エルネスト・タシトゥルヌ 十六
今日はパトリツァが貧民街で炊き出しに行くと言う。
つい最近までは貧しい民草を蔑んでいた彼女が自らこう言った催しに参加したがるようになったのは喜ぶべき事だ。……これで、付き合っている連中が、本当の篤志家であればどれほど良かったことか。
本当は、俺が安心して付き合える相手を選んでやれれば良いのだが……いかんせん、俺やマシューが紹介するような相手はパトリツァが意固地になってまともに付き合おうとしない。そして高位貴族としてあるまじき居丈高で無礼な振る舞いに、先方も距離を置きたがるので、そのまま疎遠になってしまう。
何度かそういったことを繰り返し、ついに上流階級の貴婦人がたとの付き合いを取り持つことを諦めてしまったのだ。
「書類のチェックも大事だけどさ。たまには貧民街の視察も行っておいた方が良くない?」
俺が気もそぞろになってしまっていたのに気付いたのだろうか。昼前になって政務が一段落ついた頃、ディディが唐突に言い出した。
「今日はお昼ご飯を外に食べに行かない?ついでに見て回りたいところがあるし」
何気なく誘ってくれる気遣いが嬉しい。お言葉に甘えて二人で連れ立って街に向かう。城下町の外れ、貧民街との境目あたりにある広場では、ちょうど炊き出しの真っ最中だった。
いくつかの大鍋に満たされたスープを受け取りに、人々が長蛇の列を作っている。見るからに貧しそうな人々は手に持った椀にいっぱいスープをよそってもらうと、薄いパンを受け取って、他の人の邪魔にならないところで必死になって中身を すすっている。
数日ぶりの食事なのか、涙ぐんでいる人までいる。イリュリアの貧困者もここまで深刻なのかと思うと我々貴族の不甲斐なさが申し訳なく思う。
こちらには気付いていないようだが、広場の隅でパンを配っていたパトリツァが老婆に手を握って礼を言われ、満更でもない顔をしているのが見えた。以前なら「けがらわしい」と喚きたてて振りほどいていただろうと思うと、短期間に成長したなと思う。
そんな光景を感慨深く見ていたのだが、なぜか傍らのディディの表情が険しい。
どうしたのか訊ねようとすると、俺の訝し気な様子に気付いたのか、硬い声で告げられた。
「匂いがおかしい。たぶん、スープの中に何か混じっている」
「え?どういう事だ?」
「並んでいる人たち、これだけ困窮しているのにお行儀が良すぎると思わない?久しぶりの食事にしても、こぞって涙流して喜んでいたり……何か不自然だ」
「……言われてみれば、不自然だな」
「たぶん、何か多幸感を得られるような薬が入っている。依存性があるかどうかはわからないけど」
何という事だ。まさかこれだけの人が集まる奉仕活動で、そんな
「目的は何だ?」
「多幸感を得られる薬は、その反動で薬が切れると猛烈な不安感を覚えるようになる。定期的に与え続ける事で、不安を解消して多幸感を与えてくれる存在に盲従するようになるだろうね。
貧民街の住人は戸籍もない人が多い。とても使い勝手の良い捨て駒が量産できると思わないか?」
淡々と語る彼の表情は冷静そのものだが、橙色の瞳は怒りに満ちていて、拳が白くなるほど握られている。篤志家を装って、弱い立場の人々を、都合よく利用して使い捨てようとする所業に怒り心頭に発しているのがよくわかる。
「……戻ろう。薬の出どころを調べないと」
広場では、空になった大鍋の汚れを拭きとって荷車に積みこむ人々の姿が見える。炊き出しはもう終わりらしい。
丹念に火の始末をして、お礼を言う人々ににこやかに挨拶を返す奉仕活動の参加者の姿からは、貧しい人々を更に搾取しようという悪意は感じられない。
「あの人たちのどれだけが薬のことを承知の上で参加しているんだろう」
「......全員ではないと思いたいけど、あまり楽観視はしない方がいいよ。人間なんて、そんなに綺麗な物じゃないんだから」
どこか諦めたように言うディディが哀しげだ。人間に期待するたびに裏切られてきた彼らしい。
彼が他者に求めることなんて、本当にささやかな愛と信頼だけなのに。
さて、裁かれるべきものが誰なのか、そろそろはっきりさせないと。
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