第2話

それから私は女性を避けるようになった。いや、それは女性に限った事ではない。私は気づいたら全ての人を避けるようになっていた。しかしそれも非常に曖昧なところである。もともと私は人と関わるのが煩わしいと思っていた。だから言うなれば私は最初から人を避けていたのかもしれない。しかし気づけば私は人から避けられるようになっていたのだ。私の父が有名な彫刻家という事もあって、モノ珍しさから私に話かける者もいたが、私が別段面白い人間ではないと分かると、彼らは私から離れていった。


 私を何より困らせたのは女性へのコンプレックスであった。私は元来他者への興味など微塵もないと思っていた。しかし、私も一人の男であり、生殖本能には逆らえなかった。道端を寄り添い合う男女を見るたびに私は彼らを羨んだ。殺してしまいたいと思うほどにだ。しかし、勿論そんな事は出来なかった。それに私はそんな風に感じてしまう自分が常々嫌であった。私は独りの夜の寂しさを紛らわすため、夜な夜な学生時代に想っていた彼女の事を思い出し、自分を慰めた。


ひそひそと鉄格子の外から話し声が聞こえてくる。


「あいつ……完全に狂っちまってる。」


「無理もない、あいつ、明日だろ?」


 私は外にいる陳腐な想像力しかない者どもを鼻で笑った。狂っている?何を言っているんだ?私は今、希望に満ちているのだ。ようやく私は長い地獄から解放されるのだから。



 私の人生に転機が訪れたのは、私が三十の歳を迎えてからであった。私は自らの仕事をする傍ら、父の彫刻の仕事を真似て木彫りの人形を作った。休日に私が市場でそれを売りに出していると、帽子を被った女性が近くまで来て私の彫った人形を手に取った。


「まぁ、これは素晴らしい木彫りの人形ですね。」


その女性が顔を上げた時、私は胸の中で何かが弾けるような音がした。美しいブロンズの髪に茶色い瞳、知的に整えられた眉、薄ピンクの唇、私は人生において永らく感じる事のなかったときめきというものその時たしかに胸の中に感じた。


「お父様、見て下さい。この木彫りの人形、素晴らしいではありませんか。」


彼女がお父様と呼んだ先には、紳士服姿のすらりとした背格好の中年男性が立っていた。


「ほう、どれどれ?」


男は私の彫った木彫りの人形を手に取ってじっと観察した。


「すごいな。よく出来ている。君、これはいくらでいただけるかね?」


 そうやって私に声をかけてきた中年男性は領主の親族にあたる男であった。そして女性はその男の娘であった。奇遇なことに男性と私の父は顔をよく知る者同士だったようで、男性は口の回らない私にも気さくに接してくれた。

 とある日、男性の家で開かれるパーティーに招かれて参加した。整った紳士服に身を包んだ男達と、色とりどりのドレスを身に纏った女達が、豪華な食事の席を囲んだ。しかしその中でも、市場で私に声をかけてくれた女性は一際目立って美しかった。パーティーでは男達が彼女に言い寄った。私にはそれが恨めしかった。彼女に言いよる男達はパーティー参加者の中でも取りわけ裕福な家の者達なのだと言う事は誰の目から見ても明らかであった。中には位の高い軍人の男までもがいた。私は心底、その事実を見たくないと思った。結局これは、高等学校の時と同じ事が起ころうとしているのだと悟った。彼女に言い寄る人々は私など遠く及ばないところにいる人達だ。そんな事は誰の目から見ても明らかだったのに、私は昼も夜も、いつ何時も彼女を求めた。

 ある日、彼女の父が娘に彫刻を教えてくれないかと私に頼みこんできた。それは私にとって彼女との仲を深めるためのまたとないチャンスであった。だから私は二つ返事で了承した。そうして私は休日の午後、彼女の家に招かれて彫刻を教える事になった。彼女の学ぶ姿勢はとても真剣であった。話を聞くと彼女は法学専門の高等学校に通っているため、芸術などを学ぶ暇がないと言う事だった。だから休日、遊ぶ間を惜しんでまで、私に教えを乞うたのだ。

 彼女は時々、学校であった出来事を私に話した。私はその話を聞くだけで、全ての悩み事が吹き飛ぶようであった。むしろ今まで私は何に悩んでいたのかさえも分からなくなってしまうほどに、私は彼女に夢中になった。

 とある日、私は彼女の家に行く前に花屋に寄った。その日は彼女の誕生日で、私は彼女のために花束を買った。

 しかし、その日私が家へ行くと家の主人の男が言った。


「すまない。今日の授業はなしにしていただけないだろうか。それから、今後は別の先生にお願いする事にした。すまないが、今日限りでうちに来ていただかなくても結構だ。」


 私は目の前が真っ暗になったような気がした。なぜ?私は頭で考えるよりも先にその疑問を口にしていた。そうしないと気が狂ってしまいそうだった。


「何故ですか!?」


男は大声で尋ねる私を一瞥すると、何も言わずににべもなく屋敷の扉を大きな音を立てて閉めた。


 私はこの時はじめて、本当の絶望とは普遍的絶望の中にはなく、希望の中にこそ存在する事が分かった。私が少しでも自分の人生に希望を持たなければ、あるいはここまで絶望する事はなかったかもしれない。

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