第103話
昔から、カエハと剣の修練をする時は、僕は彼女と並んで剣を振って来た。
だけど今、僕の剣を教えるカエハは、剣を持たずに僕の前に立っている。
それがどうにも、違和感があって落ち着かない。
「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。貴方が私を模倣しようとして剣を振ったのと同じか、それ以上の時間は、私はエイサーに教える事を考えながら剣を振りましたから」
僕と向き合うカエハは、そう言って笑った。
それはとても軽い口調で告げられたけれど、だけど彼女が口にするなら、紛れもない事実なのだろう。
実に光栄な話だけれど、同時に今になって漸くカエハに剣を学ぶという事が、非常に申し訳なく感じる。
しかし彼女は今更それを気にした風はなく、
「人には己が持つ力を発揮し易いタイミングがあります。逆に力を発揮しにくいタイミングもあります。例えば切り結んで競り合う最中に息を吐いてしまうと、力が抜けるでしょう?」
淡々と説明を続けて行く。
その話は、どこかで聞いた事があった。
もしかすると前世で聞いた話を、薄っすらと覚えてるのかもしれないけれども。
実際、呼吸というのは割合に大事だ。
弓で狩りをする時も、獲物の呼吸や視線、気配等から動きを読んで矢を放つ。
「剣を振るう時、心技体が満ち、それに状況が適していれば最良でしょう。また最良の状態で剣を振るえるように場を整える事は、戦う上でとても大切です」
カエハはそう言いながら、剣を振るう仕草を取った。
何も握らず無手のままなのに、まるで握った空気が空間を切り裂いたかのような、錯覚を覚えるその華麗な仕草。
やはり彼女の剣は、華がある。
相手の視線や呼吸、気配を読んでタイミングを計り、最良の一撃で相手を切り裂く。
それはとても綺麗な、正に理想の展開だ。
常にそう在れるならと、僕は心底そう思う。
「弓を修めているからでしょうか。エイサーはその辺りは、とても上手な風に感じます。ですが逆に、心技体が満ち、適した状況になっていなければ、貴方はあまり剣を振りたがりませんね」
そしてそんな僕の考えを見抜いているかのように、カエハは言う。
……あぁ、うん、まぁ、そんな所は、あるかもしれない。
だって体勢が崩れて、或いは自分の準備が整わずに振るう剣なんて、僕が憧れたカエハの剣では決してないから。
崩れた剣を振るなんて、嫌だ。
故に僕の剣での戦い方は、相手を待ち受けた上で一撃を叩き込むばかり。
それしかできないから、仮にそうと見抜かれてしまえば、僕の剣はもう相手に通用しない。
「それが貴方の欠点です。体勢が崩れていても、心の準備が整わずとも、剣を振って相手を崩し、隙に捻じ込み相手を切り裂く。強引であっても無様であっても、振るわねばならぬ剣を振るい、勝ち切る剣士が、強い剣士です」
カエハの言葉に、僕は何も言い返せなかった。
それは多分、そうなのだろう。
いや多分でなく、彼女が言う以上はそうなのだけれど、それでも心が引っ掛かる。
僕がカエハに教わった、彼女を模倣した剣を、不完全に振るうなんて事が、あっていいのかと思ってしまう。
向き合ったまま、僕とカエハの間に沈黙が流れた。
分かりましたの一言が、どうしても口にできない。
彼女が、師が正しい事なんて、僕にだって分かっているのに。
「……ですが貴方は頑固で我儘ですから、私が言っても聞かない事は、知ってます」
沈黙を、先に破ったのはカエハだった。
その言葉は溜息交じりで、なのにどこか、嬉しそうで。
「ですから私は考えました。エイサーが私の剣を不完全な形では振れぬなら、私がどんな状況でも、転ぶ最中でも寝ていても不意打ちを喰らっても、貴方が真似たいと思う剣を振るえればいいと」
そして何やら、ちょっとおかしな事を言い出した。
いやいや、僕が不完全な剣を振れないって話で、どうしてカエハが不完全な状態からでも完全な剣を振るえるようにって話になるんだろうか。
そもそもそんな事が可能なのか?
「先程、言ったでしょう。貴方に教える事を考えて、沢山剣を振ったと。ですからある程度はできますよ。寝ながらはまだ修練中ですが、転びかけでも不意を打たれても、普段と大きくは変わらずに、剣を振れます」
カエハの口調は、それが至極当たり前だといった風で。
その言葉が一切の偽りなく、誇張なく、真実なのだと僕に知らしめる。
更に実際に無手のままに宙を握って、無構えから素早く四方八方に向かって、背面にさえも、流れるような動きから腕を振るって見えぬ剣を届かせた。
それは一見は無造作に、単に軽く動きながら添えた両手を振り回してるように見えるけれども、少し前の斬撃の動作と同様に、握った空気が空間を切り裂くかのような鋭さを感じてしまう。
きっと彼女は剣を握っても、今と同じように鋭く、だけど無造作に、何の準備も構えもなしに、それを振るえてしまうのだ。
「後は貴方が、私の剣を模倣して身に付けるだけです。エイサー、簡単ではないでしょうが、できますね?」
喋りながらも全く手を止めず、その動作の一つ一つから鋭さは欠片も失われず、その顔には笑みさえ浮かべて。
彼女は僕に問う。
つまりカエハは、僕に模倣させる為に、自身があらゆる状態から剣を振るえるように修練を積んだと、そう言っていた。
……そんなの、無理だなんて、言えよう筈がない。
やがて動きを止めたカエハは、まだ衝撃の抜けきらぬ僕を楽し気に見詰め、
「エイサーにこれを教える事だけは、私にしかできないでしょう。これでも結構頑張ったので、貴方が驚いてくれて嬉しいです」
またクスクスと笑う。
確かに僕の剣は、カエハの技に憧れて、それを再現するべく磨いた物だ。
だから今も、彼女が見せた技に胸は鼓動を早め、同じ剣を振るってみたいと、身体が震える。
「えっと、シズキもその剣を?」
だけど僕がその技を教わってしまって良いのだろうかと、不安も湧いた。
だってその技は、今のヨソギ流の、何やら極意のような物じゃ、ないのだろうかと思ってしまったから。
しかしカエハは、首を横に振る。
「いいえ、あの子は、ヨソギ流を盛り立てる為でもありますけれど、真っ当に自分が強くなる為に剣を振ってますから。こんな奇天烈な剣は不要です。あの子はもう自ら考えて技を練り、日々成長をしています」
そして誇らしげに、そう言った。
シズキは僕みたいに、困った剣士じゃないのだと。
拘りよりも勝利を選べる、心・技・体の全てを揃えた自慢の息子を侮ってくれるなと、言わんばかりの表情で。
「私の剣を再現する事を目的としてる捻くれた弟子は、エイサーしかいませんよ。他の弟子はこんなに手間が掛かりません。ですから貴方には、私しか教えられないのです」
心が未熟な僕に、カエハは心を伴わずとも圧倒的な技量で相手を斬り伏せろと、そう言ってる。
その為の見本は、自分がそれを可能として用意したからと。
僕はカエハのその言葉に、頭を下げて剣を置き、剣を握った心算で宙を掴む。
彼女が剣を使わず、敢えて無手でそれを見せたのは、僕に真似させる為だろう。
今の僕にはその意味はまだ理解できないけれども、……だからこそ真似て考えるのだ。
真似て考え、真似て考え、模倣の果てに理解する。
それは何時もと変わらぬ剣の修練。
再び道標は、僕の前に示された。
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