第5話
「たのもう!」
初めての人里、ヴィストコートの町に辿り着いた翌々日、僕は目的である鍛冶屋の扉を開いて声を張り上げる。
僕の加工技術を教えて欲しいとの願いは、断られる可能性が大なので、寧ろ今日はドワーフを見に来た。
なので大切なのは勢いだ。
正直、昨日は長旅の疲れが出て元気がなかったので、女エルフ、アイレナに色々教わる為に一日拘束されたのは、有り難い判断だったと思う。
だからお金の価値はもうバッチリだ。
銅貨百枚で銀貨一枚。銀貨十枚で小金貨一枚。小金貨十枚で、大金貨一枚。
そしてアプアの実の値段としてアイレナが僕に渡した額は、なんと大金貨五十枚だった。
因みに銅貨数枚で一食が食べられるし、昨日泊まった宿は部屋に浴槽も付いた豪華な部屋で、食事も素晴らしい物だったけれど、宿泊費は銀貨五枚。
凄く大雑把な感覚から言って、銅貨一枚が百円位で、銀貨は一万円位なのだろうか。
一昨日も昨日も、多分今日も、宿代はアイレナが出してくれているけれど、値段を日本円に当て嵌めて考えると、実に何やら申し訳ない。
でも安宿で良いと言ったのに、そんなのとんでもないと言って強引に宿を決めたのは彼女なので、取り敢えず今は奢られておこう。
今の宿は食事も肉がたっぷりのシチューや、多少固いが咬めば小麦の豊潤な香りが口の中に広がるパンと、塩を惜しまずに味付けしたステーキ等を食事として出してくれるから、今更安宿になんて行きたくないし。
しかしまぁ、そんな事はさて置いて、今は兎に角ドワーフだった。
この鍛冶屋は入り口の辺りは様々な武器や鎧と言った商品が並べられた店舗スペースで、奥が鍛冶場になっているらしい。
声は確かに届いただろうに、奥から聞こえる金属を打つ音は止まないので、今は忙しいのだろうと思い、僕はぐるりと周囲を見回す。
手が離せないなら、仕事の邪魔をするのは、僕としても本意ではないのだ。
所狭しと置かれた商品は、実用一辺倒と言った具合の無骨な剣から、華美な装飾を施された鎧、一体どう使うのかも良く分からない珍妙な何かまであって、見ていて飽きない。
そんな中でも僕が目を惹かれたのは、くの字の刀身の内側に刃が付いた、大振りのククリナイフ。
大振りと言ってもナイフや短刀の類だから、斧や大剣と言った大型武器に比べれば、決して大きな物じゃない。
だけどそんな大きな武器にも負けぬ迫力を、そのククリナイフは静かに醸し出している。
勿論勝手には手を触れない。
どんなに心惹かれても、これは武器だった。
店主の許可なく勝手に触って怪我でもすれば、店に迷惑をかけてしまう。
まぁドワーフの店主にとってはエルフの僕が来店するだけで迷惑なのかも知れないけれど、それはそれ、これはこれと言う奴だ。
「おお、待たせてしまったな。お前さん良い目をしとるの。それはな、単なる鉄じゃなくてって……、オイ、良く見りゃてめぇエルフじゃねぇか! 儂の店で何してる。クソエルフなんぞに売るもんはねぇぞ!!!」
僕が飽きる事なくククリナイフを眺めていると、後ろから掛けられた穏やかな声が、ほんの数秒で酷い罵声に変化した。
振り向けば、筋骨隆々で矮躯の男が、こちらを睨み付けている。
豊かな髭を邪魔にならぬ様に編んだその姿は、まさにドワーフでございますと言わんばかりで、僕は嬉しくなって思わず笑みを浮かべてしまう。
「こんにちは! 凄く良いククリナイフだね。うん、欲しいけど買い物じゃないんだ。クソドワーフ。欲しいけどね! 欲しいけどね! 使おうと思うナイフの素材はもう決まっててね! あ、失礼してます。これ、お近づきの印の手土産です」
だけど今は戦いなのだ。
僕はドワーフの罵声に負けぬ様、大きな声で言い返した。
あ、でも手土産に買った酒は忘れず、瓶を割らないように気を付けて手渡す。
やっぱり挨拶と手土産、礼儀は大事だから。
「これは丁寧に済まんの。って、誰がクソドワーフじゃ! このクソエルフが! クソエルフの分際で良い酒を選びよって!!! ……くっそう、本当に良い酒持って来たの。で、買い物でなかったら何の用じゃい。つまらん用事なら酒を貰ったとは言え本当に叩き出すぞ」
僕の礼儀正しい態度にドワーフも胸を打たれたのか、語気を弱めて要件を問う。
あぁ、うん、この人も結構良い人だ。
やっぱり実際に会ってみないと、人の好き嫌いはわからない物である。
でも話を聞いてくれると言うなら、これ程にありがたい事はない。
まぁ完全に、町の酒屋で大金貨一枚もした高級酒のお陰ではあるけれども。
僕は荷物袋からフォレストウルフの牙を取り出し、店のカウンターの上に置く。
「森から出て来る時に倒したフォレストウルフの牙なんだけど、これをナイフに加工したくて。技術を教えて貰いに来たんだ」
その言葉に、ドワーフは固めの眉をピクッと持ち上げてから、見せて貰うぞと一言声を掛けて、手に取りマジマジと牙を観察する。
牙を扱う手つきは丁寧で、その視線は真剣そのもの。
数分間、ドワーフは本当にじっくりと牙を観察してから、それを机の上に戻す。
「変なエルフだとは思ったが、お前さん、本当に阿呆じゃの。それはフォレストウルフの牙じゃなくて、もっと大きなグランウルフの牙じゃ。多少やり方を教えた所で、素人に扱える素材じゃないわい」
そしてドワーフの口から出て来たのは、衝撃の事実だった。
何と言う事でしょう。
森に出て来る狼の魔物は、全部フォレストウルフだと思っていました。
だけど外の世界では違うらしい。
「うん、だから失敗したくないから、この町で一番の鍛冶屋と言われてるドワーフに教わりに来たんだ。毛皮も肉も、持って来れなかったからね。爪と牙だけでも、無駄にしない様に活用しないと」
僕はフォレストウルフ改め、グランウルフの牙を荷物袋の中に丁寧にしまう。
するとドワーフは、
「失敗したくないなら、儂がその牙をナイフにすれば良かろうが。グランウルフを狩れるほどに強いなら、技術なんぞ学ばんでも冒険者として幾らでも稼げるだろうに」
そんな風に言い出した。
成る程、本当に優しいドワーフである。
どうやら彼は、何なら僕の為に武器を打っても良いと言ってくれているのだ。
だけど僕は、
「いや、冒険者はまだ良いかな。ナイフだけじゃなくて他の牙や爪は細工物にしたいし、鍛冶技術にも興味あるし。ドワーフも思った通り面白いし、炉とか見たいしね。何なら十年か二十年は冒険者よりも鍛冶がしたいや」
首を横に振って笑みを浮かべる。
そんな僕を、ドワーフはまるで頭のおかしい生き物を見るような目で見てた。
うん、まぁそう言う反応にはなるだろう。
エルフとしては、頭のおかしい事を言ってる自覚はある。
しかし人間としては、生きる時間のスケールが違い過ぎるから。
結局僕は、僕と言う生き物として生きるしかない。
ハイエルフらしさを捨てた時、僕の生きる道はそう決まったのだ。
たとえ他人に理解されなかったとしても。
「はぁ……、阿呆じゃなくて、気狂いのエルフじゃったか。まぁよかろ。高慢ちきなエルフに比べれば、気狂いの方がずっとマシだ。下働きもするなら、その気狂いが治るまでは多少は鍛冶を教えてやる。その牙が無駄になったら、グランウルフが哀れじゃからな!」
そしてどんな道であっても、理解されずとも、他の誰かの道と交わる事は必ずある。
あまりの嬉しさに右手を差し出すと、ドワーフはマジマジとその手を、素材を観察してた時よりも長い時間眺め、……やがて僕が一切諦める気がない事を察したのか、彼は差し出した手を握ってくれた。
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