クラウディオ・ケラヴノス 十四

 その日帰宅すると、いつも以上にパトリツァ夫人が僕の全身を嘗め回すような粘ついた視線を送ってきて寒気がした。彼女はいつも僕を毛嫌いして事あるごとに罵ってくる癖に、情欲をむき出しにした視線を送ってくる。


 誰かに称賛され、求められ、かしずかれなければ自分を保てない弱い人。そのくせ、ちょっと親切にされただけで相手が自分のしもべであるかのように扱い、自分が誰からも愛されている素晴らしい存在だと思い込む。

 だから一度でも寝たことのある男は自分の下僕か所有物扱い。僕の事も早く所有物にして自分より下に見たいんだろう。

 あの支配欲に満ちたニヤニヤ笑いを見るたびに背筋におぞ気が走る。エリィには申し訳ないのだけれども、本当に気持ちが悪い。


 疲れがたまっているのか治癒魔法での消耗が残っているのか、このところずっと身体が本調子ではない。そんな時にこういう害意の籠った視線を送られるのは心身がえらく摩耗まもうする。


 そんな疲れが顔に出ていたのだろうか。夜、エリィと政務を執っていたら先に休むよう言われてしまった。


「顔色が悪いぞ。またこんな無理をして……少しは心配する俺の身になってくれ」


「……心配かけてごめん。まだ大丈夫だからもう少しだけ」


 どうせ今一人になっても、あの粘ついた視線が気になって眠れそうにない。もう少しだけでいいから、一緒にいさせてほしい。


「いいからもう今日はさっさと休め。

その分、明日からまたこき使ってやるから覚悟しておけよ」


 再度休むように言われてしまった。だいぶ心配をかけてしまっているようだ。


「……ごめん、それじゃ先に休ませてもらうね」


 あまり意固地になってせっかくの気遣いを無碍むげにしてしまうのもよくない。僕は諦めて先に休むことにした。

 執務室を出て隣の私室に入ろうとして……いきなり夫人に押し入られて仰天した。ここまでされるまで気が付かないとは、自分でも気づかぬ内にかなり参っていたらしい。


「パトリツァ夫人!おやめください。こんな時間にどうしたのです?」


 珍しく動揺してしまったのが嬉しかったのだろう。嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべた夫人の醜悪しゅうあくな表情に怖気が走る。

 独身の男性の部屋に貴族女性が一人で立ち入るのは不適切だと退室を促したが、逆に大声で使用人を呼ぶと脅されてしまった。


「いつもいつも旦那様にべったりと、一体何様のつもりです?いい加減、自分の立場を弁えなさい」


 掴みかかってくる夫人を突き飛ばすわけにもいかず、あっという間にシャツのボタンを引きちぎられ、上半身をあらわにされてしまった。


「パトリツァ夫人、一体何を??いやっ……エリィ!!」


 のしかかられ、嗜虐心と征服欲に満ちたいやらしい表情で首筋から胸を嘗め回され、全身に怖気おぞけが走った。

 頭の中が真っ白になって、情けなくも悲鳴を上げる。思わずエリィの名を呼ぶと、部屋に駆け込んできた彼が間髪入れずに夫人を引きはがし、僕をしっかり抱きしめてくれた。


「これはいったいどういう事かな?」


 押し殺した声で静かに問いかけるエリィに気おされたのか、パトリツァ夫人は俯いて答えない。


「これはいったいどういう事か訊いているのです。それとも答えられないような事をしていたのですか?」


 鋭い視線と声で夫人を問いただすエリィ。

 夫人はいかにも被害者という顔でわざとらしく震えてみせるが、僕の方をちらっと見やるとニヤリとあの嗜虐心と征服欲に満ちた厭らしい笑みを浮かべてみせた。

 あまりの気持ち悪さに思わずエリィの胸に縋りつく。


「エリィ、今はいったんおさめて。明日おちついてから話しあおう?夫人も今は混乱しておられるみたいだし」


 もう一秒たりともあの人と同じ室内にいたくなくて、エリィにとりなして部屋から追い出してもらった。過呼吸を起こす一歩手前なのか、呼吸が苦しい。

 エリィがずっと僕を抱きしめて、優しく背中をさすってくれている。子供のころ、頻繁にフラッシュバックで苦しんでいたころと同じ。

 しばらくそうして彼の胸に顔をうずめて、とくりとくりと彼の心音を聞いているうちに、ようやく呼吸が落ち着いてくる。一人になるのが怖いと訴えると、その日は子供のころと同じように身を寄せ合って一緒に寝てくれた。

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