第89話



 それは人の小さな器に、多くの命を無理矢理に詰め込んだ酷く歪んだ存在だった。

 器が破れて中身が漏れ出してるから、出て行く以上に取り込まなければ滅びてしまう。

 だから更に多くの命を詰め込んで、グチャグチャに膨らんだ化け物。

 だったらせめて化け物らしい姿をしていてくれればいいのに、人の形を保っている物だから、余計に違和感を感じて気持ちが悪い。


 まぁ出会う前からわかってた事だけれど、実際にそれを眼前にすれば、目を逸らしたくなるような醜悪さだ。

 今ばかりは、色々とハッキリ見えてしまうハイエルフの感覚を、恨めしく思う。


「ずい――と、――ぼうな―――じ―だ」

 それが何やら音を発した。

 多分僕に何かを言ったのだろうけれど、あまりの嫌悪感に脳が、その音を声や言葉と認識する事を拒む。

 故にそれが、レイホンが何を言ってたとしても、どうでもいい。


 それよりも問題は、胸に命中した筈の矢が、突き刺さっていない事だ。

 服は射貫いたが、矢が皮膚で止まってる。

 単なる木の矢なら兎も角、グランウルフの爪牙を削った鏃は魔物をも容易く貫くというのに。

 どんな仕組みかは分からないが、笑える程に化け物だった。


「風の精霊よ」

 しかしそれなら攻撃手段を変えるだけ。

 風の通り道は開いてる。

 思いっ切り圧縮した風を部屋の中に詰め込んで、弾けるように解放し、屋敷の一部ごとレイホンを消し飛ばす……筈だった。


「き――――をもって――せい―」

 なのにレイホンが何か音を発しながら刀印を切れば、圧縮した風が消えてしまう。

 確かに風の精霊は僕の願いに応じて助力をしてくれたのに、その効果がいきなり消えた?

 あってはならない現象に動揺し、僕の反応は一瞬遅れる。

 そう、ほんの僅か、一つの瞬きをする間だけ。


 だがその一瞬で、レイホンは間近まで間合いを詰めていて、僕の腹に五指を突き立てようとする。

 必死に身を捩じって逃れれば、掠めた指の数本は僕の脇腹をザクリと裂いた。

 そして無理な動きに体勢の崩れた僕を、レイホンの蹴りが吹き飛ばす。


 バルコニーから弾き出された僕の身体はその勢いのまま地にぶつかっ……らず、咄嗟に地の精霊が柔らかな砂に変化させた大地に受け止められた。

 いや、うん、そのまま地に叩き付けられてたら、下手をしなくても大怪我である。

 レイホンの蹴りを咄嗟に受け止めた愛用の弓が、非常にしなやかで頑丈な霊木の枝製だった事も、僕が命拾いをした要因の一つだ。

 生半可な弓だったら、簡単に圧し折れて僕を守ってはくれなかっただろう。



 ……でも、うん、実に情けない。

 痛みを堪えて、起き上がる。

 自然に干渉するという仙術なら、精霊の振るう力に干渉する事だってあるかもしれないのに、あの歪んだ存在感への嫌悪から、それをすっかり忘れてしまっていた。

 だから動揺なんてして無様を晒す。


 更に問題なのは、単純に僕が弱い事。

 力を貸してくれる精霊は強く、僕はその力の扱い自体は上手いと思う。

 他にも、弓も得手で、剣もそれなり、魔術だって使える。

 にも拘らず、それ等を用いた戦闘の組み立て方がどうにも下手だ。


 単に力を、技術をぶつけ、それが通じなければ終いでは、力自慢の荒くれ者と大差がなかった。

 いやまぁ、その手の荒くれ者との喧嘩が、僕は戦いらしき物の中では一番楽しく感じるのだけれど。


 だけどそれでは、吸血鬼はどうやら殺せないらしい。

 だったらもう、仕方がなかった。

 この吸血鬼は、必ずここで殺す必要がある。

 それも物音を聞き付けた衛兵が、駆け付けて来るその前に。


 でも勘違いしちゃいけないのは、僕は正義の味方として悪い吸血鬼を退治する為にここに居る訳じゃないって事。

 もちろんハイエルフの代表としてでもない。

 人が限られた寿命を延ばそうと足掻くのは、悪い事でもなければ醜い行為でもないのだ。

 たとえそれが他人を糧に、犠牲にする形で成されるのだとしても、生物が他の生物を糧に生きるのは至極当たり前の話である。

 少なくとも僕みたいな長い寿命を持つハイエルフが、安易に否定する事ではないだろう。


 ただ僕は、個人的な感情としてそれを受け入れられず、またレイホンが生きてるだけで大切な人が危険に晒される。

 故に相手を殺そうとしてるだけだった。

 勘違いは、しちゃいけない。


 ならば僕が成すべきは吸血鬼を蔑んだ目で見るのではなく、レイホンを強敵として認め、その上で殺せるように戦うのだ。

 僕自身は大した事がないとしても、僕の師はそれぞれに皆が凄いから、その位はどうにかなるだろう。


 大きく息を吐き、バルコニーからこちらを見下ろすレイホンを見る。

「――がいにしぶ――な。しか――のていどのじつりょくで私に挑むとは、愚かな森人め。恐れ、悔い、震え泣きながら私の糧になるがいい」

 不快感はあまり変わらないが、漸く発する音が声に聞こえ、言葉として認識できてきた。

 脇腹に傷を負って血を流したからだろうか。

 頭も大分と冷えている。

 それにしてもまぁ、随分とステレオタイプな台詞を吐いていた。


 ……恥ずかしくないのだろうか? 

 いや、うん、そんな台詞を口にする相手に、見下されるこの状況に陥った僕の方が、その何倍も恥ずかしいか。


 僕は口元に笑みを浮かべる。

 この滑稽な状況が、自身の至らなさが可笑しくて。

 でもレイホンは、馬鹿にされたとでも思ったのだろうか、その笑みが気に食わなかったらしく、表情に怒りを浮かべて、気付けば間合いを詰めて拳を振り被っていた。

 先程もそうだったが、恐ろしく動きが速い。

 けれども、そう、確かに速いが、それでもその動きは一度は見ていた。


「地ッ!」

 迫る拳から逃れる為に僕が大きく後ろに飛ぶと同時に、大地が隆起し石の槍と化す。

 無数の石槍がレイホンに迫る。


「木行を以てッ……」

 するとすかさず文言を唱えながら刀印を切ろうとするが、うん、それもさっき、一度見た。

 無効化されるのは、もう知ってる。

 呼び掛けを口に出しては間に合わないから、手を振り下ろして風を扇ぐように。


 その意図を理解してくれた風の精霊は、空から圧縮した風を砲弾の如くレイホン目掛けて無数に打ち込む。

 地の槍と風の砲弾、上下の攻撃に挟まれるレイホンに、僕はそのまま手を翳す。

 無効化はされても構わない。

 消し飛ばせる大きな一発じゃなく、小さな攻撃を多く重ねて、動きが止まれば十分だ。


 レイホンは僕を森人、普通のエルフだと思ったらしいが、残念ながらそれは間違いである。

 未完成なままに無効化されたから、部屋ごと消し飛ばそうとした攻撃の規模はわからなかったのだろうか?

 僕は普通のエルフよりも、精霊の助力を得る事に長けた種族、ハイエルフ。

 故にレイホンが想定していた以上の攻撃が、彼を釘付けにして動かさない。


「エイ、ダー、ピットス、ロー、フォース!」

 そして僕が口にするのは、精霊に助力を乞う言葉ではなく、魔術を行使する為の発声。

 発する魔力を術式が炎の塊に変えて、僕はそれを手の平から撃ち出した。

 放たれた爆裂する火球の魔術は狙い違わずレイホンに着弾し、大きな爆発を起こす。


 強力な攻撃魔術は、並の人間であれば数人の命を容易く奪う威力だ。

 であるならば、そう、並の人間でないレイホンは、当然ながら耐えるだろう。

 爆炎を突っ切って、両手の爪をぎらつかせ、僕に襲い掛かるレイホン。

 流石に多少は痛かったのか、表情が激しい怒りに歪んでる。


 だけどそれも、一連の攻撃を始めた時点で、既に予測済みだった。

 だから僕はもう、構えてる。

 相手を斬って殺すと心に定めて、魔力を流して発動した魔剣で、ヨソギ流の技を振るう。


 横に一閃、縦にも一閃。

 勝負は、それで決まった。

 レイホンは恐らく、己の身体の強度に余程の自信があるのだろう。

 どんな仕組みかは知らないが、グランウルフの爪牙を削った鏃が刺さらなかった程だ。

 なので剣を己の身体で受け止めて、強引に僕を喰い殺そうとした。


 けれども僕とて、カウシュマンと共に鍛えた魔剣には自信がある。

 鍛冶の実力はアズヴァルド仕込みなのだから言わずもがな。

 剣士としての戦いの技は未熟だが、それでもカエハに憧れて振り続けた剣の鋭さは、彼女だって認めてくれた。

 その魔剣を、鋭さを、殺す心算で振るったのだ。

 どれ程に硬くても、斬れぬ筈がない。



 ……四分割されたレイホンが、地に伏して藻掻く。

 僕が前世の知識で知る吸血鬼は、灰からでも蘇ったそうだけれど、この世界の吸血鬼はそうじゃない。

 日光を苦手としないし、流れる水も渡れるし、ニンニクも十字架も気にもしないだろうが、その代わりに殺せばちゃんと死ぬ存在だ。

 まぁ四分割くらいなら、貯め込んだ命を盛大に浪費すれば生き永らえるのかもしれないが、僕にそれを許す心算はなかった。


 レイホンは僕に向かって必死に口を動かしてるが、縦にも割ってるから当然ながら喉から声は出ない。

 でもおおよそ、言いたい事はわかる。

 命乞いや取引、或いは怨嗟の言葉を吐いてるといった所だろう。


 脇腹の傷が今になって熱くズクズクと痛む。

 全く以て僕には、こういうのは向いてない。

 でもだからこそ、僕はもう少しばかり強くならなければならないと、そんな風に思う。

 このまま森の外で過ごすなら、再び化け物の類と出くわす事も、恐らくある。

 それが何十年後か、或いは何百年後かは分からないが、……その時の相手が、この程度で済むとは限らないのだから。


 僕は魔剣に魔力を流し、えいやと思い切り、突き刺した。

 何度も、何度も。

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