第90話


 それから、衛兵に捕まる前に現場から逃げた僕は、ドワーフ達に匿われて傷の手当てを受けた。

 しかし手当といっても頑丈な種族であるドワーフのそれは実に荒っぽく、いきなり度数の高い蒸留酒で傷口をごしごしと洗われた時は、思わず情けない悲鳴を上げてしまったけれど。

 正直、レイホンに傷を負わされた時よりも、手当の方がずっとずっと痛かったように思う。

 ドワーフ曰く、余程悪い物に触れたのか、傷口が腐りかけていたらしい。

 その悪い部分をこそぎ落とす為、手荒にならざるを得なかったのだとか。


 いやまぁ、痛かったし驚いたが、そういう事情なら仕方ない。

 ある程度の処置が終われば、自身でも魔術を用いて傷の修復を早める事もできる。

 終わってから振り返ってみると、今回は意外と魔術に頼る場面が多かったようにも思う。


 さてレイホン殺害の犯人捜しは、帝国の権力者が殺された割には、実に小規模でしか行われなかった。

 それはレイホンが軍や貴族から嫌われていた事もあっただろうが、それどころではない事件が起きてしまったから。

 公的には、皇帝が重い病に掛かって療養の為に帝位を退き、太子がその後を継いだとのみ発表されたが、代替わりの内実は凄惨な物だ。

 風の精霊が運んで来てくれた城の声に耳を傾ければ、……その病とは要するに、皇帝の食屍鬼化であったから。


 何でも命の供給源であったレイホンを失った皇帝は玉座の上で正気を失い、食屍鬼と化して城で働く貴族や役人、女中を十数人も殺して貪り食ったらしい。

 幾ら狂暴な化け物であっても、元が皇帝では安易に討伐もできず、取り押さえる迄には更なる犠牲者が出たという。

 結局は食屍鬼と化した皇帝は何とか塔の一室に監禁できたが、当然ながらそんな事件を公にする訳にもいかない。

 帝国の威信に罅が入るどころか、下手をすると国がバラバラになりかねない位の醜聞だ。

 そこで表向き、皇帝は病を療養する為に帝位を退いたのだと発表されたが、あまりに被害が大き過ぎた為、人の口を完全に封じる事は到底できないだろう。


 新しい皇帝になった太子は、苦労するのだろうなぁと、そう思う。

 もちろんそれは、僕には全く関係のない話だけれども。


 尤もドワーフ達にはそれは関係する話で、新たな皇帝からは全てはレイホンがやった事としてではあるが、ドワーフが犠牲になったと認め、正式な謝罪があったそうだ。

 この国が周辺国に対して優位で居られる要素の一つは、間違いなくドワーフの国から輸入されたり、国内にやって来たドワーフの鍛冶師が鍛える優れた武具にある。

 故に新しい皇帝はドワーフとの関係を壊さずに済むように、必死になってる様子が透けて見えた。


 しかし同胞を害されたドワーフ達の怒りは深く、フォードル帝国とドワーフの国、両国の関係悪化は恐らく避けられないだろう。

 ただドワーフの国としても、物資の輸入先として帝国は必要だから、完全に破綻はしない筈。

 まぁその辺りは、両国の重鎮が考えれば良い話だ。

 例えば王になった後のアズヴァルドとか。


 いずれにしてもこの帝国で、僕がやるべき仕事は後一つだけ。

 交易を担うドワーフ達が帝都を出た後にそれを行い、コルトリアまでに追い付き合流し、それから共にドワーフの国へと戻る。

 その頃には、もう雪解けの季節も間近だ。

 再びこのフォードル帝国を訪れる事があるならば、……次はこんな風にこそこそと動かず、堂々と正面から訪れたい。

 本当に今回、帝国で過ごした時間は、あまり楽しくなかったから。

 スパイごっこが物珍しくて楽しいのなんて、極々最初だけだった。

 


 ドワーフ達が帝都を去ってから二日後の深夜、僕は浮遊の魔術で空に浮かぶ。

 高く、高く、そう、元皇帝が監禁された、塔よりも高く。

 帝都の空は、やっぱり実に寒い。

 夜の空から見下ろした帝都の町は、多くの人を飲み込んだ黒い石の化け物に見えて、ゾッとする。

 昼間の空からならまた、全く違った印象を抱くのだろうけれど、そんな機会は多分ない。


 所々に動く赤い光は、衛兵が掲げる松明だろうか。

 彼らが空を見上げる前に、サッサと仕事を終わらせよう。


 弓を取り出し、矢を番える。

 僕の邪魔をしないようにと、風が止む。

 狙うは遥か先の塔の、鉄格子が嵌まった窓の中。

 この寒い国で、閉じられない窓なんて正気の沙汰ではないのだけれど、その部屋の目的を考えれば恐らくわざとそうしてるのだ。


 元皇帝が監禁されるその部屋は、直接は手を下せない貴人を厳しい環境で自然と殺す為の、処刑室。

 そこに閉じ込められて放置されれば、監禁された貴人は飢えか寒さでいずれ死ぬ。

 だけどそれは普通の人間ならばの話で、食屍鬼と化した皇帝は、飢えと渇きに苦しみ狂いながらも、長く長く生き延びるだろう。

 それこそ誰かが、そろそろとっくに死んだだろうと思って確認に来るまで。


 食屍鬼は扉を開いた誰かを喰い殺して逃げ出し、再び多くの人を手に掛ける。

 そうなると分かって放置するのは、僕の趣味じゃないから。


 流石にこの暗闇の中では、僕の目でも遠い塔の、窓の中までは見通せない。

 でもハイエルフとしての感覚は、そこに僅かな淀みが、歪みがある事を察知していた。

 弓を引き、一呼吸置き、そして放つ。

 鉄格子の合間を縫って窓の中に飛び込んだ矢は、狙い違わず元皇帝の命を、少しでも若く、長く生きたいとの願いを、断った。

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