモンという町に愛着を持ち、再び訪れたいと思うからこそ、余計に。


 ただ、最近随分と仲良くなったアイナには、どんな風に旅立ちを告げよう。

 宿の娘だからあっさりと送り出してくれる気もするし、年相応に遊び相手がいなくなる事を嫌がる気もした。

 尤もあんまり何の反応もなく気楽に送り出されても、僕としても少しばかり寂しかったりもするのだが……。

 今度再び出会う時、彼女はどれくらい大きくなっているだろうか。

 今の彼女に合うようにと木材を削った木剣は、きっとその頃には手に合わなくなっている筈。


 空を見上げれば、南からの風に雲は北へと流れて行く。

 まるで僕の背中を押すように。


 ズィーデンの動きが心配で気になるけれど、この町に留まり続けたところで、それが見えてくる事はないだろう。

 今は北へ、……より正確には北東へ向かい、オディーヌを目指そう。

 僕がカウシュマンから魔術を学び、共に魔剣を作製したあの場所へ。


 それが済めば西へ向かって、ズィーデンを通ってルードリア王国へと向かう。

 もちろん今のズィーデンをすんなりと通れるかどうかは怪しい所だが、人里を訪れさえしなければ、森や川を踏破できる僕は並の人間には止められないから。

 ズィーデンの事は、実際にズィーデンの中で調べるのが、やはり一番早い筈。

 そこで何を目にするのかは、今は少しもわからないけれども。


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