第98話


「遥かな遠方から山を越えてやって来た、儂らの新たな友に、乾杯!!」

 アズヴァルドがそう言って酒で満ちたゴブレットを掲げれば、ドワーフ達は皆笑みを浮かべてゴブレットの酒を飲み干す。

 ドワーフの国にやって来たエルフ達を歓迎する宴は、幾度も開催されている。

 そんなの一度で充分だと思うのだけれど、飲んで騒ぎたいドワーフ達に、良い口実として使われてる感じだ。


 だけどそんなドワーフ達が開く宴は、エルフ達には厳しい試練になっていた。

「ほうら、お前さんも飲め飲め!」

 僕のゴブレットに、ドワーフ達が次々と酒を注ぎに来る。

 もちろん、他のエルフ達のゴブレットにも。


 自らの酒を分け与える事こそが、ドワーフにとっては最大級の歓迎を表すもてなしだ。

 しかしこの宴で注がれる酒は、ドワーフ達が好む酒精の強い蒸留酒。

 何年もこの国に住み、飲み慣れて酒量の限界やペースを掴んでる僕なら兎も角、他のエルフ達には酒精の強過ぎる代物だから。

  

 ドワーフ達も女性陣には加減や遠慮をするけれど、相手が男であるなら容赦はしない。

 冒険者をしてる二人の男エルフは、あっと言う間に酔い潰されて、ひっくり返った彼らの周りでドワーフ達が騒いでる。

 ……可哀想だし、後で隙を見て回収してやろう。


 でもそんな男エルフの中にも、一人だけ被害を免れてる奴が居た。

 そう、吟遊詩人のヒューレシオだ。

 彼は強い酒を飲めば曲を奏でられなくなるし、喉も焼けてしまうからと、上手く酔っ払いをあしらって躱してる。

 やはりヒューレシオは面白い。

 恐らく踏んだ場数や経験が、冒険者よりも豊富なのだろう。

 それは酒の席だけの話じゃなくて、色々な意味で。


 僕はそれとなく周囲の様子を眺めながら、薄く切った肉を摘んで口に押し込む。

 少しばかり塩気が強いが、肉の旨味も負けてない。

 肉を咀嚼して、飲み込んでも口の中に残る味を、酒で洗って胃に流す。

 するとまた、肉の塩気と旨味が欲しくなる。

 まぁ急ぐとすぐに酔ってしまって長く楽しめないから、慌てずにゆっくりだ。



 ふと、僕の前の席に、一人のエルフが座った。

「エイサー様、お酒強いですね! あ、お注ぎしましょうか?」

 なんて風に明るく言って来るから、僕は首を横に振る。

 飲み慣れてるといっても限度はあるのだから、酒を勧められるのはドワーフだけで手一杯だ。

 ドワーフ達が殴り合いの喧嘩を始めるかもしれないし、その時は巻き込まれないように酔い潰れたエルフ達を回収しなきゃならない。

 だから僕はもう暫くは、正気を保ってる必要があった。


「ドワーフの国に住んでそこそこになるから、慣れてるだけだよ。飲み方も、勧められた酒の断り方も」

 僕がそう言えば、彼女、エルフの画家であるレビースは、ふぅんと感心したような声を漏らす。

 彼女は随分と上機嫌な様子で、顔も赤い。

 実は大分と酔ってそうだ。

 宴ではドワーフの蒸留酒以外にも、輸入品の酒が供されてるから、そちらを口にしたらしい。


「今日は楽しそうだね。描いてた絵、完成したの?」

 レビースの機嫌が良いとすれば、それは酒のせいじゃないだろう。

 そう思って問えば、彼女は大きく大きく頷いた。


「そうなんです! 聞いて下さい! 本当に、エイサー様、私、このドワーフの国に、来てよかったです!」

 身を乗り出してそう言うレビースを、僕は押し留めて席に座らせる。

 今日は本当に酔ってるな。

 余程に絵の出来に納得が行ったのだろうか。

 だったら明日……は、残った酒で動けなさそうだから、明後日にでも見せて貰おう。


 ドワーフの国に来てよかった、レビースがそんな風に口にした事には、ちょっとした……、いや彼女にとっては大きな理由がある。

 例えば吟遊詩人であるヒューレシオに比べての話だけれど、レビースの行動範囲は然程に広くはない。

 画家といえば色んな場所を旅して、絵にしてる印象があるけれど、実はそんなに自由でもないそうだ。


 何故なら描いた絵の価値を認め、金を出してくれる相手がいなければ、画家という仕事は成り立たないから。

 レビースの場合、ルードリア王国やザインツ、ジデェール、カーコイム公国辺りでは名が知られていて、商人や貴族を相手に絵が売れる。

 だけどそこから大きく離れてしまえば、画家として金を稼ぐ事は急に難しくなるだろう。

 また貴族相手には風景画よりも人物画、特に見合い相手に届ける似姿を望まれるそうで、彼女の描きたい物と必要とされる仕事には差異があった。

 レビース自身は、色んな場所を見て、それを絵に残したいと思っているのに、彼女の理想と現実は乖離してる。


 冒険者を兼業すれば、もっと遠くへ旅をして、そこを絵に残す事もできるだろう。

 精霊の助力を受けられるエルフである彼女は、決して無力ではない。

 けれどもレビースは荒事が苦手で、自衛の為以外に戦うなんて真っ平なんだとか。

 まぁその気持ちは、僕にも少しわかる。

 僕は別に荒事が苦手な訳じゃないけれど、戦いを生業としてそれに時間を費やすよりも、自分が好きな事に時間を使いたいという気持ちは、些か以上に共感ができた。


 故にドワーフの国という、未知だった場所に来て絵を描けるのが、彼女にとっては非常に幸福な体験だと感じるらしい。

 楽しそうに語るレビースの言葉に耳を傾けながら、僕は肉と酒を口に運ぶ。


「それでヒューレシオと話したんですけど、そのうちもっとエルフの仲間を集めて、キャラバンを作って各地を旅しようって。そしたら色んな所に行けるし、助け合えばきっと楽しいって」

 彼女が語る言葉は、今は構想の、もっと言えばまだまだ夢の段階だ。

 でもそれは、実現可能な夢である。

 なんたってドワーフとエルフの交流なんて、ずぅっと昔から誰もが無理だと笑い飛ばしてた事が、今では現実味を帯びてきてるのだ。

 本気でそれを望むなら、叶わぬ筈がないだろう。


「エイサー様も、いかがですか! 絵なら私が教えますし、ヒューレシオもエイサー様と歌ってみたいって言ってましたし! あっちに行ってこっちに行って、色んな物を見て商売もして!」

 レビースの言葉は、とても魅力的な誘いだった。

 深い森を出たばかりの僕だったなら、一も二もなく飛びついただろう程に。


 でも僕は、首を横に振る。

「今は、良いかな。まだやる事が、うぅん、違うね。やりたい事が、他にあるから」

 暫くの間は時間の使い方が決まってるし、それ以降も、どうだろうか。


 僕は自分が我儘で、あまり長い間は他人に合わせられないと知っていた。

 人間が相手なら兎も角、寿命の長いエルフが相手なら、ずっと一緒には居られないだろう。

 そしてエルフ達は、恐らく無理にでも僕の我儘に合わせてくれようとするだろうから、彼らにとって僕の存在は、時に毒となる。

 エルフのキャラバンができたとしても、時々一緒に行動するくらいが、恐らくはお互いの為なのだ。



 気付けば、レビースは酒が回ったのかテーブルに突っ伏してふにゃふにゅ言ってる。

 向こうでは、ちょっと騒ぎが起き始めてた。

 そろそろ酔い潰れたエルフ達を回収して、安全な場所に避難させようか。


 辺りの様子を見回してると、同じようにきょろきょろとしてるアイレナと目が合った。

 多分彼女も、そろそろ仲間達を回収しようと考えているのだろう。

 ならレビースはアイレナに任せて、僕は酔い潰れた男エルフ達の回収だ。

 喧噪の中を掻き分けて、僕は彼らの救出に向かう。

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