第35話 魔王シェリル

 さくっと若草を踏みしめる。

 大剣をゆっくりと抜き構えると、黒と白のローブを纏った魔王が緩やかに動きを止めた。その相貌は、もう見えない。

 だが、マルチナはすぐに正体を察していた。


「まさかとは思ってたけど、本当に堕ちたんだな」


 つまらなさそうにマルチナは吐き捨てる。

 怒りもあれば、悲しみもある。それ以上に敵意と戦意で漲っているが。

 自然と放たれる威圧感に、相手が気圧される。


「今なら引き返せるよ。戻ってきたらどうだい」

「――いつまでも、上から目線でいられると思うなよ」


 優しい脅迫だったが、相手は反発するだけだ。

 明確な憎しみと闇を覚えたマルチナは、少しだけ傷ついた表情を浮かべてから、剣を構え直した。


「あ、そ。本当に小さい頃から、あんたってヤツはバカだね」

「血も繋がっていないのに、姉のような面をするな!」

「そうだね、血は繋がってないね。けど、ガキの頃から面倒を見てきてやった事実までは否定できないよ」


 マルチナの目に、戦意が強く宿る。


「あんたをこんなクズに育てた覚えはないんだけど……まぁいいや。そこまで堕ちたんなら、ぶっ飛ばすのがあたしの役目だね。覚悟しなよ、シェリルっ!」

「育てられた覚えもないっ! 私は、私の力だっ!」


 地面を蹴ったのは、シェリルの方だった。

 一瞬にして間合いが詰まる。

 シェリルの両手に黒い波動が集中し、力を宿しながら攻撃を繰り出してくる。

 不定形の黒い波動が、刃のように変化した。


「クソガキで、両親から捨てられて」


 マルチナは冷静に剣を横に薙ぎ払い、黒い波動を散らす。


「今にも死にそうだったあんたを拾ったのはあたしだろ」


 暴風を生みながらの返しの一撃。

 辛うじて直撃は避けたが、嵐のような暴風が一陣、シェリルの全身を殴ってバランスを崩させる。


「そして《賢者》になれるよう訓練を施してやったのも、勇者パーティに引き入れてやったのもあたしだ」


 どん、と大きい音を立てながら踏み込み、一気に斜め下からの斬り上げ。

 また空気が重い唸りをあげ、必殺の一撃が繰り出された。

 だが、目の前に現れた黒い靄が大剣を受け止め、自らを犠牲にしてシェリルに逃げる時間を稼がせる。


 マルチナは意識を尖らせ、気配だけでシェリルを追う。


 暗闇に紛れて、僅かな流れを皮膚が捉える。

 次の刹那にはもうマルチナは動いていた。

 重心を上手く活用して急速回転。


「そのあたしに歯向かうってのは、どういうつもりなのかね!」

「それがウザいってんだ!」


 シェリルが姿を見せると同時に振り向き、マルチナは強烈な一撃を叩きこむ。

 鈍い音に、骨が砕ける音が重なる。

 完璧な一撃にシェリルは呻きながら地面に叩き伏せられた。


「あのね。あたしはあんたの親じゃないんだ。かみついてくるなら、容赦しないよ。それが傭兵の流儀だからね」


 マルチナが冷たい目線を下ろす。


「ぐっ……」

「恩着せがましく嘆くことはしないよ? ただ、道を外したんならただす。それも傭兵の流儀ってやつさ! 《剣聖》の力を味わうといい!」


 マルチナが仕掛ける。

 直後、地面が爆裂する気配を感じ取った。


 ——不意打ちかい!


 とっさに上空へ逃げるが、無数の黒い手が伸びてくる。

 二段構えの攻撃に、マルチナは呆れた。


「《聖別》《浄化》《範囲》」


 こともなげにスキルを三重展開し、傍まで迫ってきていた黒い手を淡い光で蒸発させていく。

 闇を寄せ付けない清浄な光を放ちながら、マルチナは剣を構えた。


「その程度の攻撃で、あたしがどうこうなると思ったか!」

「《邪悪》《崩壊》《魔手》っ!」

「《先鋭》《展開》《聖別》っ!」


 地面から沸騰するように闇があふれ、瘴気から黒い手がまたいくつも飛び出す。

 だが、瞬時に展開された光の槍が手を貫き、消し去っていく。


「ああああああっ!」


 衝突が繰り返される光と闇の合間を縫い、マルチナが仕掛ける。


「このっ!」


 強烈な斬り下しを、シェリルは両手に瘴気をまとってクロスさせ、自ら受け止める。

 凄まじい衝撃に地面が陥没し、周囲に光と闇をばらまく。

 禍々しい火花が散るが、先に離れたのはマルチナだった。

 軽い感触でふわっとまた飛び上がり、一回転。次の瞬間には加速して着地、地面を大きく揺らしながら突っ込んだ。


「うぉおっ!」


 目で追うことさえ難しい機動に、シェリルは強引に反応した。

 また剣と闇がぶつかりあい、激しい火花を散らせる。

 好戦的に笑むマルチナと、歯ぎしりをして耐えるシェリルの顔が照らされた。今度はシェリルからつばぜり合いを拒否し、大きく間合いを取る。


 マルチナはすかさず追いすがろうとして、止めた。


 野生のカンだ。

 シェリルは舌打ちしつつ、背中に隠していた膨大な闇を纏う。自然と狼のように象ったそれは、生きているかのように唸りをあげた。

 闇からの召喚獣だ。


「突っ込んできたら喰えたものを!」

「小賢しいんだよっ!」

「小賢しいかどうか、確かめてみろっ! はああああっ!」


 シェリルは裂帛の気合を吐き、さらに狼を召喚していく。

 《賢者》らしい術式の使い方だった。


「喰らいつくせ、ケルベロスっ!」

「冥界の魔獣――か」


 本来、人間では召喚不可能な存在だ。魂の格が違い過ぎる。

 だが、魔王になったが故にその壁を乗り越えたのだろう。

 恐怖が周囲にばらまかれ、魂が委縮するような威圧がやってくる。マルチナは喜んでそれを気合だけで弾き散らした。


「あたしに死の恐怖なんて無駄だよ!」


 けたたましく狼が吠える中、マルチナが動く。


「一拍子」


 仕掛けてきた獣の一撃を回避。


「二拍子」


 さらなる追撃を回避。


「三拍子」


 三匹目の咆哮をすり抜ける。


「四拍子――っ!」


 リズムを軽快に刻んで、マルチナはシェリルに肉薄した。

 《剣聖》は剣技を極めしもの。

 その絶対なる技術は、他を寄せ付けない。それは魔王化した程度では埋められない力だった。


「こんな簡単に入ってくるなんて! なめるなっ!」

「だからあんたはあたしに勝てないのさ」


 シェリルが闇から杖を呼び出し、回転させながら棒術のように一撃を繰り出す。


「無拍子――《閃》」


 間のない攻撃が、シェリルを襲う。

 世界が止まったかのように感じた矢先、マルチナの繰り出した凶悪な横薙ぎがシェリルの胴体を深々と抉っていた。


「かはっ……!?」


 マルチナはシェリルの背後に立っていた。


「自分でものを考えて、自分で判断するのは悪いことじゃないよ。でもね、自立するために誰かを傷付けていいわけでもないし、踏み台にしていい理由もない」


 冷たく声をかけながら、マルチナはゆっくりと振り向く。


「シェリル」

「うるさい……っ! だから私はお前に勝てないと、そう言いたいんだろう! その上から目線が気に入らないんだ!」

「事実は認めなよ?」

「はっ! 分かっているとも。私がいくら魔王化したといえ、日は浅い。魔王の力もほんの僅かしか御しきれてない。だからお前に勝てる理由は確かにない。だがな!」


 シェリルが表情を邪悪なそれに染め上げてから嗤う。


「いつ私がお前に勝つつもりだと言った?」


 違和感。

 ぞくり、と全身に怖気を覚えたのはマルチナだった。

 シェリルに畏怖したわけではない。

 自分の奥底から沸き上がってくる異常な感覚だ。まるで自分でない何かが自分勝手に蠢いているような、そんな不快感。


「これはっ……!?」


 もがくようにうずくまっていると、マルチナは呻く。

 シェリルが、そんなマルチナを見下ろす。


「私の狙いは、お前の中にも眠っている魔王因子……──《闇の波動》を目覚めさせることだ」


 そうやって、仲間に引き入れる。

 それがシェリルの、否。《大魔導師》の狙いだろう。


「どうだ? 逆らえないだろう。抗えないだろう。力の欲求、力の根源。憎しみと憎悪に焼かれて踊らされるその感覚! 高揚! さぁ、その身に食われてしまえ!」


 勝ち誇ったようにシェリルは叫び。

 一度発動させてしまえば勝ちだと思っているのだろう。

 つまらない。マルチナはやはりため息を漏らした。


「なるほど。姑息だね」


 深い息を繰り返し、マルチナは汗を拭う。

 多少のふらつきはあるが、問題なかった。


「だが、抗えまい」

「何が?」


 マルチナは野蛮な笑みを浮かべる。


「あんた、あたしを舐めてるだろ。皇女にして傭兵。誰よりも壮絶な人生を歩んできたこのあたしが、この程度に抗えないって?」


 全身から聖なる光を放ち、マルチナは力ずくで《闇の波動》をおさえこむ。

 強引極まる手法に、シェリルも鼻白んだ。


「な、なんだ、なんなんだ! 化け物め!」

「ああ、聞きなれたよ、そんなもん」


 マルチナは吐き捨てると、剣を構えた。


「──で? その化け物にあんたは喧嘩を売ったわけだけど」

「ひ、ひぃっ」

「覚悟しな。出来の悪い弟分が世界に悪さする前に、あたしがオトシマエをつけてやるよ。きっちりな!!」

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