第65話
空を見上げて欠伸を一つ。
思い返すのは王都の道場に置いて来たウィンの事が九割で、残る一割は先日カエハに告げられた僕の欠点。
まぁウィンの面倒はカエハの母が見てくれているし、カエハやその子等、他の弟子達だって気にしてくれているから、あの道場に居る限り危険はない。
でも僕の欠点に関しては、……闘争心が欠如してると言われても、どうやって直せば良いのか、僕にはさっぱりわからなかった。
「エイサー様、気分は悪くなってないですか?」
そう問い掛けて来るのは、僕の前で馬を操るアイレナ。
彼女は僕が馬車を苦手とする事を知っているから、今も気分が悪くなってないかを気遣ってくれたのだろう。
……と言っても、今回の移動で使っているのは馬車じゃなく、二人で乗っても全然余裕なくらいに体躯の大きな一頭の馬で、多分名馬の類だ。
名はカイロンと言うらしい。
「んー、いや、寧ろ風が心地良くて、ちょっと眠い位だね。後は割と恥ずかしい」
しかし僕は乗馬の経験がなかった為、前で馬を操作するのはアイレナで、僕は後ろに乗せて貰ってる形だった。
つまりは非常に絵にならない二人乗りだ。
カイロンは良い子で、もしかすると少し練習したら僕でも乗れたかも知れないけれども、実は今はそんなに時間の余裕がない。
「ふふ、私は少し楽しいですが、しかし暫しのご辛抱を。今回ばかりは歩いて移動してる暇がありませんので」
アイレナのその言葉通り、今もカイロンは、全力疾走と言う訳ではないが、軽い駆け足程度の速さで街道を走ってる。
この速度なら目的地であるルードリア王国の北部、……更にその先の山々には、一週間もあれば辿り着けるだろう。
……今回、アイレナに請われた助力の内容は、ルードリア王国の深刻な危機に関わる物だった。
その内容とは、ルードリア王国の北にある山々を越えた国、フォードル帝国の侵攻を阻止する事。
本来ならば、人と人の戦争にエルフが、ましてやハイエルフである僕が関わる理由はない。
今のルードリア王国は情勢不安や王の交代により、国力が少なからず低下をしている。
そしてそれには、ルードリア王国が招いた事ではあったとしても、エルフが大きく関わっていたから。
それが原因でルードリア王国の北部がフォードル帝国に占領され、ましてや王国が滅びてしまっては、これまで進めた交渉の意味が無に帰してしまう。
もっと有り体に言えば、全く見ず知らずの人間が隣人になるよりも、既に物の道理をわからせた人間が隣人で居てくれた方が、エルフにとって都合が良いと言う訳である。
故にエルフはルードリア王国に大きな貸しを作る形で、フォードル帝国の侵攻を阻止する事となったのだ。
尤も実際に動くのはアイレナじゃなくて僕なのだけれど、エルフの代表として矢面に立ってくれてる彼女の決定に、文句を言う心算は欠片もない。
アイレナは本当に必要な時にしか僕に頼らないし、彼女の役割は他に代わりを務められる者が居ないし。
そんな事情だから、ウィンは流石に連れて来れなかった。
常に一緒に居る訳じゃなくても、もう傍に在るのが当たり前になった小さな姿がどこにも見えないのは、やはりどうしても寂しく思う。
勿論、フォードル帝国の侵攻を阻止するとは言っても、僕は侵攻軍を壊滅させて皆殺しになんてする心算はない。
寧ろそうしなくて済む様に、僕等は侵攻軍がフォードル帝国を発ち、ルードリア王国に踏み込む前に現地に辿り着ける様に急いでる。
しかし絶対に、一人の犠牲も出さずに事が丸く収まるとは限らないから。
僕は殴り合いの喧嘩位なら兎も角、人を殺す所をウィンに見せたくないし、見られたくもなかった。
まぁ、うん、今回は条件が良いから、多分丸く収まるけれども。
走る馬、カイロンの背に乗って数日、辿り着いたのはルードリア王国の北部の辺境、以前にも訪れたガラレトの町の、更に北の山々。
基本的にこの山々は人が越えるには厳し過ぎる場所だけれど、人々は山間を切り開き、少しずつだが整備して、馬車も通れる程の道を完成させた。
けれどもそれが故に行き来が可能となったルードリア王国とフォードル帝国は、それぞれが山間の開けた場所に砦を築き、互いに睨み合って小競り合いを繰り返している。
実に愚かしい事だと、そう思う。
だってそれではまるで、わざわざ争う為に道を繋げたみたいじゃないか。
最初に山間を切り開き始めた人は、きっとそんな事は欠片も考えてなかっただろうに。
だったらもう、僕はそんな道はもう要らないと思う。
それは多くの人の努力を否定する考えなのだろうけれど、正直な所、僕が苦労した訳じゃないから知った事ではない。
狭くとも道があるから強引に軍を派遣しようとするのだし、手が届くからこそ相手の国の豊かさが美味しい果実に見えるのだ。
故に僕は、その道を塞ぐ。
見えなければ、遮られてしまえば、そこにどんな国があったとしても、存在しないも同然だろうから。
カイロンの背を降り、アイレナをその場に残し、山へと踏み込んだ僕は、ルードリア王国とフォードル帝国が国境と定めた、両国の砦が見える場所で、地に手を突く。
「雄大な山々に宿りし地の精霊よ。……目を覚まして僕の声に耳を傾けて」
そして僕が呼び掛けるのは、変化に乏しい環境に微睡んでいた、地の精霊。
この雄大な山々に宿る地の精霊にとって、山間は開いた口の様な物である。
僕が地の精霊に願ったのは、その口をゆっくりと、ゆっくりと閉じる事。
普通のエルフの呼び掛けでは、この地の精霊はそもそも起きてもくれないかも知れないが、そこはそれ、僕はこれでもハイエルフの一人だった。
目を覚ました地の精霊は身体を、山を揺らしながら、僕の願い通りにその口をゆっくりと閉じて行く。
突如として起きた天変地異に、両国の砦は大騒ぎとなって、兵士達が大急ぎで自分の国へと逃げ出した。
ゆっくりとゆっくりと二つの山は迫り出して、やがて砦を押し潰して飲み込み、それでも止まる事なく、完全に一つに合わさってしまう。
人間の努力で切り開かれた道は、……もう二度と使えない。
勿論、迂回路を新たに切り開く事は可能だろうけれども、それには多くの時間と労力が必要となる。
少なくとも、今回のルードリア王国の弱体化に乗じた、フォードル帝国の侵攻はもう不可能だ。
ルードリア王国側も、まさか自国の砦が潰され、道が完全に使えなくなるとは想像してなかっただろうから、これで安易にエルフに頼ってはいけないと思い知るだろう。
改めて力を見せつける事も出来たし、僕的には万事が全て丸く収まったと思う。
その他は、まぁアイレナが上手く後始末をしてくれる筈。
ただ一つ思うのは、もしも僕がもっと強い闘争心を持っていたなら、今回のような結果を望んだろうかと言う疑問。
もしかするとフォードル帝国の兵等を相手に、真っ向から力を振るいたいと思ったんじゃないだろうか。
改めて考えてみたけれど、やはり僕には、どうにもそう言うのは向いてない。
どうしても必要であるのなら、最小限の犠牲は仕方がないと思うし、躊躇う心算もないけれど……。
だったらもう、仕方ないのかなと、そう思う。
闘争心を持って、戦う為の剣を求めなければ前に進めないのなら、敢えてここで立ち止まっても良いのではないかと。
僕はカエハの剣が好きで、その美しさに惹かれて、同じ様に剣を振りたいと思った。
単にそれだけの事で、それ以上は求めていない。
またその思いは、もう半ば叶ってるのだ。
やっと僕は理解する。
要するに僕には強くなる為の目的、モチベーションが存在しない。
だから僕は、今はもう、単に剣を振るのが好きでそこそこ上手な、剣士未満でも構わないと、そんな風に思ってしまった。
傲慢な言葉を吐くならば、僕はそれでも十分以上に強いのだから。
何時か僕が闘争心を抱く様な何かが現れ、その相手を倒す為の手段として剣を握るまでは、恐らく本当の意味で剣士にはなれないのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます