第34話


 小国家群の最南西の国、トラヴォイア公国は、ジャンペモンと言う都市と、その周辺の村々から成る都市国家だ。

 トラヴォイア公国に限らず小国家群の国々は、気候は穏やかで土地も肥沃であり、大河とその支流から水を引いて居る為、然程水にも困らず食料の生産量が多い。

 要するに恵まれた土地と言う奴だった。

 逆に言えばこのように恵まれた土地だからこそ、小国家が乱立する余裕があったとも言えるだろう。


 僕がジャンぺモンの町に辿り着いたのは、空の色が朱く染まり始めた頃。

 ジャンぺモンの町の周囲には、主要な産物である麦の畑がどこまでもどこまでも、まるで果てがないかの様に広がっている。

 夕日に麦が照らされて金色に輝き、……まるでジャンぺモンの町は金色の海に浮かぶ石船の様だった。


 ……なんて風に言うと詩的だろうか?

 実はこの表現は、以前にこの辺りで活躍した詩人が、ジャンぺモンの町を詠った詩のパク……、引用だった。

 前の町の酒場で相席する事になった旅商人が、話のネタに教えてくれたのだ。

 まぁ僕には見た目通りの麦畑と石造りの町にしか見えないのだけれど、こんな言い回しを一つか二つ知ってるだけで、少し心が豊かになったかの様な錯覚を覚える。

 うん、誰も居ない場所で格好を付けていても仕方ないし、日が暮れる前にジャンぺモンの町に入ってしまおう。


 僕も深い森を出て、更にルードリア王国を出てからも幾つか国を跨いで旅をして来たから、町に入る時の手続きにも随分と慣れた。

 小国家群は他の地域から出入りする人に関しての警戒心は強いから、今回は目立つのも承知で、上級鍛冶師の免状を身分証として使う。

 ルードリア王国を出てからは鍛冶場に出入りする機会もなかったから、多分鍛冶の腕も少し鈍ってる。

 だからジャンペモンにあまり長居をする心算はないけれど、それでも一つか二つは、何か鍛冶仕事をこなしたい。

 それに小国家群の町で仕事をした経歴があった方が、何もせずに先に進む旅人よりも、多少は衛兵の態度も柔らかい物になるだろうから。



 さて、ジャンぺモンの町に入った僕は、先ずは何時も通りに宿を探す。

 日は既に暮れていて、僕の腹もそろそろ限界だとばかりにぐぅぐぅと自己主張が激しくなってる。

 それ故に僕は漂う夕食の匂いに抗えず、一階が食堂になってる近くの宿屋に、吸い込まれる様に飛び込む。

 この町には鍛冶仕事で一週間か二週間、或いはもう少し滞在する事になるだろうけれど、別に一度決めた宿を変えちゃいけない訳じゃない。

 取り敢えずは一泊し、気に入ったならば延長を、そうでなければ借りる鍛冶場に近い宿を、改めて決めれば良いだけだ。


「はーい、おひとり様ね! こんばんは、今日はお食事? それともお泊りですか?」

 宿に入れば給仕をしていた、十になるかならないかと言った年頃の少女が、僕に向かって問うた。

 雇われた従業員にしては年若く、されど仕事の手つきは手慣れてる。

 つまり彼女はこの宿に生まれ育った子供なのだろう。


「泊りだけど、お腹も空いててね。だから両方お願いできる?」

 僕がそう口にすれば、少女は嬉しそうな笑みを浮かべる。

 子供からすれば客が一人増えた所で、手伝わなきゃならない仕事が増えるだけの筈だが、その笑みは本心から喜んでる風に見えた。

 食堂もそれなりに混んでいて、今だって忙しいだろうに、どうやら彼女はとても良い子らしい。


「おかーさーん、泊りのお客さんだよー! あ、えっと、一人部屋が銅貨五十枚になります。お食事は夕食は銅貨十二枚で、朝は銅貨八枚です。よろしければ台帳にお名前をお願いします」

 少女が懸命に働くその姿は、見てるだけでも微笑ましい。

 宿代は少し安目だが、食事代はまぁ普通。

 どちらかと言えば、食堂で儲けを出してるタイプの宿だろうか。

 取り敢えず一泊と夕食を頼み、僕は台帳に名前を記入する。


「エイサーさん。エイサーさんですね。じゃあ、部屋にご案内しますから、お荷物を置いたら食事に降りて来て下さい。あっ、お湯と洗濯はそれぞれ銅貨五枚になります」

 慌てた様に付け加える少女に、僕は頷く。

 湯は食後に貰うだろうし、この宿に泊まり続けるのなら洗濯も頼むだろう。

 高級宿ではないけれど、この雰囲気は悪くない。


 僕は少女に先導されて、二階への階段を上った。

 するとチラチラと、彼女は時折僕を振り返っては盗み見る。

 そこに僕が視線を合わせると、少女は驚き焦った様に手を振って、

「あ、あの、エイサーさんって、エルフ?の人ですよね?」

 それから恐る恐る、そう尋ねた。


 客を詮索するのは失礼だと、彼女も思っては居たのだろう。

 つい出てしまった質問に、少女はしまったとばかりに顔色を蒼褪めさせてる。

 まぁでも僕はそんな事は気にしないから、

「そうそう、エルフだよ。見るの初めて?」

 宥める様に彼女の頭に手を置き、撫でた。

 森の外で活動するエルフは、ルードリア王国の様に大きな国の首都でも数人しか出会わなかったし、小国、都市国家では見る事もないのだろう。


「あっ、えっと、一回だけ遠目に。でもお客さんで来てくれるエルフの人は初めてです。あ、一人部屋はここです。鍵はなくさないで下さいね」

 照れてはにかみながら少女は言う。

 僕が鍵を開けて部屋に入ると、彼女は一階へと仕事へ戻った。


 部屋は古めかしいとまでは言わないが、それなりに年季が入ってる。

 ベッドの質も、値段相応と言った所か。

 だけど掃除は綺麗にされていて、窓際のチェストの上に置かれた花瓶には一輪の花が飾ってあって、この宿の心遣いを感じた。

 鍵の作りも確りしてたし、暫くはここに滞在しても良いかも知れない。


 ……夕食の味次第かな。

 そう、この宿の売りが出される食事だったら、まだ決めるのは早計だ。

 僕は部屋を軽くチェックした後、荷を置いて鍵を閉め、一階の食堂へと降りる。


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