第60話
「えいさぁー……」
抱きかかえたウィンが、僕の肩に顔を押し付けて泣いている。
僕は片手で彼の背を擦るが、気の利いた言葉は出て来ない。
後ろを振り返れば、ジャンぺモンの町はもう麦畑の向こう側。
でも僕は再び足を動かして、そう、ルードリア王国を目指す。
ルードリア王国に入れる様になったと、アイレナからの手紙が届いたのは、ジャンぺモンの町に住み始めてから、一年半程が過ぎた頃。
流石にこれだけの長居をすると、僕が最初に鍛冶師組合から受けた依頼、衛兵隊の装備の補修や補充はもうとっくに終わっていて、今は鍬や鎌等の農具や、北ザイールの防衛に派遣される兵士用の武具を作ってる。
やるべき事が尽きた訳ではないけれど、望まれた仕事は一通り果たしたし、特に未練はない。
……だけどそれはあくまで鍛冶仕事の、もっと言うなら僕だけの話で、この一年半で多くの人と、そしてノンナとは深く接して少しずつ自らを出す様になっていたウィンには、心残りがない筈もなかった。
僕が旅立ちの予定を告げた日、彼はハッキリと嫌だと口にし、それから大いに泣き喚く。
あぁ、それはきっと、ウィンの成長にとってこの環境がとても良かったと言う証左で、僕はその事を喜ぶべきだろう。
しかし僕は、幾ら彼が抵抗しても、旅立ちはもう決めている。
ウィンだけを残して行くなんて、当たり前だが出来る筈もない。
今の環境に留まり続ける事は、僕も幾度かは検討した。
けれどもその答えは、毎回が否だ。
僕はどうしても、最低でも幾度かはルードリア王国に赴き、魔物の間引きを始めとする助力を、行う必要がある。
アイレナも、僕の力を借りる事は最小限にしようとはする筈だが、だからこそ助力を求められた時は、本当に彼女の手にも負えない時だろう。
つまり僕が動かなければ、何らかの形で犠牲が出る時だ。
この町でのウィンとの生活が楽しいからと言って、その犠牲に目を瞑る事はしたくはないし、出来はしない。
例えばその犠牲がアイレナで、取り返しのつかない大怪我や、或いは死なれてしまったならば、僕は大いに悔いるだろうし、ウィンだって何も思わない訳じゃない筈だから。
僕がルードリア王国に赴く間は、ノンナはウィンを預かってくれるだろう。
だけど彼女には、ハーフエルフの幼子に悪意の手が伸びた時、護れる力がある訳じゃなかった。
ジャンぺモンは平和で善き人々の住まう町だが、それでも行き交う旅人も多い。
ハーフエルフの幼子に向けられる視線が好奇の物に留まっているのは、近くに腰に剣を吊るした大人のエルフ、要するに僕の存在があるからだ。
実際、街中でウィンに何かがあった場合は、風の精霊の報せを受けて僕が駆け付ける訳だし。
故に僕は、ウィンを連れてこの町を旅立つと決めた。
この判断は、譲れない物である。
これから先、旅をするしないに拘わらず、多くの別れを経験するであろうウィンには、再会を期待出来る穏やかな物から慣れて貰いたい。
ウィンに種族による時間の流れの違いを自覚させるのは、出来れば理解ある大人達、つまりは僕の知人達に囲まれた環境が良い。
なんて理由もあるけれど、一番大切な事はやはり彼の安全だから。
僕は泣くウィンを、言葉を尽くして説得した。
鍛冶仕事を受けずに彼と過ごし、この町の人々とも永遠の別れではない事や、新たな出会いも待っていて、それから僕は傍にいると、ゆっくり何度も語って。
そう、根競べと言う奴である。
ウィンの涙を見るのは心が痛むが、同時に泣く姿も可愛らしくて微笑ましく思うので、相殺し合って実質的なダメージはゼロだった。
いや寧ろ、僕はウィンの我を見れる事を嬉しくすら思ってる位だから。
つまりこの勝負に、僕の負けはあり得ない。
やがて泣き疲れて、大人しくなったウィンは、僕の提案を受け入れる。
何時かまた、僕と二人で必ずこのジャンぺモンの町を訪れようと。
そんな約束を彼と交わす。
尤もそれは、ウィンが自分の流れる時間が、他者とは違うのだと自覚して、受け入れた後になるだろうけれども。
それから翌日、僕は彼と一緒に、町を出て川辺に石拾いに出掛けた。
と言っても単に河原の石を拾うだけじゃない。
ウィンと僕で地や水の精霊に話を聞きながら、遥か上流から流れて来る間に磨かれた、宝物の石を探す。
まぁ要するに、宝石探しだ。
水晶やガーネット、翡翠と言った宝石は、稀に川沿いに見つかる事がある。
勿論、本当ならば決して容易く見つかる物ではないのだけれども、幼い子供が必死にそれを探していれば、地や水の精霊だって手助けをしたくなるのだろう。
日が暮れる前に、ウィンは綺麗なガーネットを見付け出す。
それから僕等は鍛冶師組合へ赴いて、……普段は絶対に入れないのだけれどウィンも鍛冶場へと入れて、僕が銀と金を使って、そのガーネットを嵌め込んだペンダントを作った。
そう、これはウィンからの、一緒に過ごしてくれたノンナへの贈り物で、お礼だ。
宿に帰り、ウィンは懸命に手を伸ばして、しゃがみ込んだノンナの首に、そのペンダントを掛ける。
するとノンナは、あぁ、どうしても堪え切れなかったのだろう。
涙を抑え切れずに泣き出してしまって、……するとやっぱりウィンも泣き出してしまった。
宿の主人も、奥さんも、ついでに何故か他の客達も貰い泣きをして、僕以外は全員が涙を流す惨状に。
僕は、うん、だって周囲が皆で先に泣いたら、何だか妙に冷静になっちゃって、ね?
別に薄情と言う訳じゃない筈だけれど、僕は別れには慣れているから。
そして旅立ちの日、ウィンは町を出る迄、本当に良く我慢したけれど、遠ざかるジャンぺモンを見て、結局は堪え切れずに泣いた。
でも、それで良いと僕は思う。
疲れるまで泣いて、眠ると良い。
幾らでも泣いて、涙を流せば良い。
だって僕は抱いたウィンを離さないし、彼の涙も枯れる事はないのだから。
これから先もウィンは、沢山泣いて、それ以上に喜んで、或いは怒ったり、色んな事を経験して、大きく大きく育つのだ。
僕は言葉を発さずに、ウィンの泣き声をただ聞きながら、ルードリア王国への道を歩む。
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