第75話
ドワーフの国は、国とは呼ばれているけれど、複数の集落から成り立つ物ではない。
地下をくり抜き、石を積み上げて拵えた、巨大な地下空間をドワーフの国と呼んでいる。
人間の感覚で言えば、都市国家が一番近いだろう。
またドワーフの国には、人間の国の様な名前がなかった。
何故ならドワーフの数は人間に比べてずっと少なく、住み着く場所も限られているので、国を固有の名で識別する必要が皆無だからだ。
要するに近隣に二つも三つもドワーフの国が存在するような事があり得ない。
例えば東、小国家群も越えて更にずっと東に行くと、その辺りにも大きな山脈地帯があって、ドワーフの国が存在する。
でもこの辺りのドワーフにとって、そちらは東の国、ここはドワーフの国で事足りてしまう。
逆に東の国のドワーフから見れば、こちらは西の国だった。
故にこの辺りのドワーフは、おおよそ殆どがこのドワーフの国に住む。
例外は何らかの罪で国を追放されたか、人間の国に出る事で鍛冶修行をしているか、戦いが好き過ぎて冒険者をしているか……、後は好奇心の赴くままに旅をする変わり者位だろう。
つまりこのドワーフの国と呼ばれる地下空洞には、他では想像も出来ない程に大勢のドワーフ達が、寄り集まって生きているのだ。
その数は、なんと四万とも五万とも言われるらしい。
ドワーフの国の中を衛兵に案内されて歩く僕とウィンに、流石に四万や五万ではないけれど、数百の視線が突き刺さった。
そしてその視線は実に雄弁だ。
誰もが皆、『何故、エルフがドワーフの国に?』と言った疑問と、エルフに対する拒絶感をあらわにしてる。
ウィンは可哀想に、流石に少し気圧されていて、繋いだ僕の手を握る力が強い。
だけど僕は逆に、ちょっと楽しくなって来ていた。
だってどうやってこの視線を、僕等に対して好意的な物に変えようかって考えたら、それはもう過程も結果も、絶対に楽しい筈だから。
そしてその最初の切っ掛けは、僕が知るドワーフと言う生き物なら、直ぐに訪れるだろう。
「待てぇ!!! なんでエルフがこのドワーフの国におるんじゃ!!! どの面下げてエルフごときがこの地を踏んどる!!!」
ホラ来た。
こちらは衛兵に案内される客だと言うのに、それを恐れる風もなく道に立ちはだかって文句を言うドワーフの……、多分若者?
ドワーフの男性は、皆が髭もじゃで年齢不詳だから良く分からないけれども、多分この手の行動に出る位だから、若者だろう。
「客だ。退け!」
「納得できるか! エルフだぞ!」
そんな言い合いを、衛兵と繰り広げる彼。
周囲の他のドワーフ達も、立ちはだかったドワーフに賛同の意を示してる。
僕がドワーフと言う種族が好きなのは、こうやって文句があるなら行動に出て言って来る辺りだ。
もしこれが人間だったら、多くが遠くから石を投げて来るだろう。
でも彼はそんな真似はせず、こうやって正々堂々と正面から文句を言いに来た。
だから僕も客と言う立場に甘えず、フェアにドワーフとぶつかろう。
ウィンの頭を撫でてから、僕は繋いだ手を離し、荷物袋からグリードボアの革手袋を取り出して着用し、両の拳を打ち合わせる。
この子の前で、退く姿は見せられない。
「僕はエイサー、師に招かれてこの国に来た! それが気に食わないと言うのなら」
一歩前に出て、大きく声を張り上げた。
そして 衛兵と言い合いをしてるドワーフをびしりと指差し、
「力ずくで追い出してみろ!!!」
思い切り吠える。
多分きっと、今の僕は満面の笑みだろう。
だってもう、こんなの楽し過ぎるから。
「いい度胸だ!!! やってやらぁ!!!」
すると顔を真っ赤にして、腕を捲り上げてこちらにズンズンと歩いて来る、まだ名前も知らないドワーフ。
衛兵もこれは止められないと思ったのか、それとも僕の意思を汲んだのか、一歩脇に退いた。
「言われてるぞグランダー! 代わってやろうかぁ!?」
「おおぅ、エルフも言うじゃねえか。負けんなよグランダー!」
周囲も大いに盛り上がり、僕が今から喧嘩をする相手の名が判明する。
どうやら彼は、グランダーと言うらしい。
いやぁそれにしても、腕が太い。
一体何発耐えられるだろうか。
うん、実に楽しみだ。
「くたばれ根っこ野郎!!!」
咆哮と共に繰り出されるグランダーの拳、圧に負けずに前に踏み込んだ僕は、彼に対して身長差を活かした打ち下ろしの右ストレート、チョッピングライトをその顔面にカウンター気味に叩き込む。
ほぼ同時にパンチを打てば、リーチと速さの差で先に当たるのは僕の拳だ。
そして先に当たった拳の威力が十分に強ければ、相手の攻撃を弱め、或いは中断させて吹き飛ばす。
そう、今の様に。
エルフを根っこ野郎と呼ぶのは、中々に面白い表現だけれど。
並のエルフをゴボウとするなら、僕の腕力は人参だ。
ドワーフの大根や蕪の様な腕とだって、やり方次第じゃ殴り合える。
シンと、辺りが静まり返った。
よもやエルフの拳の一撃で、ドワーフの身体が宙を舞うとは誰も思わなかったのだろう。
まあでも今のは彼、グランダーが悪い。
一発で仕留めようと大振りで、自分よりも上にある僕の顔を、勢い任せに狙ったのだから。
そんな舐めた事をするから、思わぬ反撃に宙を舞う羽目になる。
仮にこれが戦いだったなら、倒れた相手に追撃を加えて、そこで終了だ。
でもこれは戦いじゃなくて喧嘩だから。
僕は倒れた相手に対して、拳ではなくて言葉を放つ。
「どうしたドワーフ、そうじゃないだろう。僕の師匠はもっと強かったぞ! まだ拳は喰らってないから比べられないけれど、師匠の拳骨は凄く痛かったぞ。立てよドワーフ! ドワーフだろう!!!」
ドワーフなんだから、もっとしっかりして貰わないと困る。
一発殴って終了じゃ、そんなに楽しくないじゃないか。
一方的に殴っただけだ。
するとグランダーは、さっきの一撃が相当に効いたのか、ちょっとふらつきながら立ち上がって、
「あぁ、舐めんな! まだまだこれからに決まってんだろうが!!!」
無事をアピールする為か、それとも無意識にか、笑みを浮かべてそう言い放った。
だから僕はガードを開き、手招きをして、打って来いとアピールをする。
勿論、余裕なんかじゃない。
あんなぶっとい腕に無防備で殴られたら、下手をすると一発でKOだ。
だけどこれは喧嘩で、殴り合いだから、僕も彼に殴られる必要はあるだろう。
足を踏ん張り、気合を込めて、どんな一撃が来ても意識だけは持っていかれない様に、僕はグランダーの拳を腹部で受け止めた。
もちろん、その瞬間にちょっと後悔したけれど。
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