第174話


 そして僕が乗った船は、今度こそ大きな障害はなく、更に交易の為に幾つかの島を回ってから、海沿いの強国であるミンタールの港へと入った。

 一ヵ月程は船に乗っていただろうか。

 中々に濃い一ヵ月だったから、船に対する愛着も湧いたが、ここでお別れだ。

 僕は別の船に乗り換えて西を目指すし、スインの船はこの港で仕入れを行った後、黄古帝国に戻るだろう。


 次の船は、スインが伝手を使って手配してくれる事になった。

 ミンタールは海洋貿易で栄える強国だから、ここから中央部まで足を延ばす船も少なくはないらしい。

 やり手の交易商としてミンタールでも顔の広いスインなら、そんな中央部に向かう船を手配する事も、十分に可能だという。

 尤も数日の時間は必要になるらしいけれど、ありがたい話である。


 細々と乗り継げば、余分にかかる時間は数日どころじゃ済まない筈だ。

 まぁもう何年どころか、十数年も今回は旅をしてるから、数日でも数週間でも数ヵ月でも、単なる誤差に過ぎないけれど、それでも目的地に辿り着く時間が短縮できるなら、それに越した事はない。


 しかしそうなると、僕は数日をこのミンタールの港で過ごす事になる。

 この数日というのは、何もしなければ持て余すし、さりとて何かをしようと思えばあまりに短い時間だ。

 結局のところは、港を見て回って、観光するくらいが精々だ。

 ミンタールの港はかなり規模が大きいから、数日ならば飽きる事もないだろう。


 さてミンタールを含む海沿いの国では、大草原の環境を信仰していたようにみえる草原の民や、竜の眷属である神獣や仙人が信心を集めていた黄古帝国とは違い、海洋神や風神を崇める宗教が一般的に信じられているらしい。

 海洋神や風神を崇める場所は、教会ではなく神殿と呼ばれるそうだけれども、役割自体は大陸中央部の教会と大きな違いはなさそうだ。

 即ち生誕から墓場まで心の拠り所となる信仰の場であり、基礎的な教育を施すと共に、神術の素養を持つ子供を探す為に存在してる。


 そう考えると、大草原で炎の子と呼ばれたジュヤルは、実は危うかったのかもしれない。

 彼は超能力……、神術の一種である発火能力の、実に強力な使い手だったが、だからこそあのまま暴れ続けていれば、神殿組織が対処に動いた可能性もあった筈。

 何故なら神殿に所属しない、神を信じてすらいないのに強い力を持った神術の使い手がいて、しかもその能力を使って略奪を行うという状況は、どう考えても神殿組織にとっては都合の悪い事態だから。


 神術の素養を持つ人間を集め、能力開発を行っている教会や神殿といった組織は、当然ながら神術に対しての造詣は深かった。

 ジュヤルは自分の能力を隠そうともせずに振るっていたから、神殿の関係者ならそれが発火能力である事は、恐らくすぐに察する。

 幾ら強い能力であっても、それがどんな物なのかが分かっていたなら、対処は決して不可能ではない。

 複数の、それも発火能力に対して有利な神術の使い手が派遣されれば、あの頃のジュヤルではどうにもならなかった。

 貴重な神術の、それも強力な能力者なら、すぐに殺される事はないかもしれないが、……それでも下手をすれば二度と外の空気は吸えないような扱いを受けただろう。


 といってもそれはただ能力に振り回されていた頃のジュヤルの話で、今の彼は発火能力に対処された程度で、どうにかされてしまう程に軟じゃない筈。

 あのままちゃんと剣を磨き、自分の能力と向き合っていればの話だが、ジュヤルならば心配は要らない。

 そもそも彼なら、ダーリア族の略奪行為も、無事に止めただろうと僕は思ってる。


 ミンタールの港にある市場を歩いていると、草原の民との交易で手に入れたのだろう羊毛を編んだ敷布を見付けて、ふと懐かしく思い出してしまった。

 大草原での別れから、まだ十年程しか時間は経っていないのに。


 懐かしくなって更に話を聞いてみれば、草原の民の間では、今はなにやら大きな動きがあるらしい。

 露店の主も詳細を知る訳ではなかったが、とある部族が中心となって、主要な部族と盟を結んだり傘下に収めたりして、一大勢力が築かれつつあるそうだ。

 大陸の東部に、草原の民を中心とする嵐が起きる予兆だろうか?

 少し不安も感じたけれど、ジュヤルもツェレンも、それからシュロだって、もう立派に成長してる筈だから、大抵の事は切り抜けてくれるだろう。



 港の市場は、草原からの品以外にも、黄古帝国から運ばれて来たのだろう茶葉や装飾品も並んでて、その雑多ぶりが面白い。

 他の海沿いの国や、海に浮かぶ島々との交易で流れて来たのだろう品物も数多かった。

 こうして市を見てるだけでも、僕が十数年掛けて旅をしたのは、この大陸の東部でも、ほんの一部に過ぎなかったのだなぁと、思い知らされる気分である。

 海沿いの国々にはミンタール以外にもスクロームという大きな国があるし、黄古帝国では赤山州には行けてないのだ。


 スインはスクロームの事をボロクソに言ってたけれど、それは商売上の利益が敵対しているからで、実際にどんなところなのかは、見てみなければわからないだろう。

 赤山州にはまだ見ぬ蛇人がいるそうだし、その近くには東のドワーフの国がある。

 大草原にだって、僕が出会わなかった部族は数多い筈。


 あぁ、大草原といえば、ハーフリングに妖精もいる。

 今回はハーフリングと関わる事は殆どなかったし、妖精には興味がなかったのだけれど、彼らも決して一枚岩ではないと知った。

 もしかすると何らかの変化が、妖精の中にあるのかもしれない。


 急ぎ足で通り過ぎて見過ごした物、訪れなかった場所、……あぁ、確かに勿体なくは思うけれども、その全ても、また何時かの機会だ。

 並の人間だったなら、東部をぐるりと回るのは、一生に一度の大きな旅になるのかもしれないけれど、僕はハイエルフである。

 一千年の寿命に比べると、東部で過ぎた十数年は、ほんの短い時間に過ぎないのだから。

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