第27話 《大魔導師》の秘密

 一瞬にして、《大魔導師》の持つ雰囲気が異常なものになる。膨れ上がったのは魔力だけじゃない。威圧も。

 この、心の底からざわめくような、異常な感覚。背中の裏側をこすられるような気持ち悪さ。


「お、おい、お前……っ!」

「あら。もしかしてご存じなのかしら。思った以上に知識を持っていらっしゃるのね。腐っても勇者といったところなのでしょうか」


 俺は目を細める。

 焦燥感を隠すことができない。あの、掌の紋章は……!


「ゆ、勇者さま、あれは……このイヤな感じは……」


 驚愕するアンネに、俺は小さく頷く。


「《闇の波動》……っ! お前、それが何を意味してるのか分かってるのかっ!?」

「ええ、もちろん。魔王因子ですわ」

「分かっててその力を使うのかよっ! お前は教会の、教団の所属だろうがっ! なんで魔王と正反対の立ち位置にいるお前がっ!」

「声を荒げないでいただけます?」


 気だるげに手ぶりをしつつ、《大魔導師》は嘲笑う。

 そこにかつての気品さはない。


「私はこの世界の行く末を守る導き手になるのです。そのためには世界を管理しなければならない」

「魔王になって、か?」

「いいえ。魔王の力を使って、ですわ。私は魔王になど愚かで下劣な存在にはなりませんので」


 自信ありげに《大魔導師》は語ると、さらに力を漲らせる。


「勇者によって魔王から世界は救われました。しかし、平和になった世界において、過ぎたる力は無用な争いを呼びます。だからこそ勇者の力は要らない」

「だったら、魔王の力だって要らないだろ!」

「いいえ、必要です。世界を平和に保つためには、管理が必要なのです。そのための力は必須ですわ」


 こ、こいつ、矛盾しまくりだろ!?

 ツッコミを入れたくても絶句しかできなかった。


「いえ、正確に申し上げましょう」

「正確?」

「力を正しく行使し、公正なる目と心を持つこの私だからこそ、世界を管理しうるのです。だからこそ、魔王の力が必要ですし、この私に魔王の力が宿ったと言えましょう」

「傲慢すぎるだろ、いくらなんでも!」

「いいえ、傲慢ではありません」


 あくまでもゆっくりと《大魔導師》は否定する。


「私は神の使命のもと、動いているのですから」

「それが傲慢だって言うんだよ! 《大魔導師》!」

「ふふ」


 にこやかに嘲ると、《大魔導師》は指を鳴らした。

 直後。

 闇が周囲から生まれる。


 ざわり、と寒気。


 危険を本能が察したと同時に闇が襲ってくる。

 けたたましい音を叩き出し、俺の構えた盾に衝撃が貫通する。――つうっ!?

 ヤバい、俺じゃあ防ぎきれないっ!


「勇者さまっ!」

「アンネ、《伝播》――」

「させるはずがないでしょう?」


 俺が指示を下すより早く、地面が爆裂した。

 おぞましい衝撃に全身を殴られ、俺は空に打ち上げられた。全身にダメージが走る!


 ってぇ……っ!


 めちゃくちゃな暴風に巻き込まれながら、俺とアンネは地面に叩きつけられる。

 痛みに呻くと、すぐに《怠惰》が牙を剥いてきた。

 やば、意識、が……っ!


「勇者さまっ!」


 アンネが頭から血を流しつつ、必死に俺へ手を伸ばしてくる。


「愚か者ですね。私はその手の美学が嫌いなんで、ちょっと手加減はできないかもしれませんよ」


 その手を、《大魔導師》が踏みにじる。


「ぎゃあっ!」

「アンネっ!」

「勇者。あなたは確かに強かった。世界を救ったその力は凄まじく、世界さえ導く可能性があった。しかし、その力に溺れて堕落し、落ちぶれた」


 《大魔導師》の全身から、不気味な闇が迸る。

 おぞましささえ覚える力に、俺は威圧感を覚えた。


 まさしくこれは、魔王の片鱗。


 もちろん、俺が実際に戦った魔王とは比べ物にならない。

 けど、厄介さ加減は上だな。

 あの魔王はバカみたいに強かったけど、単純だったからな。いや、戦闘に関しては天才的か。でも《大魔導師》のようなしたたかさはない。


「あなたに力を扱う資格はありません」

「《大魔導師》……。あんただったら扱えるってか?」

「ええ。もちろんです。この魔王の力さえ御してみせる自信はありますわ」


 いや……俺の見立てでは、大分飲み込まれてると思う。

 俺は素早く《大魔導師》を観察する。

 全身から放たれる闇。強いけど、制御できてるか?

 大分侵食されてる感じがあるな。


「これは忠告だ。やめとけ」


 そもそも《闇の波動》は分からないことが多すぎる。

 レベルが上がっていけば、それだけ魔王になっていく。同時に力の付与も強くなっていくが、魔王化ということは、精神も同時に蝕まれてしまう。

 マキアもそこは示唆していた。

 俺も同じ意見だ。


「それ以上は、力に呑まれるぞ!」

「あら金言ですのね。ですが、ご心配なく」

「《大魔導師》……」

「私の公正な心に力は全てひれ伏すのです」


 両手を広げ、力を収束させていく。

 まるで世界が歪むくらいの密度の力だ。


「この力はっ……」

「まずはこの小娘から始末して差し上げますね」

「……──やめろぉっ!」

「やめません。あなたが勇者の力を取り戻すトリガーが彼女なら尚更ですよ」


 《大魔導師》に躊躇いはない。油断もない。

 だったら、迷う余裕なんてどこにもない!


 俺は即座に《闇の波動》を発動させる。


 全身を黒い波動が包まれ、一気に活力が沸き上がる。

 迸るような無敵感に覆われていきながら、俺は地面を蹴った。最初から全力で最大加速!

 空気の壁をぶち破りながら、俺は《大魔導師》に肉薄する。


「来ると思ってましたよ!」


 恐ろしい速さで《大魔導師》がカウンターのタイミングで反撃をしようとして――

 電撃が走った。

 なんだ、と思う暇もなく、俺と《大魔導師》は見えない何かによって弾き飛ばされる。衝撃そのものは大きくないが、抗えない何かだった。

 辛うじて着地をするも、今度はざわり、と背中を撫でられる。なんだ、これ、は?


「しまった――」

「――共鳴っ!?」


 俺と《大魔導師》は同時に悟った。

 自分の中の何かが大きく蠢く。だが、《大魔導師》の反応はそれを大きく上回るものだった。


 鈍い音。


 真っ白に近い《大魔導師》の肌が赤黒く染まり、禍々しい紋様が浮かんでいく。髪の毛も漆黒に変化し、六枚の黒い翼が生えてしまう。

 これは、まずい!

 体躯が一回り巨大化したところで、ようやく《大魔導師》が大きくその場から離れた。


「そんな、わたしの、からだがっ……!?」


 魔王化だ。

 尋常ではない禍々しさに、俺は息苦しささえ覚える。だが、今の俺が一番にするべきはアンネの救出だ。

 《大魔導師》が大きく逃げたのを見て、素早くアンネを抱き起して俺も距離を取っていく。


「ぐ、ぎ、ぎぎ、……っ!」


 空に逃げた《大魔導師》は大きく苦しみながら喉をかきむしる。無駄に翼をばたつかせ、周囲に瘴気をバラまいた。

 まだ意識は《大魔導師》っぽいが、いずれ乗っ取られると思う。魔王化はそれだけ異常な圧力を覚えるんだ。


「あ、あああああああっ!」


 激痛だろうか。

 身体を大きくのけぞらせてから、《大魔導師》は姿を消した。

 言うまでもなく《転移》だろう。


「ゆ、勇者さま……あれって……」

「ああ。あいつ、魔王になりやがった」


 おいおい。これ、どうなってんだ?

 まさか《大魔導師》が魔王化するなんて。



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