第28話
「……はい、カッとなってやりました。大変申し訳ありませんでした」
僕は怒りに満ちた視線を向けて来る店主に、深々と頭を下げる。
給仕の女性は僕に助けられたのだと店主に訴え、庇ってくれているけれど、それから後に自主的に暴れたのは間違いないので、その辺りは擁護のしようがないだろう。
「いやまってくれ。グランドよぉ。先にこのエルフの兄さんに迷惑かけたのは俺なんだ。この兄さんは悪くねぇ」
殴り合ってた男まで、何故か僕を庇ってる。
違う。そうじゃない。
君は一緒に暴れた相手だから、一緒に叱られる立場だろう。
何を勝手に立ち位置を変えてるんだ。
だけど店主、グランドと呼ばれた男はその辺りはわかってるらしく。
「いや、ドリーゼよ。お前が悪いのは当たり前だろうが。お前が俺の店で暴れるのは何回目だよ。あぁ? 幾ら幼馴染とは言えそろそろ空っぽの頭叩き割ってぶっ殺すぞ!」
僕の喧嘩相手に向かって大いに凄む。
ヤバイ。もの凄く怖い。
醸し出す雰囲気が、つまらない事で仕事の邪魔をされて怒った時のクソドワーフ師匠にそっくりだ。
つまりグランドと呼ばれた彼は、分野は違うが職人であり、職人の仕事に関する怒りは苛烈である。
「だ、だってよ。あのラーレット商会のクソ船乗りがよ。この店の料理は品がなくて下等だとか言うもんだからよ。つい……」
店主、グランドの勢いに押され、僕の喧嘩相手であったドリーゼはそんな聞き捨てならない言葉を口にした。
いやいやいや、それはない。
品がないのは、上品さを求める料理じゃないから当然としても、下等だなんて言い草があってたまるものか。
そう言えば最初にドリーゼに殴られた男は、喧嘩が始まってすぐに店から逃げ去っている。
自分もその騒ぎの発端の一人であるにも関わらずだ。
「あぁ、そうだったの? ごめん。あんなに美味しいのにそれは怒るよね。僕も怒るよ。殴る相手間違ったな……」
思わず怒りを滲ませてそう言えば、ドリーゼは目を二、三度瞬かせて、それからその顔に豪快な笑みを浮かべる。
彼は隣に並ぶ僕の肩をバシバシと叩き、
「だろう? エルフの兄さん、ホント話が分かるな! 兄さんの魚を俺が駄目にしちまったんだろ? そりゃあ俺が殴られるのも当然だ。あ、暫くこの町に居るのか? だったら俺が獲った魚、詫びにたっぷりと食わせてやるよ」
本当に嬉しそうにそう言った。
唐突な、でもこの上なく有り難い申し出に、僕の顔にも笑みが浮かぶ。
「おう、仲直りか。良かったな。でもお前ら、先ずは反省しろ。それから壊したイスとテーブルを弁償すれば、美味いって言葉に免じて今日の所は勘弁してやる。それからその獲った魚は、当然、俺の所で料理するんだよな?」
僕等の調子に毒気を抜かれたのか、店主、グランドも怒りを収めてくれて、……僕はこの町に来て早々に、漁師のドリーゼ、酒場の店主のグランド、給仕の女のカレーナと、三人の知己を得た。
そしてそれがこの町で動いてた事態に、僕が関わる事になった切っ掛けである。
グランドが比較的港に近い宿を教えてくれたから、僕はこの町に滞在する間はここに泊まると決め、一週間分の宿代を先払いした。
地元の住民がお勧めするだけあって、部屋は掃除が行き届いていて、従業員の対応も丁寧だ。
別に高級宿と言う訳ではなかったが、居心地は決して悪くない。
この世界では初めて潮風を浴びたせいか、少し身体に痒みを感じ、僕はたっぷりの湯を貰って身を清める。
熱い湯に浸した布で顔を拭けば、ドリーゼの拳を受けた部分が沁みて痛む。
明日はちょっと腫れるかも知れない。
我ながら馬鹿な真似をした物だとは思うけれども、中々に刺激的で愉快な一日だった。
でも殴った右手も少し痛いから、これからはもう少し気を付けよう。
鍛冶をするにも剣を振るうにも、この手は欠かせない物だ。
粗雑に扱って無駄な怪我をすれば、鍛冶や剣の腕も鈍る。
それはアズヴァルドやカエハに対しての不義理でしかない。
クソドワーフ師匠なら、喧嘩で手を痛めるなんざ鍛え方が足りないとか言いそうだけれども。
僕の手はどうやってもあんなゴツくはならないし、革の手袋でも付けようか。
喧嘩用に。
まあ喧嘩の事はさて置き、明日はドリーゼの船を見に行く予定だ。
どうやら彼は今日の詫びとして僕の為に漁をしてくれるらしいので、可能ならばイカかタコを手に入れて貰おう。
仮にそれがこの世界では奇食の類とされたとしても、僕はエルフだから変わった物も食べるんだと言う理由でごり押しが出来る。
明日がとても楽しみだけれど、唯一つ、どうにも違和感を覚えるのは、そう、ドリーゼに殴られて逃げた男の事だった。
金を出すから客は神だと勘違いする馬鹿は、この世界にも居なくはない。
だが周囲が常連客、しかも気の荒い漁師だらけのあの店で、敢えて料理を貶すなんて、度胸があるにも程があるだろう。
実際、激怒したドリーゼに殴られた訳だし。
そしてそんな度胸のある文句を口に出した割には、隙をみてこそこそと逃げ出す様な情けない真似をしてる。
その辺りの行動がどうにもちぐはぐだ。
出された料理が不味ければ、思わず口が滑る事もあるかも知れない。
だけどあの店の料理は間違いなく、文句の付け様がなく美味かったから。
ドリーゼは、確か相手はどこかの商会の船乗りだと言っていたけれど……。
どうにも違和感を覚える話である。
僕は疑問に首を捻りつつも、綺麗に身を清め終われば、明日に備えて今日は早めにベッドに身体を横たえた。
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