第2話 スラム街の少女

 世界が切り替わる。転移成功だ。


 一応、転移先は路地裏に設定してある。誰かに見られたら驚かれるし。ゲームの世界でも、いきなり目の前に現れるとモブキャラでさえビビる仕草があった。あれはあれで楽しかったけど、町の人たちからの評判が下がって買い物ができなくなったりするんだよな。

 この世界でも同じなのはもう知ってる。

 そういうの、ダルい。


「っと、座標がちょっと狂ったか……?」


 俺は自分に呆れる。

 周囲を見渡すと、据えた臭いにボロボロの建築物の群れ。汚い河に入り組んでどうなってるか分からない道。

 どうやらスラム街に飛んだみたいだ。

 どの世界にだって、貧困層はいるもんだ。でも特にここはタチが悪いエリアだ。奴隷商人が住み着いてて、住民をさらう。


 もし闇堕ちしたら真っ先に駆け付ける場所でもあるんだよな。


 なるべく近寄らないようにしてたんだけど……。

 どうやら《怠惰》の呪いのせいで、座標も狂わせたらしい。まったく。

 とりあえず抜け出そう。


 そして、なんとかして――……。


 少しでも《怠惰》の浸食を止める。

 どんどんと蝕んでくるコイツが俺を食い破る前に、なんとかしないと。


 でも、俺の知識でも《怠惰》の呪いをどうにかする手段は知らない。


 ゲームの世界でも、どのシナリオを完璧にこなしても解除できなかったんだ。

 でも、じっくりじっくりプレイングすると、ヒントらしきものは幾つかあった。

 だから、希望はあるはずなんだ。

 なんとかして見つけないと――。


「っと」


 考えにふけっていると、いきなり角から飛び出してきた子にぶつかられた。

 とん、と思った以上に軽い手ごたえで、小さい子――やせっぽちの少女は汚い地面に倒れこんだ。


 やばっ。やっちまった。


 俺は気怠いながらも手を差し伸べる。

 少女は泣きそうになりながらも、なんとか手を取ってくれた。ゆっくりと起こすと、少女の手もとから銅貨が一枚だけ滑り落ちる。

 俺の目線に気付いたか、少女は慌ててその銅貨を拾って抱きしめる。


「あの、ごめんなさいっ。ぶつかっちゃって、でも、その。私、何かお詫びをしてあげたいけど、お金は、このお金だけはっ……大事なお金なの、家族を、弟たちのご飯代なのっ……だからっ」


 少女は泣きそうになりながら訴えてくる。

 俺は胸が締め付けられる思いがした。


「いらねぇよ。その銅貨じゃ、パン一切れ買うのがやっとだろ」


 少女は頷く。


「うん……足りないけど、でも、やっと稼いだお金だから」


 稼いだお金、か。

 確かにこんな子じゃ、働き口はほとんどない。銅貨一枚稼ぐのも大変なんだろう。


 なんだか不憫だ。


 俺が金貨の入った小袋を取り出そうとした刹那だった。

 その少女の背後の向こうで、爆発音と振動が起きた。

 ガタガタと周囲が揺れ、空気が戦慄く。


 なんだ、と思うより早く、周囲がざわついた。


 って、なんだなんだ。

 ダルい事態になってねぇか、オイ。


 俺がため息を静かにつくと、にわかに騒がしくなった。

 周囲が逃げ惑い、炎が猛る。

 一気に空気が熱くなった。


 そんな騒ぎを見ていると、ひと際大きい爆発が起こる。


「危ないっ!」


 俺は防御結界を展開しつつ、少女を抱き寄せる。

 爆風が光を伴って襲ってきた。

 それに乗って、何かがいくつも落ちて転がってきた。あちこち焼けて、あちこち潰れてる。かなりグロい。——人間だ。

 それを見て、少女が喉を鳴らした。


「い、いやぁっ! クロ! メイ! ロランっ!」


 ――それだけで察した。

 今転がってきた遺体は、この少女の家族なんだ、って。

 怒りが沸き上がる。


 誰が、こんなことっ!


 真っすぐ先を睨む。

 爆炎を背景に、姿を見せたのはやせっぽちの男と、二匹の火蜥蜴魔サラマンダー

 そのやせっぽちの男は、鞭を持っている。


 奴隷商人か……。


「ひゃあっははっはっはっ! さぁ! 狩りの時間だぜぇえええっ!」


 このスラム街なら、何が起きても町の連中は何もしない。

 自治範囲外だからだ。

 知っている。だから、こんな外道な真似をする。


 こいつら――。


 一歩足を踏み出して、俺は膝をついた。

 《怠惰》の発動だっ……!

 くそ、こんなタイミングで影響が強くっ……!

 こうなったらもうダメだ。動けない。


 幸い、防御結界は強いのを展開している。あいつらじゃあ突破はできない。


 このまま、何もしないで、ただ目を閉じて……。

 俺は、俺は……。


「ヒドい、いや、いやああああああっ! どうして、どうして、こんなっ……!」


 少女が泣き叫ぶ。痛いくらいに胸に刺さるが、俺にはもうどうしようもない。

 何も出来ない。何も、何も。

 そんな俺から、少女が逃げ出そうともがく。


「ダメ、どうして、だめえっ!」


 少女の強い思いが、叫びが、悲しみが魔力を呼んだ。

 はっ、と、俺と共鳴する。


 ――これは、スキルの発現? それも、オリジナルのスキル! ギフトか!


 少女の光を見て、奴隷商人どもも目を輝かせる。

 ギフト持ちは高く売れるからだ。

 けど、それでも俺は――


「ああああああっ!」


 少女がひと際強く輝く。

 同時に、俺の《怠惰》も刺激を受けて強化されるように――


 


 え、と呆気に取られる中、俺の身体が一気に楽になる。活力が、沸き上がる。なんだこの感覚――本来はこんだけ軽かったのか。

 いや、それよりも、だ。この呪いは――強制発動するパッシブスキルだったのか。


 ぐったりとする少女を抱き寄せつつ、俺は立ち上がる。


 今の俺なら。

 勇者としての力を持つ俺なら。


 俺はゆっくりと立ち上がる。


 反応するようにして、奴隷商人どもも俺を見た。今の情けない俺の姿じゃ、俺が勇者なんて気付かないだろう。

 まるで侮るように、火蜥蜴魔サラマンダーが迫ってくる。


「《剣聖》」


 一歩。


「《英雄》」


 二歩。


「《賢者》」


 三歩。


 俺は、全てのスキルを開放する。

 真っ黒だった髪が黄金に染まり、俺に凄まじい力を与えてくれる。


「頂点と呼ばれるこのスキルを三つとも保持しているのは、世界でも俺だけだ」


 だから、俺は三冠と呼ばれた。

 どんな敵も倒せた。魔王でさえ。


「な、なんだっ……!?」


 脅威におののく三人に、俺は拳を向ける。


「――さぁ、お仕置きの時間だ」


 空気を灼く光。

 生み出されたのは、光の聖剣。俺にしか、使えない剣!


「テメェら、やりすぎなんだよっ!」


 一瞬の踏み込みで、俺は二匹の火蜥蜴魔サラマンダーの懐に潜り込んだ。

 逃げる暇はない。

 光の軌跡だけ残して、火蜥蜴魔サラマンダーの首を刎ねる。

 もう一匹がさすがに反応するが、遅い。


「この、クソやろうがっ!」


 俺は敵より素早く反応し、両腕を切り裂いてからまたその首を刎ね飛ばす。


「な、なんだあっ!?」

「奴隷制度も気に食わないし、お前らの仕事も気に食わないが、何よりあっさりと人の命を奪おうって態度が気に食わないっ!」


 更に俺は一歩踏み込んで、奴隷商人の顔面を殴り潰した。


「ぶっ飛べぇえっ!」


 力いっぱい。俺は殴り飛ばした。


「あっぱんげぇんっ!」


 意味不明な悲鳴を上げ、奴隷商人は何十メートルも吹き飛ばされ、情けない音を立てて顔面から着地した。

 間違いなく頭蓋骨骨折、首の骨も砕けたはずだ。まず助からないだろう。


 俺は久々に身体が楽になる感覚に心を踊らされていた。


 よし、これだよ、これ!

 このまま――


 あ、あれ?


 がくん、と、俺の全身が再び重くなる。

 この異常な感覚に、吐き気がした。


 戻ってきたんだ。《怠惰》が。


 さすがにイヤな感じがある。

 たまらなくなって膝をつくと、近くで少女が気絶していた。そうか、そういうことか。

 この子が気を失ったから――《怠惰》が俺に戻ってきたんだ。

 すべてを察しつつ、俺は意識を失いかけそうになるのを必死に我慢する。


「う……」


 いやこれ無理。マジで無理。ガチで無理。

 俺はダルさに全て負けた。

 あっさりと、俺は意識を手放す。いや、でも、これだけは。あの子の弟たちだけは――。

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