第76話
「本当にもう、お前さんには呆れる他にないわ。入国前に入り口で儂を呼ぶか、儂の名前を出せば無事に通れる事くらいは、エイサーもわかっとったろうに」
軟膏を塗り込んだ湿布をべちゃりと僕の顔に張り付けて、心底呆れた様に深々と溜息を吐いたのは、……二十数年ぶりに再会した鍛冶の師であるアズヴァルド。
僕の感覚でも久しぶりの再会だけれど、以前から年齢不詳のクソドワーフ師匠は、あまり変わった風には見えなかった。
しかも相変わらず、僕の考えは彼には簡単に見透かされる。
「やりたかった事はわかっとるよ。あの喧嘩騒ぎのお陰で、儂がエルフをこの国に招き寄せたではなく、妙なエルフが鉱夫のグランダーの奴と真正面から殴り合ったって噂が、国中を駆け巡っとる」
静かに、淡々と語りながら僕の治療を進めるアズヴァルドだけれども、これはもしかして、……少し怒ってるかも知れない。
因みにウィンは、結婚したクソドワーフ師匠の奥さんが、今は相手をしてくれている。
ドワーフの女性は国外に出る事が殆どなくて、その容姿に関してはあまり知られていなかった。
当然、僕もこの国に来て初めて目の当たりにしたけれど、髭などは生えず、姿は人間の少女に近いと言えるだろう。
髭もじゃのアズヴァルドと少女にしか見えない奥さんが並ぶと、……ちょっと犯罪臭いなぁと思ってしまうのは、何もかも前世の記憶が悪い。
「お前さんが、エルフの自分が儂の客人の立場を強調し、今の時期に儂の評判を落としたくなかったと言う事はわかっておるし、その気持ちはありがたいと思う」
クソドワーフ師匠が、拳を固めて僕の胸をドンと突く。
言葉とは裏腹に、そこに僅かな怒りを込めて。
それはとても、痛かった。
あのグランダーってドワーフの鉱夫の拳以上に、いや、そんな物よりも遥かに、ずっと。
「だがな、エイサー。儂はそんな事は了承済みで、お前さんを呼んだんじゃ。評判なんぞよりも、お前さんを選んだんじゃ。……なぁ、あまり舐めてくれるなよクソエルフ。儂はお前さんにとって、弟子一人の面倒も見れん情けない男か?」
あぁ……、うん、そうだった。
彼はそんな風に、誇り高い男だった。
多分僕等はお互いに、久しぶりの再会過ぎて、相手を見誤っていたのだ。
クソドワーフ師匠は、流石にドワーフの国でなら、僕が大人しくしてるだろうと思ってしまっていた。
僕は彼が、自分の評判なんて気にもせず、僕を抱えようとしてるのだと言う事に、思い至らず余計な気を回してしまった。
「うん。ごめん。久しぶり過ぎて、……頼り方を忘れてたよ」
だから僕は、素直にそう、頭を下げる。
するとそれを見たアズヴァルドはまなじりを下げ、口角を上げ、ニッと笑みを浮かべて、もう一度僕の胸を、ドンと拳で突いた。
いや、だから痛いよ。
二回目は何だよ。
「おう。まぁそれは兎も角としてな。ようやった。ドワーフの鉱夫に殴り負けなかったエルフなんぞ、それがハイエルフだとしても、この世界が生まれてからきっとお前さんが初めてじゃ。友としてなら、儂はそれが誇らしいわ」
そして彼は心底楽しそうに、カラカラと笑って僕の肩を叩く。
三度目の痛みは、それがどうにも懐かしくて、心地良くて、僕も思わず、笑ってしまった。
さて、招かれたアズヴァルドの家は、立派な鍛冶場付きの、屋敷と言って差し支えのない広さの物で、本当にこの国では鍛冶師の地位が高いのだと、改めて目に見える形で理解が出来る。
彼はヴィストコートからドワーフの国に戻ってすぐに奥さんと結婚して、子供の数は総勢四人で、男の子が二人に女の子も二人。
どうやらドワーフの男性は二十歳、人間で言う所の十歳にもならぬ歳から髭が生えて来るらしく、一番上の長男は既に結構な髭面だ。
ウィンからすればその姿はまるで大人に見えるのに、自分と数歳しか変わらないと聞かされて、目を瞬かせて驚く。
逆にアズヴァルドの子等からすれば、ハーフエルフであるウィンはまるで女の子にしか見えないらしく、長男が実際はどうなのかと確かめようとして、ウィンと喧嘩に発展してた。
……まぁ、うん、多分ウィンに勝ち目はないだろう。
ただでさえドワーフとハーフエルフじゃ筋力的な差がある所に加えて、相手は数歳であっても年上だ。
成長期の子供の数歳の差は、ドワーフやハーフエルフであってもそれなりに大きいから。
だけどその喧嘩で大切な事は、勝ち負けじゃない。
嫌な事をされれば嫌だと主張し、小さくとも精一杯に自分の牙を見せる。
それが出来ればアズヴァルドの長男は、それから他の子供達もウィンを認めるだろう。
故に僕は内心ちょっとハラハラしながらも、介入はしないでじっと見守る。
あぁ、でも、喧嘩の前に僕と揃いの、グリードボアの革の手袋だけは付けさせた。
喧嘩の仕方は、ここに来るまでに充分に教えてる。
そしてウィンは、出会ったばかりの以前は兎も角、今の彼は、結構図太いし勇敢だし、何よりも譲れない所では意地っ張りだ。
だから、うん、大丈夫。
しかしそれにしてもドワーフの国でのウィンの最初の喧嘩が、エルフへの嫌悪ではなく、そんな下らなくて可愛らしい物になるとは、ちょっと予想もしていなかった。
それは多分、隣で子供達の喧嘩を眺めてるこのクソドワーフ師匠が、子供達がエルフへの嫌悪を持たない様に育てているからなのだろう。
向こうでアズヴァルドの奥さんが、僕が貼られてるのと同じ湿布を用意してる。
果たしてそれは、ウィンだけが必要とするのか、それとも長男の彼も仲良く顔に湿布を張られるのか。
そう、奥さんからも、僕等への嫌悪は、見られない。
僕はその事がとても嬉しくて、ウィンの勇姿とこれからの日々に、胸を躍らせた。
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