第29話
宿屋で就眠を取っていると、扉を激しく叩く音で目を覚ました。
僕は抱いていたネロを床へと下ろす。
『む……来客のようであるな。なんと、この深夜に不躾な』
ネロは欠伸をして身体を伸ばすと、眠たげな目で扉を睨んだ。
僕は窓の方へと目をやって、時刻を確認する。
確かに今は真夜中のようだが、なにやら外から悲鳴のような声が聞こえてくる。
明らかに夜深くだというのに騒がしい。
扉を開けると、ギルベインさんが部屋内へと飛び込んできた。
勢い余って床へと倒れる。
「ようやく開けてくれたかい……マルク君」
「こんばんは、ギルベインさん。あの……この騒ぎ、何があったんですか?」
「わわ、わからない! ただ、タルマン侯爵様の屋敷から、煙が上がって……館が崩れて! 街の方はもう大パニックさ!」
僕はごくりと息を呑んだ。
このタイミングの侯爵様の館の襲撃……間違いなく〈真理の番人〉絡みであることは間違いない。
「私とてB級冒険者の端くれ! すぐに侯爵邸へ向かうべきかと思ったが……その、まぁ、私なんかが少しでも早く駆けつけるよりも、君に声を掛けておいた方がいいに決まっていると考え直してね……」
ギルベインさんは立ち上がりながら、コホンと恥ずかしげに咳払いを挟んだ。
『……そちはいつも尊大な割に自己分析がしっかりとしておるな』
ネロが呆れたようにそう口にした。
「ま、まぁ、どうせダルクみたいなのが出てきたら、私で太刀打ちできるわけがないし……」
「狙いは前のようにティアナ様でしょうか?」
「君の捕まえたゼータを、タルマン侯爵様は館に拘禁していたんだ。連中の狙いは彼女かと思ったのだけれど……どうにも、破壊活動が派手過ぎる。公には伏せられていたから君にも黙っていたのだけれど、ティアナ嬢は連中に囚われていた際に、トーマスという男に会っていたそうだ」
「トーマス……それは、どちらの方なんですか?」
「タルナート侯爵家の親族の男さ。かつてタルマン侯爵様には弟がいた。彼は当主の座を狙い、実の父や、タルマン侯爵様に与していた家臣を暗殺したんだ。タルマン侯爵様は彼を処刑したけれど……その子供は、身分を剥奪して領地追放に留めることになったんだ。そのときの子供がトーマスだ」
何やらきな臭い話が出てきた。
「〈真理の番人〉に、なぜ侯爵家の親戚筋の人間が……?」
「追放された貴族を闇組織が連れ歩く理由なんて限られてくる。貴族において遵守されるのは血なんだ。あらゆる情報……正義や悪、正しさや過ち、過去の事件、記録、それらはいくらでも捻じ曲げられてしまう。だが、その身体に流れる血だけは嘘を吐かない。恐らく連中はトーマスを擁立して、タルナート侯爵家を乗っ取るつもりだろう」
「じゃあ、今回の襲撃は……」
「ここまで派手にやったということは、これ以上長引くことを嫌って……今回で決着をつけるつもりかもしれない。今日が奴らとの決戦になる」
僕はぎゅっと拳を握った。
ここまで干渉した以上、途中で投げ出すつもりはない。
それに、今タルマン侯爵様の館にいるであろうティアナ様も、知らない相手ではない。
見捨てる気にはなれなかった。
「すぐに館へ行きましょう、ギルベインさん」
「わ、私も……かい? 私なんかがいても、足を引っ張るっていうか……その、今、武器もないし……君に折られたから」
引き攣った顔でギルベインさんが答える。
「頼りにしていますよ、ギルベインさん! ギルベインさんは冒険者の経験も長いですし、ギルド職員だから内情にも詳しいですし!」
「う、う〜ん……そうだよね、まぁ、私が呼んだ以上、じゃあ帰って寝るとはいかないよね……」
「ギルベインさんの白銀狐、可愛いですし!」
「か、可愛い……? ま、まぁ、私の白銀狐ちゃんはプリティーだが、その、それってあんまり、今褒めるポイントではないような……」
『まぁ、我らはあの子狐が活躍しておるところを一切目にしておらんからな』
ネロがぼそっとそう口にした。
「ギルベインさん、急ぎましょう! 時間はありません! こうしている間にも、タルマン侯爵様が殺されてしまうかもしれません! それに、ティアナ様も……!」
「あ、ああ! わ、私だってB級冒険者だ! ……その、でも、その前に、私だけロゼッタを捜してきても……」
僕は渋るギルベインさんの手を掴み、引っ張って宿屋から走り出した。
僕の後ろからネロが付いてくる。
宿を出て外に出る。
ギルベインさんの案内に従って走ると、煙の昇っている大きな豪邸が見えてきた。
「あれがタルマン侯爵様の屋敷ですね……」
「こうなれば自棄だ……! 私も腹を括ったぞ、マルク君! やってやる……ロゼッタがいなくたって、私はB級冒険者としてやっていけるんだ……証明してやる……!」
ギルベインさんが、大きく息を吸って吐いて、呼吸を整える。
侯爵邸に入れば、ぐったりとしているタルマン侯爵様の兵らしい人達が倒れているのが目に入った。
館内は散々荒らされており、床や壁が崩れている。
「も、もうこれ、手遅れだったんじゃ……」
ギルベインさんが、自身の手の指を噛んで、不安げに周囲を見回す。
「冒険者……か?」
倒れていた一人が、薄らと目を開けて僕達を見る。
意識のある人が残っていた。
「き、君ぃ! ここで何があったのか……」
「逃げ、ろ……。この館にもう、安全なところはない……タルマン侯爵様も、既に……」
「オオオ、オオオオオオッ!」
兵士の声を遮り、咆哮が響く。
近くの扉を破り、土人形が僕達へと襲いかかってきた。
「で、出た……! この化け物は……恐ろしく頑丈な上に、再生するんだ!」
兵士が目を大きく見開き、悲鳴のような声を上げた。
「おまけに、恐ろしい程の膂力を……!」
僕は腕を振るい、精霊融合の触手で殴り付けた。
土人形は飛んでいき、壁に激突して爆散した。
亀裂の走っていた壁に大穴が開く。
「恐ろしい程の膂力を……」
兵士の男の人が、パクパクと口を開く。
「……こ、侯爵様の館を壊しちゃいましたけれど、これ、弁償とかにはなりませんよね?」
大きく開いた穴に驚き、僕は口許を覆った。
「大丈夫だよ、マルク君。これだけ壊されてるんだ、今更壁の一つや二つ……」
そのとき、二階に続く階段から足音が響いてきた。
「冒険者が来ましたか。逃げずに来るとは愚かなこと……功を焦りましたか。どうせ貴族間の揉め事など、あなた方には関係がないというのに」
綺麗なエメラルド色の髪が揺れる。
男は静かに首を振るうと、ゆっくりと目を開く。
優しげな眼とは裏腹に、口許には邪悪な笑みを浮かべていた。
「ひぃっ! お、お前は、あのときの……!」
ギルベインさんが、素早く僕の背後へと隠れて、背を屈める。
「好奇心は猫を殺す。ここに立ち入った者は、例外なく殺せというご命令です。安っぽい正義の代償が高くつきまし……」
「あなたは……〈静寂の風ダルク〉!」
僕は彼の名前を呼ぶ。
ダルクは羽帽子を上に傾け、大きく目を見開いて僕を見る。
「ふっふっふっ」
ダルクは唇に指を当てて優雅に笑むと――それから一気にその場で反転し、勢いよく階段を駆け上がっていった。
「来るとは思っていたけれど、なんでこうも私ばかり、あの少年とかち合うんだ!」
風がダルクを包み込み、彼の移動を手助けする。
彼の得意とする魔法……〈浚い風〉だ。
『逃がすな、追うぞマルク!』
「三度も逃げられるわけにはいかない!」
僕とネロも、ダルクを追って階段を駆け上がった。
「わ、私を一人にしないでくれ、マルク君!」
後からギルベインさんが必死に追い掛けてくる。
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