第181話


 鼻歌交じりにのんびりと、ジャンぺモンの町を歩く。

 恐らく僕は、今は少しばかり機嫌が良かった。

 その理由はノンナの、いや、今はシェーネとアイナの宿で出された食事が、昔と同じくとても美味しかったからだろう。

 もちろん作り手が変わってるから少しばかりの変化はあるが、気にならない程度の些細な違いだ。

 幾度も口にして慣れ親しんだ味がまだちゃんとそこにあった事が、僕は殊の外に嬉しかった。


 ただそれを、僕は少し意外にも思う。

 だって東の島、扶桑の国で蕎麦を食べた時だって、これ程までに強い喜びは感じなかったから。


 でも考えてみればそれも当然かもしれない。

 幾ら前世の記憶を持っていたとしても、僕は、今を生きる僕だった。

 だからこそ過剰に前世で知った味を求める事もなく、今の世界で数多くの喜びに触れて生きている。

 つまり僕は、きっと幸せなのだろう。


 しかしまぁ、それは取り敢えずさておいて、機嫌の良い僕が向かうその先は、この町の鍛冶師組合。

 折角あの宿に滞在し、懐かしい味にも出会えたのだから、やはり一つか二つくらいはこの町で鍛冶仕事をしておきたいと、そんな気分になったのだ。


 通りを歩く僕には、幾つもの視線が向けられる。

 ジャンぺモンは豊かな町だから行き交う人々には余裕があって、向けられる視線も悪意よりも好意的な物がずっと多い。

 だけどそれでも昔のこの町を知る僕は、行き交う人々の表情には不安が混じってる事に気付く。


 カーコイム公国を割ってのズィーデンとヴィレストリカ共和国の対立。

 自分達の住む町から然程に遠くない場所で、二つの大国が小競り合いを繰り広げているともなれば、そりゃあ不安も感じて当然だ。


 もちろん小国家群も、所属する国が力を合わせればズィーデンやヴィレストリカ共和国に劣らない力を秘めてはいた。

 だが都市国家の集まりである小国家群は、兵力が各地に分散してる。

 たとえアズェッダ同盟が発動し、兵力をジャンぺモンに集める事になったとしても、その動員にはそれなりの時間が掛かるだろう。

 兵士を派遣する意思決定にも、また兵士のジャンぺモンまでの移動にも。

 それは小国家群の抱える大きな弱点だった。


 仮にズィーデンと敵対する事になったなら、必ずやその弱点を突いて来る。

 何しろズィーデンには破竹の勢いでカーコイム公国の北半分を制圧した実績があるのだ。

 今はヴィレストリカ共和国と対立状態にあるから小国家群に目を向ける余裕はないだろうが、その状態も永遠不変の物ではあり得ない。

 このジャンぺモンに、今日と同じ明日がやって来る保証はどこにもないから。


 だからこそ、アズェッダ帝国の復活を望む声があるのだろう。

 それはもっと具体的に言えば、統一された意思により素早く兵の派遣が決められ、予め戦力を集中配置する事も可能な、一つに纏まった力強い国を望む声。

 自分達の生活を守る為の力を国に求めるのは、民の声としては至極当然だ。

 但しその声に応えた結果として生まれた強い国は、今度は逆に他国を、他国の民の生活を脅かせるかもしれないけれども。



 考え事をしてる間に、僕は覚えのある石造りの建物、鍛冶師組合へと辿り着く。

 アズェッダ帝国の復活に関しては、僕は思う所もできる事も、何もなかった。

 確かに僕はこのジャンぺモンの町に愛着があるけれど、それでも所詮は余所者だ。

 この国の未来は、この国の民が決めなきゃならない。


 ただ町の為に、質の良い武器を一つや二つ、或いはもう少しばかり多く用意して行く程度ならば、余所者にだって許されるだろう。

 そんな風に思いながら、僕は鍛冶師組合の扉を叩く。

 そして僕を出迎えてくれたのは、当たり前だが見知らぬ顔の、組合の職員だった。


「ようこそ鍛冶師組合へ。今日はどのようなご依頼でしょうか? ……えっ、鍛冶師? エルフで鍛冶師って、もしかして、あの?」

 けれどもその職員、見知らぬ若い女性に上級鍛冶師の免状を手渡せば、にこやかだった彼女の表情が驚きの色に変わる。

 どうやら何故だか僕の事を知ってる様子だけれど、うぅん、なんだろう?

 まさかこの職員の女性まで、ノンナの孫だか曾孫だったりはしないと思うのだけれども……。


「旅の鍛冶師で、エイサーというよ。仕事を幾つかしたいのと、鍛冶場も貸して欲しいんだ。以前にこの町で鍛冶をした時は、この組合の鍛冶場を借りたんだけれど……」

 変わりない建物の懐かしさに、僕は辺りを見回しながらそう言葉を口にする。

 ここの鍛冶場を借りたのは、僕が初めてジャンぺモンの町に来た時に数週間と、次はウィンを連れてジャンぺモンに来た時に、一年半くらいか。

 どちらも、もう数十年も前の話だ。


 すると職員は喜色を浮かべて頷き、

「えぇ、伺っております。この組合に伝わる言い伝えとして、何時かまたエルフの鍛冶師が訪れるだろうって、先々代の組合長のお言葉が残ってますから! ふふ、すぐに鍛冶場に案内しますね!」

 いそいそと席を立って鍵を取り出し、僕を鍛冶場に案内してくれた。

 しかしそれにしても、言い伝えって……。

 あぁ、本当に、それ程に時間が経ったのかと、実感させられる言葉だった。


 そういえば先々代の組合長って、もしかすると以前にお世話になったあの男性職員だろうか。

 彼は何というか、仕事を用意してくれる手際も良かったし、出世をしてそうな気もする。

 もしもあの男性職員が僕の事をずっと気にしてくれていたのなら、それはとても嬉しい話である。


 そして案内された鍛冶場は、もう随分と年季も入っているけれど、しっかりと補修もされていて、使用に問題はなさそうだ。

 さぁ、鍛冶仕事は随分と久しぶりになる。

 一体どんな依頼を、今の鍛冶師組合は僕に任せてくれるのだろう。

 僕は期待に胸を膨らませながら、眠っていた炉に火を入れた。


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