第36話



 元アズェッダ帝国の、現小国家群のあるこの地は、肥沃だ。

 ジャンぺモンの町の周辺は麦が盛んに栽培され、周辺の都市国家では果樹やら何やらが育てられていた。

 そのほかにも宿の食事でホワイトソースが使われていた事からもわかるけれど、牧畜も行われている筈。


 さて、すると何が起きるのかと言えば、普通の食事以外にも菓子類が食べられる様になる。

 小麦にミルクにバター、果実と並べれば、いかにもお菓子が作れそうに思えるだろう。

 尤も蜂蜜や砂糖は、ない訳ではないけれど、貴重品で値も張るので使いはしても少量だ。

 その分、甘味を強める為に果実をドライフルーツとして加工し、菓子の甘味に利用している。


 そう言えば麦で甘みと言えば、麦芽から確か水飴が作れるんだっけ?

 前世の記憶にそんな物があるけれど、……はっきりとしたやり方なんてわからないから、別に良いか。


 と言う訳で今日の僕は、菓子の食べ歩き中だった。

 案内人は宿の少女である、ノンナ。

 丁度仕事の手が空いていた彼女を菓子で誘惑すれば、ノンナはまんまと付いて来た。

 十歳の少女を菓子で誘惑なんて、前世に生きた世界であれば、間違いなく事案である。

 しかしこのジャンぺモンに来て一週間しか経たない僕は、町に不案内なので仕方ない。


 六日働き、一日休む。

 ルードリア王国の、ヴィストコートの町に居た時の習慣だった。

 一日の労働時間も、翌日に疲れを残さない程度に。

 しっかり食べて、良く休む、

 何だったら少しは昼寝もする。

 全力で集中出来るのは、僕の場合は一日に五時間か六時間が限度だから、その時間に自身の性能をフルに出せるべくコンディションは最良に保つべきだ。


 納品した槍の穂先は、六日間で三十二本。

 鍛冶師組合の職員達もまさか三十を超えるとは思ってなかったらしく、七日目は休むと告げたら安堵の表情を浮かべてた。

 穂先だけだと全体のバランスがわからないから、出来れば槍なら全てを任せて欲しかったのだけれど、与えられた仕事に文句を言っても仕方ない。

 明日には、また別の仕事を用意してくれてるだろう。



「ん~! ん~! おいしいー!」

 満面の笑みを浮かべてノンナは、ホイップクリームが塗られ、ドライフルーツが載せられたケーキを頬張る。

 そう、少し驚いたのだけれど、ジャンぺモンの町で作られた菓子には、ホイップクリームが塗られてる物があった。

 尤も甘いホイップクリームを作るには、甘味や香料を添加しなければならない為、多くの砂糖と果実の汁を使う。

 つまり値段が物凄く高い。


 今、ノンナが食べてるケーキも、銀貨で支払いをする代物だ。

 彼女も初めて食べるらしく、凄く喜びと言うか、凄くはしゃいでる。

 まぁ確かに、うん、美味しい。

 久しぶりの強い甘みに茶が欲しくなるが、残念ながらそちらに関しての文化はまだ広まっていない様子。


 僕は綺麗な布を取り出して、ノンナの鼻の頭に付いたクリームを拭った。

 すると彼女は恥ずかし気に、惜し気に布に付いたクリームを見つめるが、拭き取ったそれを舐めるのは、流石の僕もはしたないと思う。

 さっとクリームが付いた部分を内側に畳んでしまうと、ノンナは漸く我に返って、誤魔化す様にケーキを口に運ぶ。

 そしてまた満面の笑みを浮かべて、

「おいしい~!!」

 と声を上げる。


 実に面白い生き物だ。

 多分ノンナの頭の中には、一瞬前の出来事はもう残ってないらしい。

 本当に幸せそうなその笑みには、僕も思わずつられてしまう。


 ヴィレストリカ共和国の、サウロテの町でも思ったけれど、食が豊かであるのは良い事である。

 何も感じずに毎日毎日同じ物を口に運ぶより、食事内容に一喜一憂しながら食べた方が、心は間違いなく豊かになった。

 そう、例えばあの、黄金の麦の海に浮かぶ石船って詩を知ると、ほんの少し心が豊かになる様に。

 恐らくはそれを、人は文化と呼ぶのだろう。

 但し勿論その豊かさは、全ての人が享受してる訳じゃない。



「ねぇ、聞いた?」

 ふと、通りの向こうの買い物客の話し声を、僕の長い耳は捉えた。

 僕がその声を気にしたのは、そこに不安の感情が混じっていたから。


「北の、北ザイール王国の国境砦を、ダロッテ軍が攻めたらしいのよ」

 北ザイールとは、小国家群の最北の国で、二つの都市を保有してる。

 因みに昔は南ザイールもあったのだけれど、北ザイールに吸収されて消えてしまったらしい。

 小国家群中から腕自慢やら傭兵やらが集まる武辺者の国でもあり、アズェッダの北壁とも呼ばれてるんだとか。


 対してダロッテとは、元は東の地から流れて来た遊牧民が、その地にあった王国を滅ぼして作った国で、強力な騎馬隊を抱えてた。

 遊牧民の末裔が支配層、滅びた王国の民の末裔は被支配層として、身分の差がとても大きい。

 またダロッテは、戦いと略奪を好む、好戦的な国だそうだ。

 この世界には魔物が存在するのだから、戦いたいならそちらに牙を向ければ良いのに、難儀な連中だと思う。


「アズェッダ同盟の招集が、掛かるかも知れないわね」

 その話は、そんな言葉で締め括られた。

 それは一応は、まだ真偽の分からぬ噂話。

 けれども一般の買い物客が噂を口にする時点で、この話は広く北から流れて来ているのだろう。

 話の内容の全てが正しくなかったとしても、何らかの根と葉が確実に存在する。


 ふと気付けば、物思いに耽っていた僕を、ノンナが心配そうに見つめてた。

「エイサーさん、どうかしたの?」

 そう問う彼女に、僕は残っていたケーキを半分に切って、ノンナの皿に載せて誤魔化す。

 まだ十歳でしかない少女に、戦争の話なんて聞かせて、不安がらせる必要はどこにもない。


 喜びに目を輝かせるノンナは簡単に誤魔化されてくれたけれども、……詳しい話は、明日にでも鍛冶師組合で聞いてみるとしよう。


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