第3話
後日彼女の父から聞いた事だが、彼女は結婚する事になったのだと言う。パーティーの時に見た、決して若くはない軍人とだ。彼は彼女への独占欲が激しかったため、男性である私が彼女に彫刻を教えている事が気に障ったのだと言う。
「すまなかった。この事で、あなたがここまで気を病んでしまうとは私は思わなかった。」
面会室で、彼は身体を震わせて私に謝罪した。対する私は穏やかであった。
「顔を上げてください。私がこうなってしまったのは、決してあなたのせいではありません。」
私は涙で震える男性の手をこの手で握りたいと思ったが、私の手首には手錠がはめられていてかなわなかった。私は目の前の男性、私の愛する女性の父親に対して本当に怒りの感情は持ち合わせていなかった。むしろ私を彫刻の講師として招き入れ、彼女との時間を作ってくれた事に感謝していた。今思ってみてもあの時間、本当にわずかな時間であったがあの時間は私にとって希望と呼べる唯一の時間であり、私の人生で最高の時間であったと思う。しかし、私はそれよりも前にこの事を決めていたのかもしれない。と言うよりもむしろいずれこうなる事が決まっていたのかもしれない。言うなれば、私はかねてから絶望の中に生まれ、生きていく中でそれを確かなものにしていったのだ。
私は彼女の家にいく事を禁じられてからしばらく自分の家から出る事が出来なくなった。もし、仮に一歩でも外に出てしまおうものならば、私は何としてでも彼女に会おうとあらゆる手段を講じるであろうと思ったからだ。そうして何十日、何百日と長い夜を超えたある日、私は気づいた。私の人生はとうに終了しているのだという事に。これから私が目指す希望とは、「死」その一点に尽きた。私はその答えにたどり着くと、すべての悩みが、霧が晴れるがごとく心から消えていくのを感じた。まるで晴れ渡った青い空の下、鐘の鳴り響く教会にでも足を運んだ時のような気分だった。しかし、私は自分で自分を殺す事がどうしてもできなかった。首吊り、薬、リストカット、いろんな事を試してみたが結局上手くいかなかった。
だから、私は他人に殺してもらう事にした。私は自分が長年愛用してきた彫刻刀を右手に握りしめる。そういえば、この彫刻刀をくれたのは父であった。十歳の誕生日の日に父が私に送ってくれたものだった。私は父を嫌っていたはずなのだが、父のくれた彫刻刀をしっかりと大事にしていたのだ。
私は夜に狭い路地に身を潜め、暗い闇と同化して通行人を観察した。右手に持った彫刻刀が橙色の街灯の光を浴びて鋭く光る。私が標的にしたのは若い男女のカップルであった。幸せそうな二人を殺す事も私の長年の夢であった。私は今夜、自分の祈願を二つも叶える事が出来るのだ。そう思うと私の心は高ぶり踊った。
深夜十二時を回る頃、酒に酔った男女二人が私の目の前を、身を寄せ合って通り過ぎていった。女はほとんど男に身を預けているような形で、かなり足元がおぼつかなかった。私は迷う事なく背後から忍び寄り、男の首を彫刻刀で掻っ切った。男の首から真っ赤な血が噴き出る。綺麗だった。赤い花が散ったようだった。男と女が叫び声をあげる中、私は冷静に一人ずつ殺していった。私はこの時、二人組を標的にした事が正しい決断だったと知った。人の喉を掻っ切る事は自分が想像していた以上に魅力的な事であった。たった一回では物足りないと心底思った。私はその感触に酔いしれてしまったのだ。もし、私が捕まらなかったら今でも殺しを続けていたかもしれない。父からもらった彫刻刀は柄の部分までも真っ赤に染まった。
私は軋むベッドの上で明日を待っていた。ここでの死刑の方法は銃殺刑なのだという。目隠しをされ、口に石をかまされ、銃で撃たれる。たったそれだけの事だが、私は今からワクワクが止まらなかった。私はこの煩わしい世界からやっと解放されるのだ。明日をどれほど望んだか分からない。何なら私は生まれてこの方、明日の事を待ち望んでいたと言っても過言ではないのだ。私は同房の中でくっくっと笑った。
再び、ピチャリ、と水滴の音がする。鉄格子の外から聞こえてくる。それから二人の男のヒソヒソとした話声が聞こえた。
「おいおい、あいつ、独りで笑ってやがるぜ。」
「明日処刑されるってのに。いかれてやがる。」
ああ、楽しみだ。早く、早く。明日が待ち遠しい。私は独り、胸を高鳴らせていた。
渇望 上海公司 @kosi-syanghai
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