生き残らなきゃ、のおはなし

6 - たすけあうジャパン

 建物の中に足を踏み入れた菜優は、どこに向かうべきかを思案しながら右を左を交互に見やりました。建物の中は少し暗く、木がふんだんに使われた床や壁や天井を、ぼんやりとした橙色の灯りが照らしています。椅子がいくつか並んだカウンターを見つけたので、そこへ歩み寄ろうとしたとき、あのべちょっとした感覚を靴の裏に感じました。もう驚きこそしませんが、足元に目をやりながらゆっくりと足を退けます。視線の先にはやはりコアトルがいて、その全身に靴の跡がくっきりと刻み込まれていました。


「ああ!もう、お約束となりつつありますわ!しかしこうも踏まれることも慣れてしまえば意外に悪くない…。それはさておき、酷いではありませんか。二度も小生をよけるなんて」


「え?別によけてなんかないけれど…」


 コアトルが突然に怒り出したことに、菜優の理解が着いてきていません。それもそのはず、菜優はコアトルが肩に飛び乗ろうとしていることに全く気付いていないのです。


「まったく。小生がこの一見酒場のようにも見える、人の往来も多分にあるこの施設では、先刻貴女に踏まれたように、背丈の低い私には危険がそこかしこに跋扈ばっこしておるのです。たくさんある足の間を掻い潜る、その体力と集中力が求められるというのに…」


 そこからしばらくコアトルのお小言が続きましたが、菜優はとりあえず聞いておくことにしました。しかし相変わらず、内容が全く頭に入ってきません。最後に、コアトルが「いいですね」と聞いてきたので、そこは元気よく「はい」と答えておきました。


「ああ、そうだ。時に、まだ貴女の名前を聞いていませんでしたね」


「私は菜優っていうの。朱鷺風菜優」


「トキカゼナユ、ですか。良い名ですね。ナユ、と呼ばせていただくとしましょう。ところでナユ、私を肩に乗せてくれませんか。踏まれないようにおっかなびっくり這い回るのはもう懲り懲りなのです」


「うーん、手の平でもいい?なんか冷たそうやし」


「構いませんよ」


 菜優はコアトルをつまみ上げて、手の平の上に乗せました。ちょうどその時、近くを通ったウェイトレスが菜優に声をかけました。


「あら、お客さんかしら。初めて見る顔ね。とりあえず、そのへんに座って待ってて」


 菜優はその言葉の通りに、近くにあった席に腰をかけ、手の平の上のコアトルも隣の席にそっとおろしてあげようとしました。しかしコアトルは恐ろしい速度で袖の中に入り込み、肩口から這い出てきました。そして耳元いっぱいに近づいて、小さな声で囁きました。


「言い忘れていましたが、小生が喋ることは可能な限り察されないようにしたいのです。この国イースティアに限らない話ですが、スライムは知性が低い事で有名ですし、人語を話すモンスターというのも、研究対象とされかねない程度には希少な存在ですので」


「分かったけど、服の中に入り込まんで。くすぐったいよ」


「ああ、小生としたことがなんと配慮に欠けた事を。失礼しました」


 萎々とうなだれたコアトルを丁寧に摘みあげ、今度こそ椅子の上に置きました。と同時に、先程のウェイトレスさんがメニューを菜優に手渡しました。


「注文が決まったら教えてね」


「あ、あの。そうやないんです。ここに、流れ着き者たちの互助組織があるって」


「ああ、その話ね。準備にちょっと時間かかるから…適当に一杯頼んじゃって。私が奢るから」


 それなら遠慮なく…と思いメニューに目をやりましたが、そこにある飲み物の殆どの、味の想像がつきません。これなんやろ?などとつぶやきながらブルドッグという飲み物を頼もうとした菜優に、それはお酒であるとコアトルは注意してくれました。


「お酒を飲むなとは言いませんし、この国に飲酒を規制するような法はありません。流れ着き者達の多くが酒を飲む前に成人しているかどうかを気にしてるようですが…ナユも成人していると言える程の年の頃でしょうし、あまり問題はないかと。が、お酒である事を知らないまま飲むのは少々危険ですね」


「ありがとう、コアトル」


「いいえ、それほどでも。紳士ですから」


「でも、そしたら何頼めばええんやろ」


「ううむ…これお酒のメニューなのですかね。殆どにお酒が入ってますね…」


 二人は一緒にメニューとにらめっこして、そして一緒に嘆息をもらしました。やがて先程のウェイトレスさんが戻ってきて、二人の正面に座りました。


「ようこそ、『たすけあうジャパン ヴァレンタイン支局』へ。私が支局長のシイナです。ここでは、各々の事情によってこの国、イースティアに流れ着いた、所謂いわゆる流れ着き者たちの相互扶助を目的とした組織ギルドで、主に仕事や住居の斡旋などを行っています」


 シイナと名乗った女性は、和やかな笑みを湛えたまま説明を続けました。


 まず住居について。住居の斡旋は行っているが、それには資金が必要なこと。資金のない菜優はどうしても借金をすることになるので、出来れば避けたくありました。エルレアネたちに運び込まれたあの洞窟の話をしたら、他の住民の登録の無いことを調査する必要があるものの、それが済むまではそのまま住居として使って良いとのことです。


 次いで、納税について。暫くすると納税通知書が届くようになるので、それを持って全国にあるたすけあうジャパンの支局や、納税事務局に納税しに行く義務があるようです。たすけあうジャパンでの納税は所謂いわゆる納税代行であり、事務処理等に時間がかかるために期限よりも早めに納税する必要があること、一方で納税事務局は期限通りで構わないが、そもそも事務局がある街の方が少ないとのことでした。ちなみに、ヴァレンタインに事務局はなく、隣町であるホワイトデイに一番近くの事務局があるようです。


 次いで、仕事の斡旋について。配達や護衛、モンスター駆除に工事の手伝いから魔法プログラム作成など多岐に渡るようです。ただ、慣れないうちは簡単な配達の仕事がおすすめであるとのことです。

 

 そして、これら支援を相互に提供しあうことが目的であるがために、ギルド構成員としての登録が必要だと説明されました。また登録の条件として、無信仰であれば運命の神、モイラへの信仰が必要とのことです。


 シイナからの説明は、一通り終わったようです。最後の「神様への信仰が必要」について不思議に思いましたが、


「無信仰であるということは、イースティアでは神の存在を認めていないことと同義です。白い目で見られることでしょうから、特定の神を崇めないのであれば、モイラ様を信仰しておいたほうが後々の都合が良いでしょう」


 とコアトルが小さな声で耳打ちするので、素直に従っておくことにしました。しかし、当のコアトルは隣の席にへばりついたまま動いておらず、小さな声が届くような距離ではありません。なら、どこから声がするのだと菜優は訝しみましたが、やがて非常に小さなスライムが、右のみみたぶの裏に張り付いていることに気が付きました。危うく指で潰しそうになり、コアトルは小さく悲鳴をあげました。


「あと、武器や野宿用のアイテムについても聞いておきましょう。街の外の治安は保証されていませんから、丸腰のままでは危ないですしね。野宿用のアイテムが借りられればなおよし、ですね」


 コアトルの助言から、菜優は武器と野宿用の道具の支給があるかを聞いてみました。武器を始めとした装備の斡旋もしている支局もある一方、ヴァレンタイン支局では行っていないようです。


「ううむ、残念。襲われたら逃げる、を徹底せざるを得ませんね」


「えー。あんな脚の早い犬が相手やと追いつかれちゃうよ」


「ですね。だから、逃げるための装備が必要、そのためのお金も必要…なんにせよお金が必要ですし、とりあえず仕事を請けるためにギルド登録は必要ですね」


「やんな。シイナさん、登録をお願いできますか」


 シイナは独り言をぽつぽつと言う菜優を不思議に思いましたが、やがて


「わかったわ。登録証を準備するから、ちょっと待っててね」


 と言って、建物の奥にまた吸い込まれるように消えていきました。やがて登録証となるバッチを手にしたシイナが戻ってくると、菜優の左胸にぱちんと着けてこう言いました。


「これを着けている間は、あなたはうちの一員だから」


 そうして、菜優はギルド「たすけあうジャパン」の一員となったのでした。

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