第88話
侵入した帝都で人目を、特に衛兵の目を避けながら、忍び歩く。
外套のフードを目深に被って、正体を隠す不審者スタイルで。
帝都の大雑把な見取り図とレイホンの屋敷の位置は、ドワーフ達がコルトリアの町を出る前に入手してくれていたけれど、……もしかしたらそんな物は最初から必要なかったのかも知れない。
だって帝都に入ってすぐに、僕はその気配に気付いたから。
フォードル帝国の帝都、グダリアは雪が舞い降りる灰色の空と同じく、暗い灰色の都市だ。
まぁ今は夜だから黒一色といった感じだけれど、昼間に遠目から見た時も暗かった。
でもそんな見た目なんて気にもならない位に、淀んだ気配が、レイホンの屋敷がある方角から、漂って来てる。
吐き気を催す強烈な違和感。
こんな物は、人間の発する気配では決してなかった。
言葉にするのも難しい感覚だけれど、無理矢理に表現すれば、気配があまりに臭い。
以前に鉱毒で汚染された川を見たが、あの汚染がもっと進んで、更に濃縮して行けば、この気配に近い不快感を発するようになるんじゃないだろうか。
それ位にその気配は異常で、腐ってて、狂ってる。
つまりそれは言い換えるとこの気配の主は、恐らくレイホンは、たった一人で汚染された自然環境と同等の気配を、それから死の匂いを身に纏った存在だ。
やはり間違いなくレイホンは堕ちた仙人の類なのだろう。
だって自然環境と同規模の気配を発する事が可能な存在なんて、……僕は精霊か、或いはハイエルフ以外には知らない。
尤もハイエルフは、余程に怒らない限りは、こんな風に気配を垂れ流しになんてしないけれども。
身体がぶるりと、思わず震えた。
でもそれは、恐怖にじゃない。
すぐさまに精霊の力を借りて、この気配を消し飛ばしてしまいたい衝動を何とか抑え込もうとして、身体が震えるのだ。
僕の頭は今行える最大規模の攻撃を模索してる。
雪が降る程に大気に水が満ちるなら、それを風が集めてもっと上空に運べば、巨大な氷塊が作れるだろう。
大きな岩ほどもあるそれを無数に作って地に落とせば、こんな気配を消し飛ばすのは簡単だ。
けれどもそんな真似をすれば、レイホンとは無関係な大勢の人間を巻き込んでしまう。
あぁ、それどころか、今は帝都の宿屋に泊まってるだろう、あの気の良いドワーフ達までも。
そんな事が、出来る筈はない。
しかしそれにしても、僕は何時からこんな攻撃的な性格になったのだろうか。
この国に来てから潜み続けて、随分と心が荒んだのか。
それともカエハ達に危険が及ぶ可能性があると知って怒ってるのか。
或いはこの異様な気配に、僕も当てられてしまったのか。
……もしかすると僕個人の感性ではなく種族として、ハイエルフとしての何かが、一度は精霊に近い存在を目指しながらも、歪んで狂った吸血鬼を許せないのかもしれない。
塀を乗り越え、屋根の上に登って道をショートカットする。
不慣れな道に迷い込むより、こうして強引にでも直進した方が、移動に時間を取られずに済む。
深い森を出て、人間の世界にやって来てから、ハイエルフの持つ知識の重要さに気付くなんて、皮肉な話だと自分でも思う。
それどころか人間と接して、その自分との違いを目の当たりにすればするほど、僕は人らしさを失ってるんじゃないだろうか。
ここ最近、そう、十年程は、時折そんな風に感じてた。
もしかすると、それが成長なのかも知れないけれど。
住宅密集地を抜ければ、やがて大きな屋敷ばかりが立ち並ぶ、所謂貴族街に出る。
他所から流れて来たにも拘らず、レイホンはこの貴族街の一等地に、大きな屋敷を構えているのだ。
そりゃあ他の貴族から、嫌われるのも当然だろう。
貴族街は警邏の衛兵が増えるし、逆に物陰は少なくなるから、移動の難易度は一気に上がった。
風の精霊が教えてくれる警備の隙間を、縫うように進んで、僕は漸く、その屋敷へと辿り着く。
帝都に入った瞬間から感じてた、気持ちの悪い気配の発生源である、レイホンの屋敷に。
屋敷に灯りは、付いてない。
けれども寝静まってると考える程、楽観的にはなれる筈がなかった。
この気配の主は、自らの存在を隠す事なんて、考えてもないのだろう。
強力な魔物が、自らの存在感に無頓着に、勝手気儘に振る舞うように。
或いは多数の命を強引に取り込んだ吸血鬼は、存在があまりに歪だから、気配を抑える事ができないのか。
圧倒的な気配に塗り潰されて、他の人間の気配は、感じ取れなかった。
まぁこれだけ大きな屋敷なら使用人が居ないとは考え難いが、真っ当な人間が常時この気配の主の間近にいて、精神が無事に済むとも思えない。
一般的な人間の感覚は僕よりずっと鈍いけれども、だからといって影響を受けない訳ではないのだ。
塀を越えて敷地内に入り、壁を登って屋敷の屋根へと上がる。
一瞬、屋敷に火をかけて全力で焼き尽くす事も検討したが、レイホン以外の誰かが居る可能性を考えて、控えた。
……もう行方不明のドワーフは生きてないだろうが、買われたばかりの奴隷が、どこかに監禁されてるかもしれない。
思考が過激に傾くのは仕方ないにしても、だからといって無関係の人間を巻き込んでいい筈がないだろう。
屋根の上で弓を取り出し弦を張り、矢を一本手に握り、何時でも矢を番えられるようにしてから、僕は二階のバルコニーへと飛び降りた。
そしてそのまま、出入りのドアを蹴破って、椅子に腰かけたままこちらを見ている男と思わしき生き物に、弓を使って矢を放つ。
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