第59話


「そう言えばウィン君は、教会には通わないんですか?」

 ノンナが僕にそう問うたのは、このジャンぺモンの町でウィンと一緒に暮らし始めて、ちょうど一年程が経った頃だった。

 その問い掛けに、僕は思わず首を傾げてしまう。

 いや勿論、教会に通う意味が分からなかった訳じゃない。

 単に僕は、……僕等が然程遠くないうちにこの町を出て行くだろう事を、ノンナが忘れてしまったのかと疑問に思ったのだ。


 すると僕の仕草を見たノンナが、ハッと何かを思い出した様な顔をして、それから悲しそうに表情を歪める。

 どうやら彼女は本当にそれを忘れてしまっていた様子だけれど、……ちょっと待って。

 別にそんな心算もないのに、まるで僕がノンナを悲しませてるみたいな絵になってしまったじゃないか。


 うん、いや、でもそうやって別れが近付いている事を悲しみ、惜しむのは、今の日々をノンナも楽しんでくれてる証左でもあるから、本当はとてもありがたい事だろう。

 僕等が去る日を忘れる位に、ノンナにとって今の日々は楽しいだけじゃなくて、当たり前にもなっていた。


「うぅん、教会はね。……読み書きや計算を教えてくれる事はありがたいし、ウィンが他の子供と交流する機会も増えるんだろうけれどね」

 僕はチクチクと妙な罪悪感を刺激されながら、取り敢えずノンナの表情の変化には気付かなかったフリをして、話を前に進める。

 ただ僕は、そう、ウィンを教会に通わせる事に関しては、あまり気が進まない。

 それは別に、僕等がやがて旅立つからと言う訳だけでは、決してないのだ。


 今まで僕は特に関わりを持たなかったが、この世界における教会の役割はとても幅広く、人の生に密接に結びついていた。

 まず赤ん坊が生まれた時、両親は役場よりも早くに教会に子の誕生と名前を報せ、教会が祀る神にその子の存在を認めて貰う。

 小さな村で役場なんてない場合は、教会から村を統治する領主に報せが行き、村民名簿に名が記される場合もあるそうだ。

 次に結婚は教会で行われ、やはり夫婦の誕生を神に認めて貰う必要がある。

 そして人生の最後には、教会で葬儀が行われ、埋葬されるだろう。


 しかし教会の役割はそれだけではない。

 子供に読み書きや計算を教えたり、孤児院をしていたり、弱者救済の為に炊き出しをしていたり。

 それから勿論、なんと言っても神を祀る信仰の場である。


 ……と言う訳でこの世界で教会が果たす役割は、とても幅広くて重要だった。

 因みに学院、学校と呼ばれる教育機関も国や地域によっては存在するが、これは読み書きや計算を教える場所ではなくて、更に難しい内容や、或いは軍事学や魔術、政治学等の専門的な学問や技術を学ぶ場だ。

 例えば、僕は通わなかったけれども、魔術の国であるオディーヌにあった三つの魔術学院の様に。



 でもまぁそれはさて置いて、僕がウィンを教会に通わせるのに気が進まない理由は、実は三つある。

 一つは教会がどこまで行っても宗教の場であると言う事。


 この辺りの地域で信仰される宗教は、僕の知り合いだとマルテナが司祭をしていた豊穣の神だったか、或いは女神だったかを信仰する宗教だ。

 その教えは非常に穏やかで、全ての人は大地の子として平等であり、感謝をして日々を生きようといった物。

 プルハ大樹海を越えてずっと向こうの西の地域では、人間こそが世界に生きる生物の中で最も高い地位にあると説く宗教もあると言うから、この地がそう言った考えに染まってなかった事は僕等にとって幸いだったと言える。

 だから実際、僕は別にウィンが、豊穣の神の信徒になると言い出した所で、然程に問題視はしないだろう。


 けれどもその教えを、まだ幼く物事の判別がつかない頃から、当たり前の価値観として刷り込む事は避けたかった。

 そう、豊穣の神の教えが幾ら他種族に対して平等であっても、やはりベースになるのは人間としての物の考え方で、価値観だ。

 地を耕し生きる者と、森に住む者では、大地に対する感謝の気持ちにも、当然の違いがある。


 例えば豊穣の神を信仰し、地を耕して生きる者にとっては、そこから得られる収穫物は地の恵みだろう。

 しかし森に生きる者にとっては、地から生まれる植物も、動き回る獣、動物と変わらず同じ命だ。

 勿論、それを地から得て食する事に違いはなくとも、その価値観には微妙な違いが存在していた。


 別にどっちが正しいとか正しくないとかの話ではなく。

 あぁ、極論になるけれど、僕は別に西の宗教の考え方、人間を最も高い地位にあると説くそれですら、別に間違ってるとは思っていない。

 伝え聞くには、西の地では獣の特徴を持つ人、獣人が大きな勢力を誇り、人間の生息域を常に脅かして来たそうだ。

 故にその地の人間は団結し、獣人に対抗する為に、自分達こそが正しいとの考え方を作り、それを信仰にして心の支えにしたのだろう。

 それにもっとずっと昔、それこそ神話の時代には、魔族なんて存在もこの世界には居たらしいし。

 だから西の宗教は、僕にとって不都合な物ではあるけれど、だけどそれを完全に間違ってると否定する心算はない。


 ……話が逸れたが、要するに精霊を友とするウィンには、人としての価値観に染まらずとも、自分なりの価値観でこの世界を見て欲しいと僕は思うのだ。

 もし仮に彼が大きくなってから、豊穣の神の教えに帰依すると言い出せば、その時は僕も反対はしないだろうから。



 一つ目の理由が大分と長かったが、次に二つ目の理由が、神術の存在だった。

 神術、または法術とも呼ばれるそれは、厳しい修行によって鍛えた精神力や強く信じる心が引き起こす奇跡であり、簡単に言えば超能力だ。

 教会は読み書きや計算を教える際に、集まった子供に神術の才能がないかをテストし、そこで才ある子供を見出したら本部に送ると言う役割を持っている。

 見出された子供の家には多額の謝礼が支払われるし、本部に送られた子供は教会組織の未来を担う存在として、神術の能力開発と共に高度な教育を受けるだろう。


 でも別に僕は特にお金は要らないし、万が一にもそんな事情でウィンと引き離されたくはない。

 故にウィンを教会に通わせたくはなかった。

 勿論、そんな事はあまり大きな声では言えないけれども。


 そして最後に三つ目が、ウィンと他の子供との最大の違いである寿命……、と言うよりも成長速度の違いである。

 例えばハイエルフである僕が子供の頃、人間で言う一歳分の成長をするには、十年を必要とした。

 ハーフエルフであるウィンは、僕程に極端ではないけれど、やはり一歳分の成長をする為に、二年か三年を必要とするだろう。


 簡単に言えば、大勢の人間の子供達に囲まれ続けると、その全てにウィンは置いて行かれるのだ。

 それはやがて、ウィンが絶対に自分で向き合わなければならない問題だ。

 何故ならハーフエルフであるウィンとは、人間も、エルフも、……ハイエルフである僕も、時間の歩みを同じくしない。


 しかしその問題を自覚し、向き合うにも、適した場があると思う。

 少なくとも大勢の事情を知らぬ、悪意がない故に残酷な好奇心を持つ子供達の前で、それを突き付けられるべきではない筈だ。



 ただそれを、僕はノンナにどう伝えるべきかで、迷った。

 寿命が違う事は、彼女も知ってはいるだろう。

 エルフと人間が、宗教を同じくしない事も。

 だけど流れる時間の違いを、価値観の違いを正しく理解しているかと言えば、きっとそれは否だ。


 ノンナにとっての当たり前は、僕にとっては当たり前じゃない。

 恐らくはウィンにとっても。


 一番楽なのは、今回の話は適当に誤魔化してしまう事だった。

 旅人だから、種族が違うから、気が進まないのだと言えば、恐らくはノンナもそれ以上は踏み込んでこない。

 そうする間に、僕等が町を旅立つ日がやって来るだろう。

 でも僕等が、こんなにも楽しく今を過ごせているのは、間違いなく彼女が支えてくれてるお陰だから、僕はノンナに安易な誤魔化しをしたくない。

 

「……まだ上手く言葉に纏まらないから、ちょっと長い話になるけれど、聞いてくれるかな。僕がエルフ……、正しくはハイエルフなんだけれど、それからウィンはハーフエルフで、人とは生きる長さが違うんだ。寿命だけじゃ、なくてね」

 だから僕は、避けずにぶつかる事を決め、ノンナを椅子に座らせて、一つずつ語り始める。

 まずは、そう、僕をエルフだと思ってる彼女に、実は少しだけ違う生き物である、ハイエルフだと告げる所から。


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