エルネスト・タシトゥルヌ 十八

 屋敷に帰ると、慌てたようにパトリツァが玄関まで出迎えた。

疲れて仮眠でもとっていたのかと使用人に訊いてみると、帰って来たのは夕方だったらしい。

炊き出しは昼前には終わっていたのに、どこに寄っていたのだろう。

夕飯までの間、パトリツァに付き従っていた侍女に話を聞いたところ、プルクラに誘われるまま、あれだけ「行ってはならない」と言い聞かせてあったはずの孤児院に行ったそうだ。

どうやら「孤児院には行くな」という私の言葉そのものを認識していなかったようだ。

侍女を応接に待たせて長時間お気に入りの孤児と個室で過ごしていたという。

なんということだ。


 夕飯は今日も夫婦水入らずでとることになった。

しっかり話を聞いて、今後どうするか決めなければ。

パトリツァは、炊き出しの奉仕活動がいかに大変な作業で、朝からずっと働きづめだったか、集まった貧しい人々がいかに惨めで、施しに感謝し涙していたかを得意満面でずっと話していた。

どうやらスープに薬物が混じっていた事には全く気付いてなかったようだ。

薬物汚染の方だけでも、意図して関わっていたわけではないとわかって胸をなでおろす。

炊き出しに使われていた材料やパンなどがどうやって納入されたのか、どこの業者が関わっていたのか訊いてみたが、パトリツァはあまり把握していなかったようだ。

プルクラに訊いてみると言ってはいたが、おそらくすぐ忘れるだろう。

覚えていたとしても、訊いた時点で警戒されるだけなのだが。


 他にも帰りに孤児院に立ち寄り、こどもたちに教会で作ったお菓子を差し入れて本を読むなどして遊んでやったという話もしていた。

「孤児院には当分行かないように言ったはずだ」と言ったのだが、そうでしたかしら?と微笑むだけでまともに受け止めていなかった。

それとなく聞いていると、やはり特別に懇意にしている孤児がいて、他の人がいないところで二人だけで夢のような時間を過ごすのだとうっとりと話していた。

侍女の話した通り、やはり特別な「接待」を受けていた。

最後の一線だけは越えないでいてくれという願いはあっさりと裏切られたようだ。

彼女が少しずつ良い方向に変わりつつあると思っていただけに、手痛い裏切りに憤りと情けなさでいっぱいである。

もちろん、俺自身の見通しの甘さが招いた事態ではあるが……

さすがに人として最低限、やって良い事と悪い事の区別がつかないのだろうか。

食事が終わるまで、パトリツァは俺の視線が少しずつ冷えて凍って行った事に気が付かなかった。


 これは一日も早く令状を取らなければならない。

その一方でパトリツァと彼らを引き離さなければなるまい。

一晩中、書類と格闘して、いつの間にか眠ってしまったらしい。

朝気が付くと机に突っ伏している俺の肩に毛布がかけてあった。


 使用人を呼び顔を洗うと急いで朝食を摂って制服に着替える。

今日はできるだけ早く登庁したい。

身支度ができたところでテラスで言い争う様な声がすることに気付いた。

この時間はいつもディディがトリオを散歩させている時間だ。

またパトリツァと何かあったのだろうか。


「孤児院で身寄りのない子供たちと遊んであげるのは素晴らしいことです。

しかしながら、その前にご自身のお子様とも向き合ってさしあげてはいかがでしょうか?

この年頃の幼子はたくさんの家族の愛が必要です。

どうかアナトリオ様とも過ごすお時間を作ってください」


「やかましい。

お前ごときが口を出すことではありません。

身の程を知りなさい!」


 穏やかに諭すようなアルトの美声に、ヒステリックで攻撃的なソプラノが叩きつけられる。それに続いて火のついたような子供の泣き声。


「どうしたんだ?ものすごい泣き声が聞こえたが」


 慌ててテラスに飛んでいくと、ディディが大泣きしているトリオを抱いていた。


「ごめんね、僕がちょっと出しゃばってしまったみたいで。もう準備できてるならしばらく抱っこしてあやしてあげて?僕も支度してくるから」


 泣きじゃくるトリオを俺に預けて足早に私室に戻っていく。

 あれはかなり怒っているな。

 俺は呆れを隠しもせずに、鬼のような形相でディディの立ち去った方を睨みつけるパトリツァを見やって嘆息した。

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