第20話
そうして漸く始まった剣の訓練は、予想通りに傍から見るとかなり地味な物だった。
何せ基本はひたすらに素振りである。
だけど隣では師であるカエハが全く同じ様に素振りをするので、それを見てるだけでも結構面白い。
自分の動きと彼女の動きを見比べて、少しずつ修正を加えて行く。
隣の彼女は何も語らず、ただ剣を振るのみだ。
多分カエハは剣技を他人に教えた事がないから、特に未経験者には何を語って良いのかもわからないのだろう。
だから兎にも角にも剣を振って、自らを真似させている。
幼少期に自身が受けた訓練を思い出し、あれやこれやと頭を悩ませ、出した結論が自らの模倣をさせる事。
それは未経験者への教え方としては、多分確実に間違っている。
もう少し詳しく語り、一から教えなければ、その訓練の意味を理解する事は難しい。
でもこの方法は、そう、僕には向いた訓練だった。
ひたすらに動きを繰り返して精度を上げ、身に刷り込ませて昇華するやり方は、僕が深い森の中で弓を打ち続けていたのと同じだ。
また鍛冶を学んだ経験から、僕は自分と師の違いを見付けて修正する事にも慣れている。
剣を振っては考え、振っては修正して、次第に振りながら考えて修正が出来る様になって行く。
そのうちに、師であるカエハと同じ様に動くだけでは、同じ風に剣が振れない事にも気づいた。
人間の女性である彼女と、ハイエルフの男である僕では、手足の長さが違い、骨盤の形が違い、肘や膝の反りも違って、そうなると当然ながら筋肉の付き方も少し違う。
同じ様に剣を振ったのでは、同じ結果が生まれないのは当然だ。
特にカエハは、そう、胸部に重りが付いてもいたし。
故にそのうち僕は僕なりに、身体の動かし方を考えて決めて、彼女の剣と同じ結果を、それ以上を目指さなきゃいけない。
ヨソギ流の剣は、以前は刀を使っていただけあって、基本的には両手で振るう。
でも型の幾つかは片手で振るう事もあって、それが中々に難しい。
筋力的にはハイエルフとは言え、鍛冶で鍛えた僕の方が勝るだろうに、カエハは片手でも難なく振るってピタリと止める。
僕は片手だとほんの少し剣を振った軌道がぶれて、止まる際にも僅かに揺れてしまう。
多分何かコツがあるのだろうと思い、僕はカエハが剣を振るのを見て考え、自分が振っては考えて、それをずっと繰り返す。
そんな風に過ごしていると、時間はあっと言う間に過ぎてしまって、訓練を始めてから半年後、クレイアスが王都にやって来た。
……クレイアスはまず、ロードラン大剣術の道場よりも先に僕を訪ね、それから打ち壊されたヨソギ流の道場の惨状を目にして、カエハとその母の話を聞く。
これは今回の件では、クレイアスはロードラン大剣術の側ではなく、僕の知人としてこちら側に立つと言う、彼なりの意思表示だったのだろう。
クレイアスは終始、ヨソギ流への敬意を態度に示しながらカエハやその母に接した。
正直、僕にとっての彼は単なる強い冒険者なのだけれども、カエハやその母の目には、クレイアスは高潔な武人として映ったらしい。
実際に会うまでは色々と複雑そうだった二人だったが、話を終える頃にはすっかり態度も軟化していた。
特にカエハは、明らかに自分より上の使い手であるクレイアスから話を聞きたがったから、引き止められた彼は結局は宿をキャンセルし、家の客間で一泊する事になる。
要するに僕と同じ扱いだ。
カエハは恐らく、型と素振りだけで磨いた自分の剣技に、心底の自信を持てないのだろう。
彼女がクレイアスから聞きたがる話は実戦と、それに備えた訓練の話が主だったから。
クレイアスもそれを話の途中で察したらしく、ロードラン大剣術のではなく、自分なりの訓練方法をカエハに丁寧に教えていた。
確かにクレイアスはロードラン大剣術の剣士だが、同時に長く冒険者をしていた為に訓練相手に恵まれず、やはり独りでの訓練が多かったらしい。
だけどその分、彼は魔物や盗賊を相手にした実戦経験が豊富だったから、その経験から己の技を振り返り、足りぬ物を補う為の訓練を一人で行う事にも自然と長けたと言う。
その成果として生まれたのが、七つ星と言う最高ランクの冒険者チームでただ一人の前衛を務めた、凄腕剣士と言う訳だ。
「だからもし君が、今の剣技に足りない物を感じていて、より実戦的な物としたいのなら……、それは実戦を経験するのが一番早い。勿論それは、俺の経験上の話だから、誰にでも当て嵌まるって訳じゃないけれど」
そんな風にクレイアスはカエハに言いながら、ちらりとこちらを、窺う様に見た。
その視線の意味は分かってる。
僕としてはその結論はあまり面白くないのだけれども、急がば回れとの言葉もある様に、それも仕方ないのかも知れない。
だってカエハの剣技が完成しなければ、彼女から学ぶ僕の剣も完成しないのだ。
僕としては今のカエハの美しい剣に何の不満もないのだけれど、彼女自身がそれに納得していないなら、自信をもって伝えられないだろうし。
「三年、……いや二年でも一年でも、冒険者として活動してみる事を、俺は勧めるよ。何せ君には、俺の知る限り最も強い人が、すぐ傍に居るからね」
クレイアスが僕の事を、最も頼れるではなく、最も強いと称した理由は明白だ。
何故なら彼にとって最も頼れるのは、アイレナとマルテナ、つまりは白の湖の仲間達だから。
たとえ冒険者を引退したとしても、そこに変わりはないのだろう。
カエハがクレイアスの評価に驚いた様にこちらを見るから、僕は何となくきまりが悪くて目を逸らす。
精霊の力を借りる事と弓が特技だと言うのは、確か初対面の時に言った筈なのだけれども、どうやらクレイアス程の剣士が最も強いと評する程だとは思ってなかったらしい。
尤もクレイアスも、僕と何か冒険をした事がある訳じゃないから、正確な実力を把握した上での評価ではなかった。
だけどそれでも、あの怒れる水の精霊を間近に感じたのは、クレイアスにとって余程に印象深く大きな出来事だったのだ。
但しクレイアスの言葉は、多分に過大評価気味である。
もしもこの距離で、クレイアスが切り掛かってきたら、僕は何も出来ずに真っ二つだろう。
距離を置けば話は全く変わって来るが、少なくとも最も強いなんて言葉は、僕には程遠い。
だがそれはさて置いても、冒険者として活動するには、カエハには一つ問題があった。
それはカエハが冒険者となって活動、特に実戦を求めて魔物退治や盗賊の討伐を引き受ける様になると、この家に彼女の母が一人で残される事になる。
幾ら肺の病が癒えたとは言え、身体の弱い母を一人残して家を長期間空けるのは、多分カエハには無理だろう。
次の日、クレイアスがロードラン大剣術の道場へと向かう前に、カエハは彼に一度剣を交えてくれと頼み込んだ。
クレイアスはそれを了承し、二人は剣を手に向かい合って、……そしてカエハは何も出来ずに敗れた。
そう、相対するクレイアスが剣を構えただけで、カエハはどう切り込んで良いかが分からなくなってしまったから。
型と素振りを繰り返して来ただけのカエハには、隙のない相手に打ち込み強引に崩す技術や、それを行う為の心構えが、決定的に欠けてしまっているのだろう。
相手に隙がないと分かるだけの修練を積んでいる分、逆にどうして良いのかわからずに、彼女は全く動けない。
本当に何も出来ずに、迷うばかりで、カエハは己の欠点を自覚させられ、絶望の表情と共に降参を選ぶ。
クレイアスはそんなカエハを見て、それから僕を見て、ヨソギ流の道場から立ち去った。
彼の残した傷跡は、深い。
しかしそれを修復出来ないようでは、剣士として生き続ける事なんてできない。
多分クレイアスは、そう思ってカエハに己の欠点と向き合わせたのだろう。
後の事は、僕が何とかすると思って。
全く以て、なんて奴だ。
けれども、あぁ、クレイアスには感謝しよう。
カエハの欠点は、彼女よりも腕の立つ剣士でなければ教えられない事だった。
それをカエハの心に致命傷を負わせずに教えてくれるのは、多分クレイアス以外に居なかったから。
だけどクレイアスは、それでも少しばかりカエハを甘く見てる。
仮にも彼女は、僕が選んだ剣の師匠なのだ。
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