第63話
がらりと、鍛冶場の扉を開けて中へと入る。
僕がこの道場を離れてもう九年近くが経つけれど、常に誰かが掃除をしてくれてたのだろう。
鍛冶場は埃一つ舞い上がらない。
……やっぱり、良いなぁと、そう思う。
僕は良く旅をしてるから、あちらこちらの鍛冶場に出入りしてる。
でもそれ等の鍛冶場は全て借り物だ。
けれどもここの鍛冶場だけは、僕の為に造られた鍛冶場だった。
自分の領域と言うのは、やはりそれだけで安らぎ、相反するけれども同時に心が踊る物である。
折角この道場に帰って来て、真っ先にやる事が鍛冶なのかと、自分でも思わない訳じゃない。
だけどカエハが、僕だけの剣の師だった昔とは違い、今はそれなりの数の弟子が居る。
そんな彼等を気にも留めずに、いきなりカエハに剣の教えを乞うのは、あまり宜しくないだろう。
いやまぁ、僕が妬まれ、悪く思われる位なら良いのだけれど、カエハの弟子の指導に差し障りが生じて欲しくはないから。
それとウィンだって、僕が弟子達から妬まれ、悪く思われると、この場所で過ごし難くなる。
ただでさえカエハの家、離れではなく本宅で過ごすと言う特別扱いを受けているのだから、それ以上の特別扱いは流石に不満を招いてしまう。
だったら剣の教えを乞うのは後回しにして、先ずは新入りとして振る舞い、周囲に認められる事から始めようと、僕はそんな風に思ったのだ。
……うん、カエハには、物凄い目で見られたけれども。
あぁ、それからウィンは、無事にカエハの一家に迎え入れられた。
特にカエハの母は、彼を我が子の様に可愛がってくれている。
ただ一言、僕がウィンを紹介した時に、
「貴方は、本当にしょうがない人ですね」
なんて風には言われたけれども、あの言葉にはどんな意味があったのだろうか。
そしてカエハの子供達、どうやら双子で、男の子の方がシズキ、女の子の方がミズハと言うらしいが、二人も何かとウィンには構ってくれている。
何でもカエハが、ウィンの事は弟だと思う様にと言ったらしく、シズキもミズハも、自分より小さく見える子供の存在に、精一杯に年上ぶって接してくれているらしい。
……いやでも実際には、多分殆ど同い年と言うか、下手をするとウィンの方が年上の可能性もあるのだけれど、それは言わぬが花だった。
いずれにしても、そうして色々と気遣い、良くしてくれてるカエハ達には、その恩に報いなければならないと思う。
と言う訳でこの道場に帰って来て、僕が最初に行う仕事は、やはりカエハの剣の打ち直しだ。
勿論、別にちょっと怒ってるっぽいカエハの機嫌取りの為だけじゃなくて、僕がそうしたかったから。
だってこの剣は、僕がそう出来なかった分まで、常にカエハの傍らにある。
それ以前もそうだったが、僕がこの剣を打ち直してから、冒険者をしてる三年も、それからの九年近くも、カエハをずっと支え続けた。
そう、僕に出来なかった事をしてくれたのだから、この剣を労わる位はしてやりたい。
と言うか、使い込まれ過ぎてまた随分とへたっても来ているし。
ちゃんと手入れもされてるのだから、普通はこんな風にはならないのだけれど、……あぁ、カエハの腕に付いていけなくなったのか。
そして今では、寧ろ剣に負担を掛けない様に、カエハが気を遣って振っていると。
それは随分と、剣も悔しい想いをしただろう。
だって今、僕が悔しく思ってるから。
まぁ、仕方ない。
鍛冶ばかりに専念した訳ではなかったけれど、以前よりも僕の腕は上がってる。
今のカエハの実力にも、負けぬ剣は打てる筈。
久しぶりの炉だから、様子を見ながらゆっくりと温度を上げていく。
それから僕は、鍛冶場の入り口をちらりと見た。
外から中を窺う、小さな気配が一つ。
双子の片割れ、女の子のミズハは、ウィンの遊び相手をしてくれていたから、だとすれば残るは男の子のシズキか。
これまで使われてなかった場所を、突然現れたエルフが使うと言い出せば、気になってしまうのは当然だ。
しかしまだ十にもなってなさそうな子供を鍛冶場に入れるのは、危険も多いからしたくない。
……そう言えば双子の父親は、一体誰なのだろう?
本宅には、それらしい人物はいなかった。
またカエハが、弟子の誰かとそう言った関係である風にも見えない。
母親がカエハである事だけは確実だと思うのだけれど、あまり興味本位で聞き出す話でもないし、今の所は気にしない様にしよう。
さて、そろそろ炉の温度も良い頃合いだ。
作業を始めるとしようか。
剣の重さ、バランスは今とは殆ど変えずに、より頑丈で、切れ味を鋭く生まれ変わらせる。
ただシンプルに、質を上げる事を追求する。
まぁ勿論、それが一番難しいのだけれども。
そりゃあ僕にだって、ここに居ない間に身に付けた新しい技術を見せ付けたいって欲求はあった。
例えば、そう、魔剣の作成とか。
でもその欲求に従ってしまえば、この剣はカエハの為の剣ではなくなり、今回の作業も単なる僕の自己満足になってしまう。
そこには何の意味もない。
炉の熱を浴び、金属の音を聞きながら、僕は作業に没頭して行く。
この剣を、労わり、慈しみ、称賛し、そして新生させる為に、僕の精も魂も注ぎ込んで。
鋼を打つ音が、鍛冶場に、道場に、大きく大きく響き渡った。
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