第9話 絶対的な力

 その声がした瞬間、空気が変わった。男は恐怖で顔面蒼白になり、小刻みに震えている。僕も声がした瞬間に体が硬直する。本能が告げるのだ。やばい…と。たとえそれが師匠であっても急に声をかけられると生きた心地がしない。それほどにあの人のオーラというか存在感というものは冷酷で強大で絶対的なのだ。


男と対峙していた僕は気づいた。男のズボン、股間部分の色が変わっていくのを。大の大人が恐怖で失禁するのだ。


 次の瞬間、男はきびすを返し、猛烈な勢いで走り出す。逃げ出したのだ。王国騎士団の副団長にも上り詰めた男が戦場から逃げ出した。それを僕は呆然と眺めるしかできなかった。それほど男は凄まじい速さで逃げたのだ。僕では到底追いつけないような。火事場の馬鹿力というものがある。死に直面した時、人間は本来では出せないような力を出すらしい。今の彼はおそらくそれだろう。


「ジェームズ。あいつは誰だ?」


師匠が僕の元まで歩いてきて尋ねる。急に現れたのではなければ、さっきほど怖くはない。しかしいつもより何処か変だ。何処かいつもより苛立っている?そんな感じが見てとれるというか、オーラが物語っている。


「あいつは、ジェイドって名乗ってました。確か王国騎士団の副団長………」


先ほどまでとは桁外れなほど空気が重くなる。立っているのがやっと。ものすごい圧力プレッシャーだ。本能がマジでやばいと告げる。


 師匠が殺気を放ったとわかったのは師匠が電光石火の如く走って行った後。僕はなぜ今思い出したのかと自分を呪った。もう少し遠回しな言い方をしておけば腰が抜けて立てなくなり、座ってバックから替えのパンツを出さなくてもよかったかもしれない。師匠があんなふうになってしまったのは王国騎士団のせいだとレイラさんに聞いていたのに。


「はぁ」


パンツを履き替えながら思わずため息が漏れる。今頃あのジェイドとかいう男は師匠に殺されている頃か。あれ?でも何か忘れているような……僕はなんであの男と戦ったんだっけ……


「……あの……えっと……ちょっと……いいかな?………」


声のした方を振り向くと顔を赤くした少女が立っていた。僕は急いでパンツを履き、ズボンを上げるが非常に気まずい空気になってしまった。彼女がモジモジしているのに影響され、僕もモジモジしてしまう。


なんか気まずくてお互い何も言い出せない。だめだ!ここは男である僕が話を切り出そう。


「「あの!」」


被ってしまった。最悪だ。カッコつけようとして失敗した。ここは話の権利を譲ろう。


「あ!ええと言っていいよ。」


「え!じゃあ、いうね………まず自己紹介から……わたしの名前はシャーロットっていうの。………急に契約しちゃってごめんなさい。」


可愛らしい声で自己紹介と謝罪をおこなった少女の名はシャーロットと言うらしい。シャーロット……可愛らしい名前だ。


「さっきも言ったけどわたしは精霊………」


そう言うとなぜかシャーロットは黙り込んでうつむいてしまう。どうしたのだろう。僕と見た目は同年代くらいの少女はなぜか不安そうだ。


「どうしたの?」


僕はそう優しく問いかける。俯いていた少女は顔をあげ、まるで変な物を見たようにしばらく僕の顔をじっと見つめる。


「わたしのこと恨んでないの?」


「恨む?僕が?」


「だって……だって…わたしのせいであなたは死にそうになったんだよ?」


ああ、なるほど。この子はあの男が狙っていたのは自分で自分が契約したから僕が死にかけたと思っているのか。その通りだ。その通りだが怒っているなど見当違いもはなはだしい。


「ねぇ…君は君が僕を殺しかけたみたいなことを思っているのかなぁ?」


「………だってそうでしょ?あの人はわたしを狙ってたんだもん。」


「そうかもしれないね。」


「だったらわたしがあなたを危ない目に合わせたようなものでしょぉ?私のこと恨んでないの?」


だんだんと彼女の目から涙が滲み出てくる。そういえばさっきも一人で泣いていたな。この子は泣き虫なのかもしれない。そんな彼女を守ってあげたいとそんな感情が湧いてくる。


「恨んでないよ。むしろ感謝してる……あの男は僕が契約してなくても僕を殺していたと思う。それに君があの時契約してくれなかったら僕は何もできずに死んでいた。そしたら今こうやって話すこともできなかった。……だから君には感謝しているんだ。」


違う。これは彼女を納得させるだけの口八丁だ。あの男は契約していなかったら僕を見逃したかもしれない。それでも彼女を納得させられるならそれでいい。


「そうなの?」


「うん」


「じゃあ……これからも一緒にいてくれる?」


シャーロットは上目遣いで僕を見てくる。しかもその目は涙で潤まんでいる。めちゃくちゃ可愛い。


「もちろん。これからも一緒にいるよ。これからもよろしく。改めて、僕の名前はジェームズだよ。」


ついつい口角が上がってしまった。


「うん!これからもよろしくね!ジェームズ!」


彼女が精霊だろうがなんだろうが関係ない。彼女を絶対守る。そう心に誓った。








 一方その頃……………




 何が起きた?なぜオイラの目の前にはオイラの脚がある?それに目の前が赤い。全身に力が入らない。


思い出した。さっきの男に斬られたのか。あいつはヤバいな。あいつの目的がなんなのか知らないが、王国騎士は敵だと言っていた。王国騎士団ごときじゃあ話にならねえ。間違いなく瞬殺される。まあここで死ぬオイラには関係ないがな。


死ぬのってこんな感じなんだな。嗚呼。まだ死にたくないな。まだあの人に何も恩返しができていない。8歳の時、親に捨てられ路頭に迷っていたオイラを拾って、加護がないオイラを四方守護者の一人まで育ててくれた人。


王国騎士団長にして、四方守護者最強の人。我が師アリステオ・クラディウス。

せめて奴のことをなんとかして伝えたかった。


いやだな……死にたくないな………師匠……どうかご無事で……


「諦めるのはまだ早いですよ」

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