第153話
海陽の港を歩いて目を惹くのは、衣服を含めた文化の違いと、それからやはり人魚の存在だった。
建築様式や衣服、人種の変化はこれまでも、草原を旅して、黄古帝国をぐるりと回りながら、幾度か経験してきたけれども、扶桑の国ではまた一段とそれが顕著である。
和風、そう、やはり和風と言えばしっくりとくるだろう。
町を行き交う人々の姿は、着物姿に草履。
カエハの家でも目にしていたから違和感はないけれど、これだけ数が揃うとちょっと壮観だ。
着物や草履に関しては前世の記憶にもあるのだけれど、個人でそれを着用した事はなかったらしく、あまりピンと来はしない。
それよりもやはり僕にとっては、カエハの家とこの地に繋がりがあるのだと意識させられる。
そして人魚は、やはり陸には上がれない様子だったけれど、話し掛けてみれば誰もが気安く応じてくれた。
何でも彼らの話によると、この三日月の形をした島の、受け皿のように窪んだ部分の海には人魚達の町があり、南の扶桑の国、人間の国に参加してるらしい。
つまり人魚も鬼と戦う人の一員となる訳だ。
とはいえ鬼も海で人魚と戦う程に無謀じゃないだろうし、人魚だって陸では鬼とは戦えないだろうから、直接刃を交えてる訳ではないと思うが。
恐らく人魚は、人の国側の輸送を支える存在になるのだろう。
例えば人魚が兵を乗せた小舟を引っ張れば、海に面した場所ならば、どこからだって攻め込める。
それは直接的な戦力にはならずとも、間違いなく大きな力だ。
人魚の町。
今、この海陽の港で荷を載せた小舟を引くのは、全てが男の人魚だけれど、町に行けば女の人魚も居る筈。
実に興味を惹かれるけれども、海の中にある町では、あまり美味しい物は食べれなさそうに思えた。
空気に満ちた建物が海中にあるなら話は別だが、そうでなければ調理に火を使えないし、口を開けば食べ物よりも先に海水が入ってくる。
精霊に頼れば海中でも生存、呼吸は可能だけれど、食事ばかりはどうにもならない。
何よりも、僕も船から降りたばかりだし、暫くは陸で過ごしたかった。
戦場となる場所からは最も離れた地だからだろうか、海陽の港は想像以上に活気があって、人通りも多い。
僕は好奇の視線に晒されながら、両替商を探す。
これから先、陸路で扶桑樹を目指すなら、多少の手数料は取られても扶桑の国の貨幣を手に入れた方が便利だ。
たとえ価値が同じでも、身近な貨幣と異国の貨幣では、受け取り手の印象が大きく異なる。
人は見慣れぬ貨幣を目にすれば、どうしても騙されるのではないかとの警戒心が働く。
その警戒心が故に支払いを断られたり、割増しで要求されるくらいなら、手数料を支払ってでもこの国の貨幣を手に入れた方が、間違いなく安いしトラブルも避けれるだろう。
尤もトラブルに関しては、起きた方が上手く物事が転がる場合も、実は意外とあるけれども。
両替を終えれば、港の労働者向けの食堂で蕎麦を啜る。
蕎麦掻きじゃなくて蕎麦切り、要するにちゃんと麵になった蕎麦で、一口ずつ濃いツユに浸して食べる盛り蕎麦だ。
取り敢えず小腹を満たそうくらいの心算で入った食堂だったが、びっくりする程にちゃんとした蕎麦で、美味しい。
何か繋ぎを使ってはいるのだろうけれど、食べ易く、けれども蕎麦の香りもしっかりとしていた。
恐らくエルフが淀みなく蕎麦を啜る姿が面白いのだろうか。
僕が蕎麦を食べ出してからは店の席がどんどん埋まり、皆がこちらを見ながら蕎麦を注文してる。
まぁ僕は見られる事には慣れているから、面白いのなら好きなだけ見てくれて良いし、美味しい店が繁盛するならもっと良い。
この国ではこれまでにないくらいに、僕の掠れてしまった前世の記憶が刺激された。
いやもちろん、僕の前世で暮らした世界には、人魚なんて存在しなかった筈だけれど、それでもこの扶桑の国とは文化が近いと思われる。
蕎麦を食べた限りでは、食文化も。
大陸の中央部でも蕎麦を育てていない訳じゃないけれど、食べ方はガレットとかパンケーキで、全くの別物である。
僕は森で果実ばかり齧ってた時間が長いからか、美味しい物を食べたいって欲求が割と強い。
ただそれは特定のジャンルに偏りはしなくて、肉も魚も芋も穀類も野菜も、甘いも酸いも辛いも、美味しければ何でも好きだ。
草原や黄古帝国でも米は口にしたけれど、品種や調理法が違うせいか、それ程の感動はなかった。
でも今、蕎麦を食べて、僕は嬉しく、僅かに懐かしくも思ってる。
だってこのツユ、多分醤油っぽい何かも入ってるし。
カエハの家では、簡単に手に入る食材がルードリア王国産の物ばかりだから、箸は使う事もあったけれども、やはりあちらの食事が多かった。
例えば麦粥とか。
もちろん時には輸入品を使った、米や和食っぽい食事もあったけれど、あれは本当にたまの、祝いの席での贅沢だったし。
うぅん……、カエハやその母、クロハにも、この扶桑の国の食事は、色々と食べさせてみたかったなぁと、そんな風に思う。
そうしたら二人は、一体どんな表情で、どんな言葉を口にしたのだろうか。
そんな事を考えながら蕎麦湯まで飲み終えると、……ふと隣の席の客が酒を飲んでて、羨ましく思う。
蕎麦に酒。
その組み合わせも、ありだった。
どちらかといえば蕎麦が出て来るまでの間、漬物をあてに酒を飲むのが正解だった気がする。
あぁ、宿を決めてから来ていたら、僕も酒を飲めたのに。
酒精が入った状態で宿を探すと嫌がられるだろうし、かといって初めて訪れた国、町で宿も決めずに酒を友に一晩過ごすのはあまりにも無謀だ。
まずは宿を決めようか。
後ろ髪を引かれる思いで、辺りをぐるりと見渡せば、飲まれてる酒は、濁り酒もあれば透明な澄酒もある。
恐らくは、米から造った酒だろう。
「美味しかったよ。ありがとう」
礼の言葉と共に支払いを済ませて、僕は食堂を後にする。
蕎麦だけじゃ、満腹、満足には程遠い。
早く宿を決めて、どこかで酒場を探すとしよう。
美味しい食事に、美味しいお酒が、期待できそうな予感がした。
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