第27話
酒場のドアを潜って中に入れば、ドアがギシギシと軋んだ音を立てた。
蝶番が潮風に酷く錆びている。
仕方のない話なのだろうけれど、錆びた金属がそのままになってるのを見ると、何故か物悲しさを感じる様になった。
僕の勝手な感傷だ。
錆び易い錆び難いはあれど、多くの金属は錆びる物で、それは自然の理である。
金属を用いた芸術作品には、錆を計算に入れて作られる物もあり、寧ろそれ等は錆びる事で完成するのだろう。
まぁそんな事よりも、僕は店内を見回して空いた席を探す。
残念ながらカウンター席は一杯で、僕はポツポツと空いたテーブル席の一つを指差し、給仕をしている若い女性に座って良いかを問う。
すると彼女は少し驚いた風に、
「はぁ~、綺麗なエルフのお兄さんがこんな店に来るなんてね。珍しい事もあるもんだわ。いやいや勿論うちは歓迎よ。座って座って」
そんな言葉を口にした。
いやいや、こんな店なんてとんでもない。
僕は既に期待感がたっぷりだ。
軽く周囲を見渡せば、確かに船乗りだか漁師だかのゴツイ男達が飲んで騒いでしているが、しかしあの程度の腕の太さでは、僕の鍛冶の師であるアズヴァルド、クソドワーフ師匠には遠く及ばない。
それよりもそんな彼等が口にしている、魚料理や貝料理が、僕のテンションを上げている。
「魚は焼いたのと生で食べられるのを一つずつ、お勧めの料理を。貝は大きめの、焼いたの六つ位。酒は合うのを適当にお願いするよ」
この世界の魚や貝の名前がまだ分からない為、僕は給仕の女性にお任せを頼む。
もう既に、つまらない物が出て来てがっかりする事はないだろうと言う、謎の信頼感があった。
と言うか正直、新鮮な魚や貝が焼いて出てくれば、それだけで今の僕はもうがっかりなんてしない。
「はいはい、エルフのお兄さん、細いのにそんな食べるんだ。意外と逞しそうだし、大丈夫そうね」
注文を受けた給仕の女性は笑いながら、お尻をフリフリ厨房に向かう。
時折そこに向かって伸びて来る客達の手を巧みに躱しながら。
彼女は僕を意外と逞しいと称したが、寧ろそれは僕が彼女に向かって抱く印象だ。
先に出された酒を少し口に含めば、辛口のシードルの類だったので大人しく料理が出て来るのを待つ。
僅かとは言えアルコールが口に入り、味覚も刺激された事でますます食欲が湧いて来た。
焼いても刺しでも良いから、何となくイカが食べたい。
しかし周囲を見回してもイカを食べてる人間はおらず、……イカの類が海に居ないとも思えないから、やはりイカやタコはその見た目から忌避されてるんだろうかと、他愛もない事を考えつつ時間を潰す。
「待たせてごめんね。ほら、注文の紅魚のサラダの白オイル掛けと、貝の焼き物六つよ。焼き魚は大きいから火が通るまでもう少し待ってね」
給仕の女性が持って来た料理に、僕は内心で歓声を上げる。
まず目を引いたのは何と言っても貝の焼き物だ。
ぱかッと口を開けた殻ごと出て来たそれは、身が握り拳程もある巨大サイズだった。
そりゃあそんなに食べるのかと驚かれるのも無理はない。
丸ごとはとても口に入らないサイズだから、殻を掴んで身をフォークで外し、ナイフで三つに切ってから口に運ぶ。
ナイフで切った時も汁気が溢れ出てたけれども、噛み締めた瞬間、熱々の旨味の汁で口の中が満たされる。
咀嚼し、汁を飲み、咀嚼し、汁を飲み、それから漸く貝の身を飲み込む。
どうやって味付けしてるのかとか、どうでも良い位に旨い。
だけどこのまま次の身を口にすると多少しつこいので、先にシードルを口に運んで残る味を洗う。
さほど冷たくもないシードルなのに、それでも熱に負けた口内を優しく冷やしてくれる。
つまり、そう、至福だ。
紅魚のサラダの白オイル掛けは、サーモンのカルパッチョ風サラダと言った所だろうか。
これも美味しいが、焼き貝程のインパクトはない。
でも圧倒的に食べ易いから、幾らでも入りそうである。
そうして貝とサラダを楽しんでいると、厨房から大皿の上に載った焼き魚を給仕の女性が運んで来るのが見えた。
本当にでかい。
ちょっと嬉しくなって笑みを浮かべると、それを見た彼女も笑みを返してくれる。
しかし事件が起きたのは、その時だった。
「何だとてめぇ! もう一回言ってみろ!!!」
突如として挙がった罵声にそちらを見れば、大柄な男の拳が、一回り小柄な男の顎を捉えて、殴られた方の身体が宙を飛ぶ。
その時、僕は特に何かを考えた訳じゃないけれど、身体は咄嗟に動いてた。
立ち上がって駆け、そのままでは勢い良く殴られた男にぶつかりそうだった給仕の女性を、引き寄せて庇う。
……その結果、給仕の女性は衝突を免れたが、僕の焼き魚は、大皿ごと飛んで来た男に弾かれて、床にべしゃりと落ちて潰れる。
あまりに哀れな焼き魚の姿に、僕の心をまず悲しみが満たして、一瞬後に全ての悲しみが怒りへと変わった。
成る程、成る程。
これがこの、サウロテの町の、海の荒くれ者の流儀だと言うなら、僕もそれに付き合おう。
僕は勝ち誇る大柄な男の前に進み出て、
「僕の魚が死んだ。この人でなしめ! 判決は処刑! 死んで僕の魚に詫びろ!!!」
怪訝な顔でこちらを見た彼の顔に、叫び声と共に思い切り拳を叩き込む。
旅の末に求めた海産物に出会って上がったテンションと、酒の勢い。
それらが惨劇によって怒りに変わり、僕を闘争へと駆り立てる。
エルフは身長は人間と然程変わらないか少し高いが、細身の種族。
ハイエルフも同様で、細身である分、筋力的には人間に劣るだろう。
けれども僕は十数年間の鍛冶仕事で鍛えた力と、剣術の訓練で動きの鋭さを鍛えてるので、肉体的な能力は並のエルフとは比べ物にならない。
たとえ相手が大柄で筋肉質な荒くれ者であっても、僕の拳をまともに喰らえばただでは済まない……、筈だった。
「ぐっ、おっ、てめぇ! 何しやがる!!!」
だが驚いた事に、その男は僕の拳に何とか耐え、すぐさまに反撃して来たのだ。
咄嗟に顎を引いて反撃の拳を額で受けるが、頭部を走り抜けた衝撃に、目にちかちかと光が走る。
恐ろしい威力の拳。
だけどこれは戦いだ。
一歩でも退けば、それは僕の負けだろう。
「僕の魚に謝れって言ってるんだ!!!」
だから僕はそのまま更に踏み込んで、フックで相手の頬を打ち抜く。
そこから先の殴り合いは、壮絶な物だった。
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