第58話
鍛冶仕事を引き受ける様になって、当たり前だけれどもウィンと過ごす時間は減った。
でもそれは、決して悪い事ばかりではない様にも思う。
例えば僕に関しては、まず帰ればウィンに会えるのだと思うと、何故だか不思議と昼間の鍛冶仕事への集中が増す。
使用によって壊れた鎧の金具を付け直し、綻びを縫い合わせ、補強し、磨き、油を塗って、……気付けば日は傾いている。
日が傾けば宿に帰り、そうするとウィンが出迎えてくれるのだ。
それはとても、本当に嬉しい事だった。
或いは曲がった武器を槌で叩いて形を整えたり、どうにもならなければ鋳熔かして作り直して。
新たに鋳造、鍛造したり、材料や燃料が足りなくなれば鍛冶師組合の職員に発注して、そんな風に過ごせばあっと言う間に六日は過ぎる。
すると七日目は休日で、ウィンと一緒に街を歩く。
彼がその、僕の休みを心待ちにしてくれてる事がわかって、伝わって来て、それがまた可愛らしくて楽しい。
またウィンにとっても良い影響は出ている風に思う。
彼は昼間をノンナと過ごしているから、この町で生まれ育った顔の広い彼女を通して、顔見知りが増えて行く。
ウィンにとって特に大きいのは、実際の年齢は兎も角として、成長度合いの近い町の子供達の交わりだ。
自分に近い相手、自分より少し成長してる相手、自分よりも幼い相手。
それぞれに取るべき接し方が違うのだという事を、ウィンは少しずつ学んでいた。
つまりは、そう、彼の世界が広がりつつある。
これは本当に、僕とウィンだけの閉じた関係では、どんなに望んでも得られない物だろう。
いやまぁ僕だって、彼と出会ってから然程の時間が経った訳じゃないし、その関係は今も構築してる最中だけれども。
ハンマーを振っては金属を鳴り響かせ、ふいごを動かしては炉で踊る火の精霊の機嫌を窺う。
そしてウィンからその日にあった事を聞いて、その御返しに僕も語る。
日に決まった回数は剣を振り、余った時間で術式の記された書物を少しでも読んで……。
あぁ、時間は幾らあっても足りなくて、だけどそんな日々は忙しくも優しかった。
勿論、全てが良い事ばかりだった訳ではない。
時にはウィンが近所の子に泣かされて帰ってきたし、僕にだって、鍛冶場に弟子入り志願者が押し掛ける事もある。
ウィンがもう少し、……そう、せめて人間で言う所の十代の少年になっていれば、喧嘩を売られた時の作法として殴り合いのやり方を教えるのだけれども、しかし今の段階ではそれも早過ぎる。
因みに鍛冶場に押しかけて来た弟子入り志願者は、別に本気で技術が学びたい訳じゃなく、エルフの鍛冶師って珍妙な存在を利用して自分の名前を売ろうとする輩だったので、話し合いで丁重にお引き取り願った。
所謂ドワーフ流の話し合いと言う奴だったけれど。
尤も相手が荒くれ者の漁師や、鍛冶師なら兎も角、誰が相手でも拳に訴えると言うのは、あまり良い手段じゃない。
だから僕がウィンに喧嘩の仕方を教えるのは、単なる暴力と拳を使ったコミュニケーションの違い、空気を彼が読める様になってから。
その時は僕とお揃いの、グリードボアの革で作った手袋も用意しよう。
但し喧嘩の仕方と戦い方は全くの別物で、後者は生きる為の手段である。
恐らくルードリア王国の状況が落ち着き、この町を発ってカエハの道場に行ったならば、ウィンも自然と剣に触れる事にはなる筈だ。
故にその前に、剣だけに染まり切る前に、他の物に関しても、触れる程度には教えてやりたい。
でも弓は、手足が短く骨格が出来てない今のウィンには、身体への負担が大き過ぎた。
ならば魔術はどうかと言えば、正しい知識も持たずに魔力の動かし方だけを覚えては、妙な形で魔術を発動させる危険性が高過ぎる。
仮に魔術を教えるならば、文字を覚えて書を読めるようになり、幅広く物事を見る目と、容易くは動じない精神が身についてからだ。
妖精銀を用いた適性の検査も、それを切っ掛けに魔力の動かし方を覚えかねないので、少なくとも子供の間に行う心算は僕にはない。
だったら一体、僕がウィンに何を教えるのかと言えば、それは当然ながら精霊に助力を願う方法。
つまりは世間一般には、精霊術と呼ばれている物である。
……さてそんな訳で、六日間の仕事を終えた休日の今日、僕はウィンを連れてジャンぺモンの町の近くにある、小高い丘に登りに来ていた。
まぁちょっとしたハイキングと言った所だろうか。
実はノンナも誘って欲しそうにしていたが、申し訳なく思うけれども、今日の所は遠慮して貰う。
本当に単なるハイキングをするだけなら良いのだけれど、精霊の存在を感じようとするならば、快活な彼女の存在感がどうしても強過ぎて邪魔になるから。
幼い子供の足で丘を登り切るのは難しいから、ウィンが満足するまで歩いた後は、僕が抱えて丘の上へと運ぶ。
今日はまるで天候が気遣ってくれたかの様に日差しが柔らかく、風も穏やかで心地良い。
丘の上から見下ろせば、ジャンぺモンの町と周囲の麦畑が一望出来た。
「いやぁ、良い眺めだね」
僕はウィンを抱えたまま、草むらに腰を下ろす。
これだけ良い環境なら、後は話は簡単だ。
何しろ精霊は、特にずっとウィンに付いてた風の精霊は、早く何かを頼まれたくて、ずっとソワソワしてるくらいだから。
精霊術、なんて大層な言い方をすると大袈裟に思うかも知れないけれど、実際には精霊に何かを頼んで助けて貰うだけだから、術なんて風に呼ばれる程に大袈裟な代物じゃない。
そりゃあ大きな力を借りる時は、正確なイメージやそれを伝えるだけの同調、共感、必要以上の破壊を防ぐ為の制御と言った様々な要素も必要になるが、それはもっとずっと先の話。
基本は精霊の、自然の心を知り、仲を深め、助力を乞い、感謝するだけである。
うぅん、それも少し、子供に対する説明としてはややこしいか。
要するに精霊と仲良くしていたら、ちょっとした頼み事は聞いてくれるし、精霊も頼られる事を嬉しく思うのだ。
「だから後は実際に何かを風の精霊に頼むだけなんだけれど、ウィンにはそれが難しそうだからね」
僕は腕の中のウィンを見下ろし、そう呟く。
この子は与えられた事や物には反応するし、喜びもする。
執着らしきものも、少しは見せる様になって来た。
けれども自分から何かを求める事は、どうしても苦手らしい。
だからこそ余計に、僕はウィンに精霊と関わる術を学んで貰いたいと思う。
与えられるばかりでなく、自分から何かを欲し、求めるのは、生きる上でとても大切な事だから。
まぁ兎にも角にも、先ずはウィンの興味を引く所から始めようか。
僕は背負い袋から、ここ迄の道中に生えてた木々から分けて貰った大量の葉っぱを取り出して、
「風の精霊よ」
渦巻いて吹く風の中に舞わせる。
それはきっと、こういった現象に慣れてしまった僕には当たり前の光景だけれど、幼いウィンには幻想的に見えたのだろう。
僕の腕の中で彼は、目を輝かせて近くを通った木の葉を掴もうと手を伸ばす。
しかし風の精霊はスルリと木の葉をウィンの手から遠ざけて、きゃらきゃらと笑って踊る。
だけど僕が背負い袋の口を開けば、ヒュウと風はそこ目掛けて集まって、全ての木の葉は吸い込まれる様に袋に納まった。
ウィンは驚いた様に、パチパチと目を瞬かせ、僕を見上げる。
「さぁ、次はウィンがやってみようか。大丈夫。どんな感じで風に吹いて欲しいか、お願いするだけで良いよ。吹いてって言えば良い。そう、大丈夫。風の精霊も、君と遊びたがっているからね」
彼はおっかなびっくり、僕から背負い袋を受け取って、中から数枚の木の葉を取り出す。
そしてそれからその日は、太陽が傾いて空が赤く染まるまで、丘の上には風がずっと吹いていた。
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