第125話


 草原の良い所は、どこまでも遠くが見える事だ。

 草原の悪い所は、見通しが良すぎて隠れる場所がない事だ。


 僕の視界の遥か先で、数十の騎兵がこちらに向かって近づいて来てる。

 そして僕の肉眼で相手が見えるという事は、同時に相手からも僕が見えていた。

 一斉に弓を引き絞り、天に向かって矢を放つダーリア族の騎兵達。

 弧を描いた多数の矢が、僕に向かって雨のように降り注ぐ。


 たった一人の相手に、実に大袈裟な攻撃だった。

 名乗るでなく、一人で立ちはだかる意図を問うでなく、降伏を勧告するでなく。

 侮って矢を惜しんで馬でひき潰そうとするでもなく、ただ一人の僕に向かって全力で攻撃を行う。

 前回の襲撃隊が理解の及ばぬ形で敗れたとはいえ、ここまで徹底した対処はそうは取れない。


 ダーリア族だけがそうなのか、それともこの草原に生きる遊牧民達は皆そうなのかはわからないけれども、彼らは間違いなく強く優秀な戦士である。

 しかし残念ながら、僕に対して集団の力というのは、実は然程に意味がない。


「風の精霊よ」

 呟き大きく手を振れば、吹き荒ぶ風が矢の雨を纏めて薙ぎ払う。

 すると驚いた事に騎兵達は、既に僕に向かっての突撃を開始してて、馬上でこちらに向かって真っすぐに矢を構えていた。

 先程の攻撃が通じないと、まるで予測でもしていたかのように。


 最初の射撃は小さな鏃で弓なりに遠距離射撃を、次に構えた矢は大きな鏃で近距離から真っ直ぐ飛ぶ威力のある射撃を狙うもの。

 だけどやはり、それも僕には届かない。

 放たれた矢に対して手を翳せば、風の精霊は圧縮した空気の砲弾を正確にぶつけて迎撃する。


 必殺の矢を防がれた騎兵達の顔に、動揺が走った。

 でも彼らはそれでも止まらずに近接武器を抜く。

 彼らの武器は、湾曲した剣に短槍、それから戦闘用のツルハシであるウォーピックだ。

 僕の横を走り抜けながら、手にした武器を叩き付ける。

 馬の勢いを借りて近接武器を叩き付ければ、流石に風では止められまい。

 ……そんな考えが透けて見えた。


 けれどもそんな攻撃を、僕がまともに受ける義理はない。

 僕は突撃してくる騎兵に向かって、もう一度手を向けて言葉を発す。

「風の精霊よ」

 呼び掛けに応えた風の精霊は、先程矢を撃ち落としたそれよりも更に強く、圧縮した空気の砲弾を放って、騎兵達の胸にぶつけた。

 馬はそのまま僕の隣を走り抜け、その背に乗っていた筈の騎兵達は弾き飛ばされ地に落ちる。


 落下の衝撃は風がそっと軽減をしたから、命に別状はない筈だ。

 流石に千や万の軍勢が相手となれば、相手の命を気遣う余裕はないけれど、この程度の数なら殺さず無力化はそれ程に困難な事じゃなかった。

 僕を仕留める心算なら、軍勢ではなく個の力が必要である。

 例えば仙人の類や、竜か巨人。

 或いは……、最盛期のクレイアスにマルテナ、それにアイレナを加えた白の湖のフルメンバーだったなら、僕を殺す事もできたかもしれない。


 アイレナが精霊の力を少しでも抑えて、マルテナがそれを彼女の神術、念動力で補助し、クレイアスが間近に接近してきたら……、僕も流石に死ぬと思う。

 今ならクレイアスとも多少は打ち合えると思うのだけれど、それでも一度入ってしまった彼の間合いからの離脱は不可能だ。

 もはや故人である彼らとの戦いなんて、ありえない話ではあるのだけれど。


 しかしダーリア族の騎兵達は皆が優秀な戦士ではあるが、飛び抜けた個の力というには程遠かった。

 故に僕が声を発する度、手を振るう度に、騎兵達は馬から叩き落されて行く。


 だがその時だ。

 ぶつけられた強い殺気を僕が身を反らして回避すれば、先程まで顔があったその位置に、ボッと炎の花が咲いて散る。

 あぁ、やはり想像通りに、神術の発火能力者だったか。


 神術は個人の資質で大きく変わるから一概には言えないが、詠唱等を必要とせず、出が速い事が多いから対処の難しい力だ。

 中でも恐らくは視線に意志を乗せるだけで発動し、見た物を燃やすのであろう発火能力、パイロキネシスは特に厄介な部類に入るのだろう。

 だけど相手の能力は僕の想定通りで、また相手を特定もしたから、もうその力は通じない。


 再び殺気が僕にぶつかった。

 でも僕は慌てず騒がず、先程中空に散った炎の花の残骸、一粒の火の粉を手の平に乗せて、

「火の精霊よ」

 そう呟く。

 そして次の瞬間、発火能力が発動し、僕の身体は炎に包まれる。

 一度目よりも遥かに大きく、強い炎に、


 けれども、僕は燃えない。

 身に纏った衣類も、携えた弓も、腰に吊るした魔剣も、同じくだ。

 さっき散った炎の花の名残、一粒の火の粉には、火の精霊が宿ったから。

 彼、または彼女がいる限り、炎はもう、決して僕を傷付けなかった。


 腰の魔剣を引き抜き、僕は駆ける。

 炎を発した相手、発火能力者、炎の子と呼ばれる彼に向かって。


 止めに入る者は、居なかった。

 必殺の筈の炎が、ダーリア族にとっての力の象徴が、僕には何の効果も齎さなかったから。

 僕に向けられる視線には、どれも明確な恐れが混じってる。

 よく訓練された兵だったが、どうやらやっと折れたらしい。


 そう、それは今まさに僕が迫りつつある炎の子も同様で。

 恐怖が故に己の力、発火能力を、幾度も幾度も僕に向かって振るう。

 でもその度に力の発露、視線を、僕は魔剣を振って切り払った。

 切っ先は燃える。

 だけど魔力を通して強化された魔剣は、その程度では傷付きもしない。


 火の精霊が守ってくれる以上は燃えないのだから、別に喰らっても構わないのだけれども、多分この方が彼らの絶望感が増すだろうから。

 敢えて僕は発火能力を剣を使って捻じ伏せた。


 間近に迫った僕は、逃げる事すら忘れて何かを叫ぶ炎の子に、魔剣を突き付けて宣言する。

「よし、捕まえた。これで僕の勝ちだよ」

 ……と、そんな風に、笑みを浮かべて。


 その効果は覿面だ。

 強いって事は、基本的には長所だけれど、時には弱みとしても働く。

 例えば、今みたいに一番強い炎の子があっさり敗れてしまったら、ダーリア族の士気が崩壊してしまったように。

 それから僕は炎の子を捕まえたまま、周囲の騎兵を追い払って、バルム族の居住地への帰還を果たす。  

 残されてた馬の数頭も手土産にして。


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