第3話


 悲報。

 プルハ大樹海を出るだけでなんと半月も掛かる。


 いや、流石にこんなに掛かるとは思わなかった。

 気が向いたら水を浴びたいからと、流れる川沿いに進んだのも悪かったのかも知れない。

 水を飲みに来たのであろう魔物にも何度も出くわしたし、時には魚が噛み付いて来た。

 事前に水の精霊が危険を教えてくれたから良かったようなものの、気付くのが遅ければ一口か二口は齧られてしまっていただろう。


 でも過去の事は置いといて、僕は適当に木の実を齧りながら大樹海を踏破して、漸く外の世界に辿り着く。

 木々に遮られずに広がった平原が、夕日に照らされて赤々と染まる景色を見た時、僕の身体は感動に震えた。

 地平と言う言葉を、僕は久しぶりに思い出す。

 そう、ここから先はどこまでも広がった、果て無き世界だ。


 まぁ実際にはどこかに限りはあるのだろうけれど、気分的にはそんな感じである。

 しかし感動に浸ってる時間の余裕は、あまりない。

 向こうに見えるのは、周囲を石壁に囲まれた人里、……町だ。

 僕は完全に日が落ちてしまって入れなくなる前に街に辿り着く為、大急ぎで歩く。



 ヴィストコート。

 町に入る門の隣に書かれているから、多分町の名前だろう。

「……おいおい、エルフじゃないか。ぼんやりとして、どうした? 人の町は初めてか?」

 石壁の威容と門の立派さに呆然としていたら、槍を持った兵士、多分門を守る衛兵だろう人物が、心配げに話しかけて来る。

 時間帯のせいだろうか、僕の他に街に入ろうと言う人はおらず、故に彼が、僕がこの世界で百五十年生きて初めて見る人間となった。


「立派な門だから見てたんだ。人間の人。町は初めてだよ。時間大丈夫? 間に合った? 入って良い?」

 勘だけれど、この人は悪い人ではなさそうだ。

 だから僕も笑みを浮かべ、両掌を見せて友好を示しながら、町に入れてくれと頼んでみる。


「あー、初めてか。町に入るには入場料が掛かるんだが、大丈夫か? 金ってわかるか? どこかの町の身分証があれば銅貨二十枚、なかったら銀貨一枚掛かるんだが……」

 すると衛兵は困った風に、ゴリゴリと自分の頭を掻く。

 成る程。

 勿論、僕は他のエルフやハイエルフと違って、人として生きた記憶を持つので金位はわかるし、その意義も理解してる。

 だけど金はわかるのだけれど、持っているかと問われれば、それはまた全く別の話だ。


 だから僕が悲し気に首を横に振ると、

「あぁ、えっとな、町に入るには金ってのが必要なんだよ。なぁ、この町に知り合いが居て訪ねて来たのか? だったら立て替えて貰える様に呼んで来てやるが」

 衛兵はそんな風に提案してくれる。

 やっぱり、この衛兵は良い人みたいだ。

 しかし残念ながら、僕がこの町に来たのは、プルハ大樹海を抜けた先に偶然あったからに過ぎない。


 うぅん、そうなるとフォレストウルフの牙辺りを買い取って貰って、その中から入場料を支払うしかないのだけれど、仕方がないとは言え、それは少し気が進まなかった。

 だってこの牙と爪は加工して、自分で身に着けようと思っていたから。


 するとその時、

「あのっ、すいません。少し良いですか?」

 後ろから声がかけられた。

 振り返ってみれば、何時からそこに居たのだろうか?

 若い男が一人と、同じく若い女が二人。

 まぁ僕から見たら人間は例外なく若いのだけれど、そうではなくて、人間という種族の中でも若者という意味だ。


 ……しかし、あれ?

 良く見れば女の一人は、もしかしなくてもエルフだから、僕より年上の可能性が浮上する。

 そして声を掛けて来たのは、そのエルフの女性だった。


 首を傾げる僕と衛兵に対して、そのエルフの女性は少し焦れた様で、グッと僕の腕を引っ張って門から離れ、

「もしかして、ハイエルフの方でしょうか?」

 小声でそう問うて来た。

 別に隠す様な事でもないので、でも引っ張られた腕が少し痛かったので、僕はちょっと不機嫌になって頷く。


 そしたらエルフの女性は納得が半分、何でここにハイエルフがと言わんばかりの疑問が半分、入り混じった様な器用な表情をする。

 少しその顔が面白かったので、僕は腕の痛みは忘れて、彼女を秒で許す。

 女性に対して些細な事で怒るのは、やっぱり心が狭いと思うのだ。


「あの、差し支えなければ、何故貴方の様な方が人の町にいらしたのかお聞かせ願えませんか?」

 そのエルフの女性は、心底不思議そうに僕に問う。

 まぁその疑問は、当然抱く疑問だった。

 僕だって他のハイエルフが人里に居れば、思わず目を疑うだろうし。


 森と共に生き、死しても精霊として世界の一部になる。

 外の世界の事は全てを些事としか思わず、精霊と成るべく死に向かって生きる。

 それがハイエルフという生き物だ。

 勿論それは、僕以外のハイエルフの話だけれど。


「うん、森に飽きたからね。色々見て回ろうと思って。あぁ、エイサーって呼んで良いよ。深い森の里ではそう呼ばれてたから」

 赤子の時、風に乗って流れて来た楓の葉を握ったからエイサー。

 名前と言うよりは、便宜上の呼び名の様な物である。

 長老からは楓の子とか呼ばれてたし。


 精霊の多くは名を持たぬが故に、ハイエルフもまた名を持たない。

 尤もそれだと不便だから、便宜上の呼び名を決める。

 単なる言葉遊びにしか思えないのだけれど、もしそれを指摘すればハイエルフは本気で怒るだろう。

 彼等が本気で怒ると言うのは即ち躊躇わずに殺しに掛かって来るという意味なので、喧嘩を売る心算がないのであれば、ハイエルフの名に関してはあまり触れない方が良い。


 僕の言葉を聞いたエルフの女性は、もう露骨にハッキリと、『うわコイツ変わり者だ』って考えてるのが丸わかりな顔をする。

 その表情が実に雄弁で、面白い。

 多分彼女は、外の世界で暮らして長いのだろう。

 エルフも外の世界で暮らしているとこうなるのかと思えば、少し嬉しくなって来る。

 それはまるで植物が動物になってしまったかのような変化に、僕には思えたから。

 いやまぁ植物が悪いとか、動物が良いとか言う話ではなく、見てて面白いって意味だ。



「わかりました。エイサー様。ハイエルフの御方にこの様に申し上げるのは不敬ではありますが、このアイレナが同胞のご縁により助力させていただきます。この場はお任せ願えますか?」

 エルフの女性、アイレナは、暫く何かを考えていた様だが、不意にそんな事を言い出した。

 はてさて、どうやら彼女は僕を助けてくれる様子。

 一体何故だろうと思わなくはないが、アイレナからは悪意らしき物は感じない。

 何より精霊達も彼女には普通に気を許しているから、悪いエルフではないだろう。


「うん、ありがとう。町に入れなくて困ってたから、助かるよ。でも別に様は要らないからね」

 僕はそう言って、握手をしようと思って右手を差し出す。

 しかしアイレナは一体何を考えたのか、腰を落として膝を突き、僕の手を押し頂く様に両手で捧げ持つと、その甲に額を付けた。


 ……うん、別にそういうのを要求した訳じゃないんだけど、エルフはやっぱり駄目だな。

 助けてくれるのは有り難いけれど、町に入った後は成るべく早く別れよう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る