第14話


 老いとは無縁な肉体を持つハイエルフは見た目から年齢の判別は難しい、と言うか不可能だ。

 けれど、老いも若いも髭もじゃな男のドワーフもまた、負けず劣らず年齢の分かり難い生き物である。

 だからその話を聞いた時、僕は顎が外れそうな位にポカンと大きな口を開けて、呆然とした間抜け面を晒してしまう。


 僕がクソドワーフ師匠に弟子入りして、そう、十年目の事である。

 彼の故郷であるドワーフの国から、クソドワーフ師匠に婚約者と結婚をして家を継げとの手紙が届いたのだ。

 ヴィストコートの町だけでなく、ルードリア王国でも有数の鍛冶師との名声を得たのだから、人間の世界での修行はもう十分だろうと。

 要するに、それはドワーフの国からの、帰還要請だった。


 ドワーフの寿命はおよそ人の三~五倍、およそ二百年から三百年程になるらしい。

 そしてクソドワーフ師匠はもう数年で九十歳。

 つまり人間で言うならば、二十代の後半から三十代の若者だったと言うのだ。

 その自信と威厳に満ちた振る舞いや、優れた鍛冶の腕から、てっきり老齢間近だと思ってた僕には途轍もない衝撃だった。

 しかも婚約者って、あまりに似合わなさ過ぎて、失礼だとはわかっていても腹を抱えて笑ってしまう。


 うん、勿論笑ったら即座に思い切り殴られた。



 まぁさて置き、確かに良い頃合いではあるのだろう。

 この十年で僕以外にも、クソドワーフ師匠には何人もの人間が弟子入りして来た。

 物にならずに出て行った者も皆無じゃないが、それなりの腕になって独立した者も多い。

 ……と言うか、ドワーフに弟子入りをする人間は、実はもう既にどこかで鍛冶を学んで、一人前と認められている者ばかりだった。

 全くの未経験者がドワーフに教わろうなんて、不遜にも程があると言うのが、鍛冶の世界の常識なんだとか。


 いやだってそんなの知らなかったし。

 後から弟子に入った人間には呆れられたけれども、クソドワーフ師匠はそれでも僕を受け入れてくれたのだから、僕達の関係はそれで良いのだ。

 兎に角、もうこの町、ヴィストコートからクソドワーフ師匠が居なくなっても、鍛冶師が不足するって事はないだろう。

 彼が蒔いた種は芽吹き、この町で立派な木になっているから。


 少し寂しく感じるけれど、僕にとっても頃合いだ。

 この十年での変化は、鍛冶屋が増えた事ばかりじゃない。


 例えば町で一番の、冒険者としては最高位である七つ星にまで上り詰めたチーム、白の湖は三年前に解散してる。

 戦士であるクレイアスと、司祭であるマルテナが、結婚して子供を儲けたからだ。

 そして何より、人間である彼等は、肉体的な性能の絶頂期が短い。

 衰えて取り返しのつかないミスをする前に、引退して次代を生み育てる。

 それは正しい判断だっただろう。


 エルフである為に衰えとはまだまだ無縁なアイレナは、解散しても刺激的だった冒険の日々が諦め切れずに、新たな仲間を求めて旅立った。

 もしかしたら彼女は、僕に付いて来て欲しかったのかも知れない。

 だけど僕が鍛冶を中途半端に投げ出さないだろう事は知っていたから、笑顔で別れを、それから母親かって位に日々の生活の注意を告げて、旅立って行った。


 僕が町に来た時に門番をしていたロドナーは、この十年で出世して、町の衛兵隊長になっている。

 彼が門を守る為に番をする事はもうないけれど、町の住民からの信頼には少しも陰りはなかった。

 今でも時折、ロドナーとはあの食堂で、酒と食事を共にしている。


 少年だったアストレもすっかり一人前の戦士で、確かつい最近、五つ星に昇格したとか。

 白の湖の様な超一流にはまだ遠いけれど、十分に成功してる冒険者の一人と言って良かった。



 十年と言う月日は、ハイエルフである僕にとっては決して長い物じゃない。

 でもこの十年は、僕が生きた残りの百五十年の全てと比べても勝る位に、圧倒的に濃い時間だったと思う。

 そしてその多くは、クソエルフと罵りながらも僕を弟子にしてくれた、クソドワーフ師匠のお陰だ。


「……で、儂はドワーフの国に戻るが、お前さんはどうするんじゃ?」

 そんな恩人が、僕に問う。


 そう、一体僕は、どうしようか?

 興味のある事は、色々とあるのだ。

「剣と……、それから魔術かな。王都で道場か、魔術学院に通おうと思うよ。……幸いお金は大分と貯まってるしね」

 この十年、この店で働いて貯めた金もあるし、……僕が宿を出て家を買った後、何故かそれでも心配だからと僕の家に住み着いたアイレナが、家賃として置いて行った金が大量にある。

 だから無理に働かずとも、剣や魔術を学べるだけの資産は充分にあった。


「はっ、精霊の力を借りる事が出来るのに魔術か。相も変わらずようわからん奴じゃの。まぁ、ええわい。お前さんが何をしてようとクソエ……、いや、エイサーが儂の一番の弟子にして、友人である事は変わらんからな」

 驚いた事に、そう言って彼は、初めて僕の名前を呼んだ。

 照れ臭そうに顔を背けて。

 うん、笑える程に、似合わない。


 でも僕は笑えなかった。

 それまで少しも知らなかったのだけれど、本当に嬉しくて、嬉しすぎる時、どうやら出て来るのは笑みじゃなくて、涙だったらしい。

 彼に呼ばれて初めて、僕はこのエイサーと言う呼び方が、自分の名前なんだと心の底から、認識する。


「あっ、ははは……。何それもう、似合わない。エルフである、……ハイエルフである僕は、ドワーフの国には行けないけれど、貴方が、アズヴァルドが僕の師匠で、友人である事は絶対に忘れない」

 震える声でそう言って、僕が右手を差し出せば、その手は力強く、僕の友であるアズヴァルドに握られた。

 それから彼は、ニカッっと笑う。


「なんじゃい、似合わん。お前さんの良い所は、自分が行きたいと思った場所には、躊躇わずに突っ込める気狂いな所じゃろう。……しかしエイサーよ、お前さん、ハイエルフだったのか」

 笑いながらアズヴァルドは、握った手を離してから、僕の胸を拳で突く。

 いてぇ。

 だけど何故だか、その痛みは優しくて心地良い。

 こんなやり取りも、もう何度もは交わせないだろう。


 しかし彼は笑みを崩さず、

「良かろう。ならば五十年じゃ。五十年経ったら、ドワーフの国に来い。儂がドワーフの国で一番の鍛冶師になって、王座を得て、エルフが遊びに来れる様にしてやろう。だからその時は、胸を張って儂の弟子だと名乗って来い」

 そう言い切った。

 ドワーフにとって最も重要な物は、鍛冶の腕だ。

 鍛冶の腕が良ければ周囲の敬意も、社会的な地位も、全てが得られるだろう。

 その中には、驚くべき事に王位すらも含まれる。


 そう、つまり僕は、未来のドワーフの王の、友人にして一番弟子なのだ。

 あぁ、それは、なんて光栄な事だろうか。


「……なら腕が鈍らない様に、いや、一歩でも前に、進んでおくよ」

 僕の言葉に彼は頷き、それから一ヵ月後、ドワーフの国へと帰って行った。



 アズヴァルドが、師が残した鍛冶屋は、弟子の一人が引き継いだ。

 そして僕の手には、鍛冶師組合が発行する上級鍛冶師の免状が。

 これはルードリア王国だけでなく、この辺りの国ならどこでも通用する物で、一流の鍛冶師であるとの証明の様な物だった。

 ドワーフの影響力が強い鍛冶師組合では、エルフである僕にこの免状を出す事には強い反発があっただろう。

 だけど師は、その反発を腕と口と拳で黙らせて、僕に上級鍛冶師の免状をもぎ取って来てくれた。


 要するに、そう、これは僕の誇りだ。


 僕はそれから数週間、店を引き継いだ弟子に鍛冶場を借りて、グランウルフの牙から一本のナイフを削り出す。

 丁寧に、丁寧に、少しずつ、少しずつ。

 そうして完成したナイフを腰に吊るして、僕はヴィストコートの町を後にした。


 僕は荷から久しぶりに、摘んでから十年経っても朽ちぬアプアの実を一つ取り出して、齧る。

 王都までは馬車を使って約十日。

 歩けばそれ以上に時間はかかるだろう。

 しかし折角なのだから、僕はこの十年で最高の傑作が完成した余韻に浸りながら、王都までの道を歩く心算だ。

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