息をするように君の隣で笑っていたい
金石みずき
息をするように君の隣で笑っていたい
「私、結婚するの」
会社帰りの電車の中、長椅子で隣り合って座っていた真咲が唐突に言った。
彼女は勤めて三年目の、会社の同期。そして僕の密かな想い人でもある。
「え、あ、そうなんだ」
「うん、そうなの。まだ会社の人には言ってないんだけど」
突然の告白に驚いてぎこちない返事になってしまった。
遠距離の彼氏がいるとは聞いていたけれど、まさかそんなにも話が進んでいたなんて。
なんとなく返す言葉が思いつかず、「そっか」と返すと、真咲は「うん」と軽く頷いて黙ってしまう。
気まずい沈黙が流れる。聞こえるのは電車が線路をガタゴトと叩く音だけで、あとはしんと静まり返っている。
所在なく視線を彷徨わせてみれば、通路を挟んで反対側の窓に反射する真咲の顔が、暗く落ち込んでいた。
「何か、心配事?」
「……うん」
真咲は滔滔と語りだす。
結婚への不安、葛藤。ままならない理想と現実のギャップ。
所謂、マリッジブルーというやつだろうか、と漠然と思いながら聞く。
「彼の会社、今繁忙期みたいであんまり連絡がとれないの。ほとんど会社に寝泊まりしているみたいな感じで、お休みなんて月に何度もないんだと思う」
「それは……仕方がないのかもしれないけど、寂しいね」
「うん」
その後も真咲は話を続けていく。僕はそれを聞いているだけだ。
古くは初期研修から。最近では会社の大きなプロジェクトなんかのときにも、よくこうして話を聞き、彼女が溜飲を下げるまで付き合ったものだ。
「だからね、悩んでるの。本当に結婚してもいいのかなぁって」
「それは……」
何か言おうとして、そこではたと気が付く。これ、いつものやつと同じだ。
会社ではしっかり者を演じているけれど、本当は小心者で、いつも不安がって。
気の許せる間柄の人間にだけはこうやって内心を吐露する。
そしてたくさん話して、語り合って、次の日から前を向くための糧にする。
そんな繊細そうでありながら、本当は強い彼女の生き方を僕は美しいと思った。
だからこれはきっと、マリッジブルーなんて大それた名前は必要ない。
彼女は自分で解答にたどり着く。僕は適切に相槌を打ちながら、話を聞いてやるだけでいい。
だけどもし僕が何か話せば、彼女は真剣に聞いてくれるだろう。ある程度、考えを誘導することもきっと出来る。そのくらいの信頼関係を作ってきた自負はある。
心の奥底で黒い欲望が渦巻く。
この不安につけ込んで、自分のものにしてしまいたい。
僕なら不安にさせない、そう言ってしまいたい。
でもそれは過ぎた願い。叶わない願い。例えそんなことで自分のものにしても、いつの日か絶対に終わりがくる。そう、わかっている。
本当は、息をするように君の隣で笑っていたい。
それくらい自然に、君のそばにいたい。でもそれは僕の役目じゃないから。
だからせめて
――君の隣で今、いつもと同じように笑おうと思う。
息をするように君の隣で笑っていたい 金石みずき @mizuki_kanaiwa
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