第126話


 炎の子と馬を戦利品にバルム族の居住地に戻った僕を待っていたのは、歓声と怨嗟の声だった。

 いやもちろん、怨嗟を向けられたのは僕じゃなくて、まだ名前も知らない炎の子だったが。


 僕を英雄だと褒め称える声と、炎の子を殺せと罵る声。

 どちらも等しく、僕にとっては雑音に過ぎない。

 だって口では殺せと言いながら、炎の子の力を恐れ、遠巻きにして近付いて来ない連中の言葉に、一体何の価値があるだろう。

 まぁ部族の精鋭が壊滅させられた相手なのだから、憎くて怖くて当たり前ではあるのだけれども。


 だが遠巻きにしていたところで、炎の子の力が届かない訳じゃない。

 向けられる憎しみに対して、咄嗟に発火能力を使おうとした炎の子の髪を、僕は掴んでグイと引く。

 視線は逸れて宙を向き、空中にボッと炎の花が咲いた。

 悲鳴は上がるが、バルム族の者達がそれ以上は逃げなかったのは、僕が止めると理解したからか、それとも残された矜持か。


 しかしそれにしても、間近で見ると便利な能力だなぁと思う。

 個人的にはマルテナの持ってた二つの能力、ヒーリングの方が便利で、念動力の方を脅威に思うが、単純な殺傷力は炎の子の発火能力の方が高い。

 ましてや教会による能力開発も受けずにこれなのだから、ダーリア族が特別な存在として扱ったのも頷ける。

 尤も今の彼だと、遠距離なら兎も角、近距離で僕を出し抜いて能力を使うのは不可能だ。

 発動の兆候があまりに分かり易過ぎる。


 そういえば、何時までも炎の子だと不便だと思い、僕が彼に名を問おう、そう思った時だった。

 ツェレンと老人衆が、天幕を出て居住地の広場にやって来る。

「お帰りなさいませ、風の使いよ。御身の無事を、草原に吹く風に感謝します」

 それは些か以上に儀礼的な言葉だったけれど、ツェレンの顔には隠し切れない安堵が浮かぶ。

 どうやら彼女は、随分と僕を心配してくれていたらしい。


 けれども僕がツェレンに言葉を返すよりも早く、無粋にも割り込んで来たのは老人衆だ。

「何故じゃ、何故にそれを殺さん」

 そんな風に、寝惚けた事を言いながら。

 だから僕はそんなボケてしまった老人衆を、鼻で笑う。 


「まだまだ若いのに、物忘れが激しいね。敵を殺す心算がないなら一人で行けと言ったのはそちらで、敵を殺す心算がないから一人で行くと言ったのが僕だ。その結果がこれだよ。分かるよね?」

 僕は炎の子が余計な事を言わないように、余計な行動を取らないように首に手を添えながら、老人衆を真っ直ぐ見据える。

 すると彼らは、明確に怯む。

 まぁ僕と彼らの、力の差は明白だ。

 彼らにとって、僕は化け物にしか見えないだろう。


 そして実際、普通の人間にとっては、僕は残念ながら化け物だった。

 既に数百年の時間を生きていて、人には扱えぬ力を振るう。

 正しくは精霊の力を借りているのだとしても、その違いなんて分かる筈もないのだから。

 それ故に、余計に彼らは主導権を握ろうと、どうにか僕の手綱を握ろうと、必死に虚勢を張るのかもしれない。


「まぁどうしてもって言うなら、解き放つから自分達で殺してみる? 最大の脅威である炎の子が排除されたら僕がここに居る理由もないし、すぐに立ち去らせて貰うけれど」

 幾ら発火能力者でも、護衛なしで複数の戦士に囲まれたなら、何人かは返り討ちにできても、結局は寄って集って斬り殺されるだろう。

 だけど炎の子がいなくても、ダーリア族の戦士は丸ごと無事であるのだから、バルム族は報復として、或いは炎の子を失ったからこそ代わりに風の子を求められて、滅ぼされる。

 それは至極分かり易い理屈だった。

 老人衆は黙り込み、僕から目を逸らす。


 もちろん本当の所は、彼らが何といったところで、炎の子を殺させる心算はない。

 何故なら彼は、まだ十三歳の少年で、僕からすれば子供である。

 多くの恨みを買った身ではあっても、より重い責任があるのは、彼を戦いに使うと決めたダーリア族の大人達だ。


 またツェレンの弟、シュロとは、彼らを守るとの約束もしてるから、見捨てる心算は毛頭なかった。

 個人的にはこの約束は、風の精霊の頼み事に匹敵するくらいに、大切に思う。


「風の使いの心を縛る事は、私達にはできません。思うようになさって下さい。必要な物があれば仰って下さい、私達は求めに応じます。御身が我らをお救い下さった恩を、バルム族は忘れません」

 僕の言葉に頷いたツェレンは、老人衆を置いて一歩前に出て、皆に向かってそう宣言する。

 風の子として、バルム族を代表しての言葉は、皆の前で発された以上は、老人衆にも撤回はできない。


 本当に聡くて思慮深い、できた子だ。

 僕の心を察し、バルム族の利を図り、全てを受け入れると決めた。

 老人衆とのやり取りの最中も、どうするべきかを考えていたのだろう。


 ……本当に子供らしくなくて、だからこそ興味深い。

 その小さな肩に重責を背負えど、ツェレンは揺るがずに立っている。

 立場という仮面を被り、その心を隠して。


 役割を大人以上に立派にこなす彼女を、子供と侮る事はすまい。

 しかし僕は、それでもツェレンが仮面の下に秘めた心を、覗いてみたいと、そう思う。

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