第148話


「ははは、成る程。貴方は真なる人の中でも、随分と行動的な若者になるんだね。どうりで真っ直ぐな筈だ。或いは目覚め掛けてる竜の気にあてられたかな? ごめんよ。こちらも対応を間違ったね」

 謝罪して解けた誤解に、竜翠帝君は何故だかとても嬉しそうに、笑った。

 一体彼は、どんなのが来ると想定してたのだ。

 外の出来事に対して無関心で、その癖に態度だけは大きな、エルフの偏屈者か。

 あぁ、僕の故郷の、深い森のハイエルフの長老衆なら、丁度そんな感じである。


 だから敢えて情報を伏せ、挑発的な態度を交えながら様子を見、何とか思い通りに動かそうと試みたのだろう。

 すると実際に来た僕は、思ったよりも単純な生き物だったから、話が早いと喜んだのか。

 そのお陰で互いに行き違いは生じたが。


 仙人であっても、ハイエルフと会う事なんてそうはないだろうから、仕方のない話ではある。

 まぁ珍しい存在であるのはお互い様だった。


 もう僕に、竜翠帝君に対する隔意はない。

 相手の腹も知れたし、僕の失敗も理解した。

 竜翠帝君は、真なる竜の眠りを守る番人だ。

 その眠りが浅くなれば、焦ってしまうのは当然である。


 竜の気にあてられた。

 確かにそうかもしれない。

 この黄古州に入ってから、いや、黄古帝国に入ってから、僕は少し好戦的だった気もする。

 それが目覚め掛けた竜の気を無意識に感じて、少し興奮状態だったからだとすれば、……自身の未熟さに歯噛みするばかりだ。


 竜翠帝君の話によると、元々この地は、眠る真なる竜が発する力で、自然は荒れ狂い、魔物が跳梁跋扈する地だったという。

 真なる竜は己の眠りを守る為、力の一部を割いて四体の眷属を生み出し、四方の地を守らせた。

 それが白河州で信仰される二股の尾を持つ白い霊猫や、黒い甲羅の霊亀だ。

 この世界を去った神が様々な種族を生んだように、彼らに恐れられる程の力を持った竜もまた、他者を創造できるらしい。

 しかし四体の眷属にとって重要なのは真なる竜の眠りを守る事のみで、暴れる魔物は放置されていた。


 故に暴れる魔物は人を襲い、この地は誰からも恐れられた。

 大昔の草原の民や、その南方の国々を含む周辺に住む人々は、溢れ出る魔物を退治する為に何度もこの地に攻め入って、四体の眷属とも敵対したそうだ。


 このままでは四体の眷属も、ただ眠ってるだけの真なる竜ですら、悪しきモノだと誤解され、人は戦おうとするだろう。

 そうなれば何時か、人は竜の眠りを妨げかねない。

 誰かがこの地を治める必要があった。


 そこで選ばれたのが、その頃は別の名前を名乗っていた、竜翠帝君と四人の仙人達。

 たとえ仙人であっても、世界が壊れてしまえば存在し続ける事はできないから。

 彼らは四体の眷属と話し合い、この地に新しい仕組みを作った。

 そう、それが黄古帝国だ。

 四体の眷属は、そのまま各州の守り神となる。

 州ごとに極端に環境が変わるのは、恐らくこの眷属の影響だろう。

 いや、より正しくは眷属の及ぼす影響に仙人が関与した結果というべきか。


 各州がそれぞれに独立した国として機能するのは、永遠に続く国家は存在しないとの考え方から。

 いずれかの州の政治が、人々が腐敗し、機能しなくなったとしても、それが黄古州以外ならば潰して作り直してしまえる。

 仙人は、そして四体の竜の眷属は、そういった存在だ。

 実際に州を潰して作り直した事があるのかは、敢えて聞かなかったけれども。


 竜の力は黄古州に封じ込めて森を作り、管理者としてエルフを、森人を住まわせた。

 竜翠帝君は黄古州に住んで漏れ出る竜の力を吸い、仙人として在る。

 他の四人の仙人は、四体の眷属を力の源とし、四方の環境を切り離して制御する。

 不滅の存在である竜の力は、自然の力にも近いから。


 ……おおよそこんな所だろうか。

 知りたかった事は、全てが知れたと思う。

 仙人達の行いが、正しいか否かは僕には判断できないけれど、彼ら自身が生きる為、人をこの地で生かす為、そうしたのだという事は、よく分かった。

 ハイエルフの長老衆なら、それでも人間やその延長線上の存在である仙人が、竜の眷属や真なる竜の力を利用する事に、黄古帝国の存在自体にも、恐らくいい顔はしないだろう。

 ただ僕は、その在り方を否定しようとは思わない。



 僕は今、竜翠帝君に案内されながら、城の地下を目指してる。

 そう、真なる竜が眠る、この黄古帝国の本当の意味での中枢を。


 地下への長い螺旋階段を下りれば降りる程に、辺りに満ちる力は強くなっていく。

 それは真なる竜との物理的な距離が近くなっているという事に加えて、……やはり僕の存在が近付くにつれて、その眠りが浅くなりつつあるからだろう。

 でも本当なら息苦しくなってもおかしくないくらいの、圧力を伴った力を感じているのに、不思議と僕に不快感はない。

 それどころかまるで、暖かな何かに包まれているかのような、錯覚すら覚えてる。


 しかし竜翠帝君は途中で苦しそうに蹲って、階段を進めなくなってしまった。

 幾ら力ある仙人でも、竜の力を吸い取り昇華し続けてる彼でも、目覚め掛けの真なる竜の傍らには近寄れないのか。


 まぁだからといって、今更引き返す事もできやしない。

 僕は竜翠帝君に地上に戻るようにと告げて、そのまま階段を一人で下りていく。

 ここは陽光の届かぬ地下なのに、薄っすらと明るくて足元はちゃんと見える。


 その静かな光を放ち、輝くのは、地の底に眠る巨体。

 鱗から翼まで全てが黄金色の、美しい巨大な竜。

 世界を守護する、終わりの時まで眠る、真なる竜。


 いやいやでも話のスケールの割には、意外と小さい姿かもしれない。

 僕はてっきり山程にも大きな竜を想像していたけれども、精々が小さな砦くらいの大きさだった。

 尤も見たままの大きさが、真に竜のサイズである保証は、全くどこにもないのだけれども。

 むしろこんなにも巨大な力を放つ存在が、サイズくらいは変えられない方が、僕にとっては驚きだ。


 漸く、僕は竜の目の前に立つ。

 薄っすらと、彼の大きな目が開く。

 瞳の色まで金色で、とても美しい。


『おお、おお、古き友よ。我の目覚めを、世界の終わりを望むのか?』

 そして彼は、僕に向かってそう問うた。

 空間を震わせる程のその思念は、だけど僕にとっては、とても優しく響く。


「いいや、まさか。寝顔を見に来ただけだよ。起こしてごめんね」

 僕は彼の間近に近寄って、その金色の身体に手を伸ばす。

 世界の滅びなんて、僕は望まない。

 あぁ、でも何となくだけれど、察した。


『いや、気にするな友よ。しかし我と友が出会ったならば、判断せねばならん。友よ、我に外の世界の事を、教えてくれ』

 彼の言う終わりの時とは、真なる竜でなければどうしようもない事態が、起きてしまった時だ。

 例えば世界を魔物が覆い尽くして、ハイエルフが総力を挙げても駆逐できないような事態や、……或いは魔物ではなくて人がそうなったとしても、竜は動く。

 竜が動けば全ては焼き尽くされて、世界は荒れ果てる。

 僕らハイエルフはその世界に木々を増やし、自然の流れを運行する精霊と共に再生させるのも役割だ。


 ……うん、そんなの本当に、今は必要ないと思う。

 だから僕は、笑って頷く。

「長い話になるから、一度にはとても語れないよ。でも、そうだね。毎日少しずつでいいなら、ここに来て君に語ろう。君が本当に眠たくなるまでの、寝物語を」

 実は僕は、自分語りには意外と自信があるのだ。

 カエハを相手に、彼女が眠るまで、とても沢山、何度も何度も話したし、エルフの吟遊詩人のヒューレシオを見て、話し方のコツも学んでる。

 きっと、真なる竜も満足してくれるだろう。


 一度に続けて語らないのは、彼に穏やかで冷静な判断を促す為。

 だって外の世界の話は、決して楽しい事ばかりじゃないから。

 一時の話だけで全てを判断させないように、毎日少しずつ、穏やかに穏やかに話を続ける。


 真なる竜は、……竜だからよく分からないのだけれど、少し微笑んだようにも見えた。

 ならまずは、今日の分を語ろうか。


「最初の話は、僕が故郷の深い森を出る所からだよ。では第一幕、そう、タイトルは『クソエルフとクソドワーフ』とか、どうかな」

 僕は思い出す。

 あの日、どうして故郷の森を出る気になったのか。

 どうやって森を抜けたのか。

 途中で何と出会ったのか。

 そして森を抜けた先で、見た光景と、出会いを。


 今は亡き、親しく思った人間達。

 ずっと僕を支え続けてくれた、いや、今も支えてくれてるエルフ。

 僕をクソエルフと呼んだ、クソドワーフ。

 その全てを、目の前の竜が、僕と想いを共有してくれるように。


 僕は金色の鱗に額をくっつけて、目を閉じて、言葉を紡ぐ。

 何時も、精霊に語る時と同じく、心を共感させながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る