第11話


 そこは川の上流にある水源、豊かな水が湧き出る泉だった。

 あぁ、成る程。

 確かに泉に宿った水の精霊なら、時に信仰の対象になる事すらある程に、その力は大きいだろう。

 そしてその精霊が怒り狂ったなら、ただの人には到底近付けないだろうし、町一つ位なら簡単に滅ぼせる。


 泉の周囲は濃い霧が立ち込め、人の進入を拒んでる。

 人を拒む霧と言えば、惑わし追い返す物が多いが、この霧はそんな生易しい物ではない。

 もしも人が泉に近付こうと霧の中に踏み込もうものなら、霧は意志を持って呼吸器に入り込み、水となってその者を溺死させてしまうだろう。

 つまりそれ程に、この泉に宿った水の精霊は、人に怒りと拒絶の心を抱いているのだ。


 故にその霧の中に踏み込めたのは、エルフの精霊術師であるアイレナのみ。

 この場に残った仲間である人の戦士、クレイアスは、霧の前でテントを張って、泉に日参する彼女を守っていたそうだ。

 それは心を削られる日々だったのだろう。

 仲間を唯一人で水の精霊の住処に向かわせ、自分は帰る場所を守るしかない。

 無力感に苛まれながらも、夜中に休むアイレナを守る為に神経を張り詰め続けた彼は、消耗にこけた頬と血走った眼をしていた。


 だけどその目が、僕を連れ戻ったマルテナの姿を見て、安堵に緩む。

 マルテナもまた、疲労が限界に近いクレイアスの姿に思わず駆け寄り、彼の肩に触れて支える。


 信頼し合う二人の様子に、僕は思わず笑みを浮かべてしまう。

 何と言うか、少しだけ羨ましい。

 勿論、僕にだって仲の良い人達は居るけれども、彼等の様な信頼し合う戦友と言った間柄とは違うから。


 ……あぁ、でも今回の件で、ガラレトの町やその領主への対応は、僕はクソドワーフ師匠が何とかしてくれると信じてる。

 だからもしかしたら、彼の事は戦友と呼んでも良いのかも知れない。

 だって白の湖の仲間達と同じ様に、僕とクソドワーフ師匠は一つの目的の為に、違う場所で、各々の役割を果たそうと戦うのだから。

 そんな風に考えると、なんだか少し楽しくなって来た。


「二人とも、ご苦労様。後はアイレナが戻り次第、もう少しましな場所に移動して休んで。ここは、人間には厳しい環境だからね」

 霧の外であっても、水の精霊の怒りがピタリと届かない訳じゃないのだ。

 間近にどうにもならない脅威を感じながらでは、人の心と体は休まらない。

 それ故に僕は、彼等に速やかな撤退を勧める。

 尤もそれも僕がアイレナと交代してからの話だから、取り敢えず泉に急ぐとしよう。



 二人を置いて僕は霧に踏み込む。

 人を溺死させる霧も、僕には害を及ぼさない。

 それどころか寧ろ、僕が進む先の霧は割れて道が作られて行く。

 どうやら僕の到着を、向こうも待っててくれたらしい。

 何と言うか本当に、アイレナは優秀になったんだなぁとしみじみ思う。


「エイサー様っ!」

 泉の前に立った僕に、振り返ったアイレナが安堵と喜びの声を上げる。

 マルテナがヴィストコートの町に戻るのに二週間、それからガラレトの町に来るのに二週間。

 つまり一ヵ月近くも、アイレナは僕を待っていた。

 これがデートだったなら、幾ら何でも待たせ過ぎだと、流石に振られてしまうだろう。

 まぁ僕に振られる様な相手はいないのだけれど。


「やぁ、お待たせ。随分と頑張ったんだね。君と知り合いである事を誇りに思うよ」

 僕は前に進んでアイレナの隣に並び、彼女の肩に手を置く。

 選手交代の時間だ。


「私、エイサー様が来るまでは待って欲しいとずっとお願いしてたので……、その……」

 申し訳なさそうに、悔しそうに、アイレナは言う。

 しかしそれで良い。

 そうでなければ水の精霊は僕の到着を待たずにガラレトの町を攻撃したかも知れないし、何よりこれから話を引き継ぐのに余計な手間も掛からなかった。

 何より一ヵ月もの間、ずっと水の精霊を抑えていたのは、間違いなくアイレナに精霊術師としての実力があったからこそだ。

 彼女はそれを誇るべきだと、僕は心底そう思う。


「大丈夫。後は任せて。アイレナに払って貰ってる宿代分位は働いて見せるから。二人が待ってるから、早く戻ると良いよ」

 僕はアイレナにそう言って、彼女よりも前に出る。

 そう、そしてちゃんと頼りになる所を見せて、そろそろ宿を出て家を買っても大丈夫だとアイレナに納得して貰うのだ。


 目の前には澄んだ水を湛える泉と、その水で作った裸身を惜しげもなく晒す女、美しい水の精霊。

 だけどその周辺には彼女の怒りを示すかの様に、やはり水で作られた蛇体の大蛇が蜷局を巻いて浮いている。

 もしもあの大蛇が感情のままに暴れれば、辺りの全てを薙ぎ倒してしまう事だろう。

 尤も僕は、水の精霊が自分の住処を荒らして破壊してしまう程に馬鹿ではないと確信してるから、あの大蛇には全く脅威を感じない。

 振るえもしない武器をチラつかされた所で、それは滑稽なだけだった。

 僕はアイレナが静かに下がって、この場を離れるのを確認してから、スゥと大きく息を吸う。


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