第12話


 精霊がエルフの言葉に耳を貸すのは、彼等を己に近しい未熟な者、つまりは子供の様に思うからだ。

 それは人間の中に稀に生まれる、精霊に声を届かせられる者に関しても同様である。

 だから精霊はエルフの声に手助けをしたり、和んだり、或いは宥められはしても、その言葉に諫められる事はない。

 子供が幾ら理を解いても、大人がそれに耳を貸さないのと同じく。


 勿論これは例え話であって、精霊の感覚は人とは全く違う物だから、子と言う概念がハッキリと存在する訳でもないだろう。

 但し今回の様な強い力を持った精霊の場合は、エルフや一部の人間を、愛しい子と表現する事は度々あった。


 ……しかしこれがハイエルフとなると、少しばかり話は変わる。

 ハイエルフは死後、魂がその肉体を離れると精霊になるとされていた。

 それが真実であるかどうかは、実際にハイエルフの死を目の当たりにした訳ではない僕には分からないのだけれども。

 要するにハイエルフの魂は、精霊と同じ階梯にある不滅の存在なのだ。


 故にハイエルフの言葉は、対等な存在として精霊の耳に届く。

 精霊は同胞としてハイエルフに助力し、友情を育み、相互理解を深める。

 今回、アイレナが自力での説得を諦めて僕に助けを求めたのは、ハイエルフの諫めの言葉なら、怒り狂った精霊にも届くだろうと考えたから。


 尤も彼女が知ってるかどうかはさて置いて、他にもエルフが諫めの言葉を怒る精霊に届ける方法が、実はあった。

 それは自分の言葉を直接精霊に届けるのではなく、他の強い力を持った精霊に頼み、諫めて貰う方法だ。

 但しその方法は、感性が人と異なる精霊を間に挟む為、伝わる言葉が意図した物とは全くの別物になってしまう可能性や、今回の様なケースでは他の精霊にまで怒りが伝播し、逆に被害を大きくしてしまう危険性がある。

 なので仮にアイレナがその方法を知っていた、または思い付いていたとしても、それは本当の本当に、どうしようもなくなった場合の最終手段であっただろう。



「そう言う訳で、美しい泉に宿る貴女。何をそんなに怒ってるのか、聞かせて貰える?」

 精霊と話す場合でも、相手を褒め称える心は決して無意味じゃない。

 だけど精霊に対して褒めるべきは、本人じゃなくて彼、彼女が宿りし環境だ。

 だから清き水を湛えし泉に宿る精霊や、豊かな水を生み出す泉に宿る精霊との呼び掛けは、相手に対する深い敬意を伝える言葉とある。


 でも今回の場合、地下水に重金属が染み出して汚染されていた場合、逆に怒りを煽りかねないのでシンプルに美しい泉と称した。

 また言葉の表現以上に重要なのが、そこに込めた感情だ。

 精霊との会話では、言葉を発する際の感情は見透かされるし、寧ろそれを隠さずに伝えようとしなければ、信用なんて到底されない。

 当たり前の話だが、心にもない事を言った場合は、逆に怒らせる場合すらあるだろう。


「――――――――――――!」

 泉に宿った水の精霊の口が発したのは、言葉にならぬ怒りの声、或いは高い音としか言えないような物。

 だがそれは確かに意思を伝えようとする精霊の言葉で、僕の耳は彼女が発した声から思いを読み取る。

 それは極シンプルに、僕の問い掛けに対する返事だった。

 この水の精霊は、単に鉱山からの排水が川の水を汚染している事だけに怒っている訳ではなかったらしい。


 何でもこの辺りには以前、……と言ってもどれ程に昔の話なのかは精霊が相手なのでわからないけれども、自然を敬う少数民族が暮らしていたそうだ。

 彼等は狩りをして獲物が獲れれば森に感謝し、魚を獲れば川に感謝し、水を口にしては水源の泉に感謝していた。

 そしてその敬いは泉に宿る水の精霊にも及び、彼等は彼女を特別な存在として丁重に祀ったそうだ。

 水の精霊も己を慕う者達を憎からず思い、大雨が降っては川の増水が過ぎて彼等の生活を脅かさぬ様にと心を砕いたと言う。


 どうやら彼女は、怒り狂う今の姿からは想像もしがたい位に、優しい水の精霊だった様子。

 しかしその優しさが深い程、転じた時の怒りもまた深い物なのだろう。


 互いに良い関係を築いていた水の精霊と少数民族だが、ある時、この地に他所から来た人間が侵略の手を伸ばした。

 少数民族は争いに敗れ、その数を大きく減らし、生き残りは他所から来た人間の群れに吸収されてしまったと言う。

 水の精霊はその事に深い悲しみを覚えたが、群れと群れが争うのは獣とて同じ。

 乞われぬのに勝手に関与は出来ぬと力を振るわず、少数民族もまた、敬う水の精霊を争いに巻き込む事を厭うたから。


 それが今の王国にであるのかどうかは、……ちょっと精霊の話からはわからないが、この地は征服されてしまう。

 それでも生き残った少数民族の子孫は、他の人間の中に混じりながらも、細々と水の精霊を敬って信仰し続けたそうだ。


 だがその生き残りの末達は鉱山開発に強く抗議した為、この地を追放されてしまったらしい。

 心を砕いた民の末裔が追いやられ、後から来た人間は水への敬いを持たずにそれを汚染する。

 魚は死に、草木は枯れた。


 水の精霊の怒りは、こうなるまで動かなかった自分への怒りでもある。

 こんな事ならあの争いの時に、自ら動いて敵軍を押し流してしまえば良かったと。

 己を慕う彼等に恐れられようと、気にせずに守るべきだったと。

 失った物は取り戻せない。

 だけどこれ以上、自らが愛し、彼等も愛したこの地を汚されぬ為、今からでも侵略者を押し流してしまおうと、彼女は決めたのだ。


 そんな時、己を慕い止める愛しい子が現れた。

 その存在に心和まされた水の精霊は、だからこそ強く思ってる。

 この子が生きる世界の為にも、悪しきモノは押し流してしまえと。



 つまりは、そう、……ヤバイ。

 相変わらず、精霊の言葉は短いのに情報量が多くてヤバイし。

 水の精霊は完全に気持ちを決めてしまっていてヤバイ。

 そこまで因果が重なってしまっていたら、もう止めるのは無理なんじゃないだろうか。

 だって鉱山だけの問題じゃないし。


 それに僕の気持ちも、話を聞いて水の精霊に同調しかかってる。

 こんな状態じゃ幾ら話しても、彼女を翻意はさせられない。


 だったら止めるのではなく、流れを変えよう。

 相手は水だ。

 流れると決めた水を押し留めるのは、途轍もなく困難で、多分不可能である。

 しかし水は流れを変えてやる事で、被害を大きく減らせるのだ。


 そう、それは治水と言う概念に含まれる方法の一つ。

 ハイエルフの僕が治水だなんて言い出す事になるとは思わなかったが、……いやまぁそれも良い経験だろう。


「貴女の気持ちは良く分かったよ。僕はそれを押し留める言葉を持たない。だけどそれでも言わせて欲しい。このままでは貴女の水に押し流されるのは、怒りを向けるべき相手じゃないんだって事を」

 僕が水の精霊の言葉を受け取り、間違いなく理解して気持ちを同調させた事で、彼女もまた僕の言葉を聞く気持ちになってた。

 だから僕は語る。

 水に流され困るのは弱き者だと。

 何も知らずに懸命に働き、それが悪しき事であるとも知らずに命令に従わされてる者。

 子を育てるのに必死な母親に、善も悪も知らぬ無邪気な子。


 特に罪も敬意も知らぬ赤子は、今そこに生きる子も、水の精霊を敬った少数民族の子も、何の違いもない生き物なのに。

 それを押し流してしまっては、彼等が慕った彼女でなくなってしまう。

 そして何よりも、今回の件を引き起こしてる強き者は自らの安全を確保しているから、単に水で全てを押し流そうとした所で、多少困りはしても消え去りはしない。


 鉱毒による汚染に対しては、僕の友人が動いてくれてる。

 それは勿論、すぐさま解決すると言う訳ではないけれど、良い方向に向かってくれる筈だから。

「故に水の精霊よ。どうかその怒りを向ける先を、間違わないで欲しいと、僕は願う」



 ……結果を語るとするならば、ガラレトの町が押し流されてしまう事態は、避けられた。

 鉱毒の件も明るみに出て、鍛冶師組合の主導によって、より正確にはそこに所属するドワーフ達の指導で、対策が練られていると聞く。

 また同様の事態を防ぐ為、鉱山開発の際には鍛冶師組合からの協力と調査が行われる取り決めが成されるんだとか。

 原因が鉱毒であり、水の精霊は無関係で寧ろ被害者だと判明した為、アイレナ達、白の湖への依頼も無事に達成扱いとされたらしい。

 つまり全ては平穏に、大過なく事は終わる。


 鉱山開発の失敗の責任を問われ、ガラレトの町の領主が解任された事により、開発に反対して追放されていた人々の処分は取り消された。

 既に新しい生活を始めているだろう彼等が、この地に帰って来るかどうかはわからないけれども、……帰って来ると良いなと、僕は思う。


 そしてそれから少し後、ガラレトの町の元領主が浴槽に顔を突っ込んで自殺し、彼を任命し、解任したルードリア王国の国王が、その三日後に風呂場で溺れ死んだと言う。

 解任されたガラレトの町の元領主が国王を恨み、自らの命と引き換えに呪いをかけたのだと国中で噂されたが、真相は全て深くて暗い水の中。



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